
2009年2月 3日 (火)
みんながドミンゴだったら、もっと気楽なのに
みんながドミンゴ?
すいません、タイトル読んでもなんの話かわかりませんよね...
ドミンゴはプラシド・ドミンゴのこと、いわずとしれた(なんていうと、オレは知らん!とお叱りを受けそうですが)三大テナーの1人、スペイン出身の超有名オペラ歌手です。 The official authorized Website of Placido Domingo オペラ歌手は語学の天才
オペラといえば、さまざまな言語で歌われるものです。もともとはイタリア語によるオペラが主流でしたので、モーツァルトの代表作の多く(「コシ・ファン・トゥッテ」や「ドン・ジョバンニ」)もイタリア語ですし、ヴェルディやプッチーニの作品はいうに及びません。 一方で、モーツァルトの「魔笛」や「後宮からの逃走」からベートーヴェン、ウェーバーを経てワーグナーとR・シュトラウスに至るドイツ語によるオペラ(ワーグナー以降は「楽劇」なんていいますが)も多く存在します。 さらには「マノン」や「カルメン」、「連隊の娘」といったフランス語による傑作も多く、ロシアや東欧諸国の言葉でもたくさんの作品が生み出され、世界中で公演されています。もちろん、英語や日本語もあります。 このため、現在世界を股にかけて活躍するトップ歌手の多くは、イタリア語、ドイツ語、フランス語など複数の言葉で歌い、あるいは話すのが当たり前です(さまざまな国のオーケストラで演奏をする指揮者やソリストなんかもそう)。 英語ひとつでもものにならない私なんかからは(いかにヨーロッパの各言語には類似性も多くて習得も楽とはいえ)、みんな超人に思えてきます(もっとも、「○○のフランス語はひどい」といった批評の餌食には、良くなっているようですが)。 ただ、ひとついえることは、決してネイティブスピーカーのような完璧さを求めているわけではなく、コミュニケーション手段として、あるいは歌詞がある程度伝わるものとして、必要十分な習得水準で良しとしているように思えます。 ドミンゴの英語
冒頭に名前を出したドミンゴですが、現在全国の映画館で上映されているMETライブビューイング(METはニューヨークのメトロポリタンオペラの愛称で、METでHD画質で収録されたオペラを世界中の映画館で上映するプログラム)の今シーズン4作目、マスネの「タイス」で案内役を務めています(念のため、マスネは作曲家の名前で、タイスがオペラの題名です)。もちろん、英語で話しているわけですが、だれが聞いてもすぐにそれとわかる、スペイン風の英語なのですね。「Company」は「こんぱに」ですし、「the」は「デ」、Rの音は強調され極端な巻き舌になります。 でもそれでなんの問題もないのですね。ちゃんと通じます。 ドミンゴにとっても英語は外国語なので、おかしな省略や口語表現もない(まあ、世界中で上映する「番組」で口語とか俗語なんて使わないでしょうけど)。個々の単語がしっかりと発音され、しかもスピードもゆっくりです。 したがって、私にとっても字幕なしでも実に理解しやすい英語で話してくれているわけ。 幕間にインタビューがあって、アメリカ出身の二人が話すのですが、こちらは早口でとてもわかりにくい。 英語を母語とするひとの英語よりも、そうでない場合のほうがずっと容易に理解できるのは、考えてみれば当たり前でもあります。 ドミンゴだけではありません。かの小澤征爾が英語でオーケストラへの指示をしている映像を観たことがありますが、それはそれはわかりやすい日本人発音の英語でした。でも、それで十分用が足りているのです。 英語は英語圏の人と話すだけの道具じゃない
英語を「アメリカ人やイギリス人など英語を母語とするひととのコミュニケーションツール」と決めつけてしまうと、彼らの英語がお手本になってしまいます。残念なことに、成人してしまってから英語を本格的に勉強し始めて、彼らネイティブスピーカーと同じように英語を話せるようになる可能性はほとんどないでしょう。どう努力をしても、それは「外国人の英語」に過ぎません。 英語は「英語を話せるすべての人々とのコミュニケーションツール」と考えれば、お互い英語は母語ではないわけです。オバマやクリントンと英語で話すよりも、ドミンゴや小澤と英語で話す方が、ずっと楽でしょう。 そう考えると、英語の発音についてあれこれと悩み、「あなたもネイティブ並みに!」なんていう宣伝文句に釣られることも少なくなりそうです。 世界中には、英語を母語としない英語話者のほうが圧倒的に多いのですから、私たちもその中で自らの用途に必要十分な英語力が身につけられれば、それで良いのではないでしょうか。 そりゃあ、母語のように英語を操れればカッコイイでしょうが、そのための時間があったら、私ならドイツ語、イタリア語、スペイン語と別の言葉を学ぶほうに振り向けたいと思います(このあたりは、学習者の価値観にも関わるので、どれが正しいといった話じゃありませんが)。 なので、みんなドミンゴのように話せば、もっと外国語学習は気楽なものになるのじゃないかな。 |
2009年2月 7日 (土)
生来のナマケモノは、学校に行ったほうが良い
「やる気」には何度もなるんだけど 「英語ができる自分」を長年にわたって妄想してきただけあって、英語をしっかりと勉強し直そう、と思ったことは一度や二度ではありません。大学を卒業して、わざわざ時間をとって勉強する時間というものがなくなる一方で、さまざまな経験を経て英語が使える人と会う機会も多くなって、むしろ「その気があるなら、ちゃんと勉強しなくちゃな」という気持ちは高まったといって良いかと思います。 そんなときはお決まりのパターンで、書店に行ってラジオやテレビの英会話講座のテストを手に取ったり、英語学習参考書のコーナーで次々にいろいろな本を眺めたり。もちろん、何度も実際に本を買ったり、CD教材を買ったりもしました。 けれど、ダメなんですよ。本はだいたい最初の10ページまで、CD教材だって良いところ2~3のセクションを聞いたら、それでお終い。なんとなくやる気が失せて、忙しいからと脇に寄せ、数週間もすればそれらの教材はどこにいったんだかわからなくなりました。 私は生来のナマケモノ やらずに済む努力はしない、明日で良いことは延ばす、そんな性格なので、小中高校と成績は決して悪くないけれど絶対に一番にはなれず、復習を怠るので試験ではポカミスが絶えない、いつも宿題を忘れるものだから教師にも睨まれる... よくもまあ、これまでやってこられたものだと、われながら運の良さに感心するほど。そんなナマケモノが、自らを律して勉強することなど、そうそうできるわけがありません。本や教材を買ってきて、自分の意思で毎日時間をとって勉強するなど、まずムリ。 必要なのは、背水の陣 社会人になってからもっともまとまった時間勉強したのは、おそらく中小企業診断士の試験勉強期間ですが、このときは周囲の同僚や上司に受験中であることを宣言し、友人と勉強会を定期開催することで逃げ場をなくしました。ナマケモノとはいえ、背水の陣を敷けばなんとかなるのです。でも、英語学習では背水の陣って、なかなかないですよね。 試験勉強ならば試験に合格しちゃえば終了ですが、英語ってここまでやったから完成、という区切りがありません。海外赴任の予定があったわけでもなく、宣言できるゴールがないのです。 結局、社会人になってから15年ものあいだ、私は2~3年おきに思い立っては本や教材を買っては数週間で忘れる、ということを繰り返してきたのでした。 たぶん私はナマケモノ度合いに関しては相当高水準にあると、日頃思っているのですが(そんなこと威張るなっ!)、経験上、こういう人は自分を縛り付けるなにかをもたないと、努力を継続できません。 縛り付け方のひとつは周囲への約束、たとえば「1年後にTOEICで900点取る!」といったものですが、ただ宣言するのではなく、成功したときに自分もうれしいインセンティブがあると良いですね。ただし、彼女に「900点取ったらプロポーズするから」なんて宣言したら、その場でふられるかもしれませんけどね。 ちなみに、(英語の話じゃなくて恐縮ですが)私は中小企業診断士の受験時には、「2次までストレートで受かったら、かねてからほしかった『DATウォークマン』(知ってます?)を買う」と心に誓っていました。いわゆる「自分へのご褒美」作戦です。 英会話教室は、自分を縛り付ける道具だった 筋金入りのナマケモノの私にとっては、もっと楽な(でもちょっとお金はかかる)縛り付けかたが、英会話教室に通うことでした。英語話者の友人知人がなく、会社でも使う機会の少ない人が、週に一回ないし二回、かならず英語を勉強する時間を作ろうと思ったら、やはり一番簡単なのは教室に通うことです。 しかも、前払でキャンセルしたらそのぶんはムダ、しかもけっこう高い、というふうにしておけば、もったいないのできちんと通うでしょう(なので、チケット制で行ったぶんだけ減る、という方式は私にはあわないと思う)。 外国語学習のために教室通いは、決して万能でもなければ、だれにとってもものすごく有効とはいえません。 とはいえ、自分一人ではなかなか継続できない人(たぶん、とっても多いんじゃないかと思います)にとっては、かなり有効な手段なんじゃないかと。そこそこ勉強が進んで挫折の可能性が低くなったら、自主勉強が継続できるようになるように思います。 せっぱ詰まった事情がなければ、とにかく前に進んでいることが実感できることこそが、継続力の源だと私は思うのです。それさえあれば、ラジオ講座を継続して聞くことも、そう苦痛を伴わずに継続できるかもしれません。 ようは、自分の性格や生活のパターンにあった学習方法を見つけられれば、意外と続けられちゃうものなんでしょう。 |
2009年2月 9日 (月)
【特別レポート】春からのNHK語学番組はすごいぞ
NHK語学番組の説明会に行ってきた 2月9日月曜日(つまり今日です)、NHK放送センターにて平成21年度(つまりはこの4月から)の語学番組の説明会が開催されました。ゴガクルブログライターも希望すれば傍聴可能ということで、そそくさと出かけてきました。月曜のの午後ではあったのですが、たまたま法事などがあって先週末から有給休暇をとっていて月曜の午後はあいていたのです。 毎週火曜と土曜に定期更新しているこのブログですが、本日は特別編として、この説明会で聞いてきた特大ニュースをレポートします。 新年度の番組には5つのポイントが さすがは放送局の説明会だけあって、まずは新年度の番組構成の5つのポイントについて解説するビデオが上映されました。列挙すると次のとおりです。
大型新番組「ニュースで英会話」 注目点はたくさんあるのですが、まず大きなものは最初の項目です。いまある番組の中では、「リトル・チャロ」がテレビとラジオ、そしてケータイやWEBコンテンツのメディアミックスで展開されていますが、ここに新たな番組「ニュースで英会話」が加わるとのこと。この番組ではいま話題になっているホットなニュースを題材にするので、こうした話題を使っての英会話にすぐ応用可能な表現が学べそう。テレビ番組は週1回、ラジオは月曜から金曜までの5回が放送されるのと同時に、番組内容をサポートするWEBサイトではさまざまな解説が見られるほか、eラーニングや実力テストのコーナーも用意されるとのこと。 クロスメディアを謳うだけあって、ワンセグでもラジをと同内容が視聴でき、ケータイサイトでも放送された英文を確認できるなど、ひとつのコンテンツを見て、聞いて終わるのではなく、さまざまな形で学習を繰り返すことで成果を高めることを意図しているのだとか。 ビジネスでも、あるいは友人との会話でも、時事ネタについて英語で語ることができれば表現の幅も広がります。いつもお天気の話や週末の予定しか話題のないみなさん(もちろん、私も)にとっては格好の教材となりそうです。 日本人なのに日本を語れない なんでも、海外から日本を訪れる観光客は年間800万人にも上るのだとか。「Yokoso! Japan」をキャッチフレーズに「ビジット・ジャパン・キャンペーン」も展開されており、2010年(つまり来年)にはこの数字を1000万人まで引き上げて行くことが目指されています。こんなにもたくさんのゲストを海外から迎えるのに、私が日本や日本文化について知っていることは決して多くありません。また、普段あたりまえに接している日本の文化や風土を英語で説明することは決して簡単ではありません。たとえば、説明会の中では「『花鳥風月』をどう英語に訳すか?」という問いかけがありました。 こうした観点で、「美しい日本の伝統文化を英語で伝えよう」というのが新番組「トラッドジャパン」。 NHKが日本文化の発信のために制作している番組「BEGIN JAPANOLOGY」などの内容をもとに、日本の文化を英語で伝えるための表現が紹介されます。 入門編を終えたら ひととおりの日常会話を卒業したら、次に考えたいのが「英語で何を伝えるか」ということです。上でも書きましたが、お天気と週末の遊びしか話題にできない人とのコミュニケーションが楽しいでしょうか? 時事ネタにせよ文化の紹介にせよ、あるいは自分自身の趣味にせよ、自分自身の観点や表現でさまざまな事柄が語れてこそ、語学を学ぶ醍醐味があるように思います。入門編、基礎編を終えると、あまたある英語教材ではより複雑な表現を学んだり、あるいは突然俗語表現を学ぼうなどというものも多く見かけます。けれど、私は日本人が英語のスラングなど使えるようになってどうするんだか、と思うのですね。 経済や社会、文化、あるいはその時々の話題や芸術作品について自分なりに話せるようになること、これが中級からのひとつの目標になるのではないでしょうか。 仕事で英語が必要な人にとってはこれまでもわかりやすい目標があり、教材がありました。けれど、趣味の延長でさまざまな人々とのコミュニケーションを、と考えると、なかなかぴったりとくる教材には出会えなかったのではないかと思います。 今回の二つの新番組「ニュースで英会話」と「トラッドジャパン」は、「英語が通じた!」の次のステップへ進んで行くための新たな学習材料として、ものすごく期待できるんじゃないかと思います。 ほかにも楽しそうな新番組が目白押し もちろん、上の二つだけが新たな番組ではなくて、英語以外の外国語講座も海外ロケをふんだんに取り入れた内容になっていて楽しみです。私が欠かさず見ている「テレビでドイツ語」ではベルリンのいまを、放映中のドイツ語講座でもおなじみのLIZAさんがレポートしてくれる模様。まあ、詳しいことについてはおいおいNHKから新番組情報として紹介されることでしょう。そちらをご覧ください。 また、同じく説明会に参加された川本さんの「You Can Do It!」でも、新番組に情報がまとめられていますので、併せてどうぞ。 【速報!】 2009年度 NHK 英語講座一覧 (ラジオ編) 【速報!】 2009年度 NHK 英語講座一覧 (テレビ編) そしてもうひとつ大きな目玉が このブログをご覧になっているということは、みなさんPCをお使いだろうと思います。WEBのコンテンツなどを活用しながら、ラジオの語学講座を聞いている多くの学習者にとってのまさに「福音」についての発表もありました。 現在、WEBでストリーミング放送されている3つの番組「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」「チャロの英語実力講座」に新たに11番組を加えて、全部で14の番組がストリーミングで聞けるようになります。そのラインナップは以下の通り。
ストリーミングは基本的に前週の再放送で、本放送翌週の月曜10時から一週間公開され、更新されて行くとのことです。これなら好きなときに学習できますし、移動通信可能なモバイルPCやFLASH対応の携帯端末があれば、場所さえ選ばずにラジオ語学講座を聞くことができるようになります。 どうせなら全番組をPodcastで配信!となれば最高だったのですが、それは将来のお楽しみにしておきます。まずはストリーミングという形で、手軽にオンデマンドで番組が聞けるようになったのは、私にとっては大事件。今日一番の収穫といっても良いと思います。 貴重な経験でした 会社員ですから、自分の会社の新商品発表会や決算説明などに主催者として立ち会ったことは何度もありましたが、このように「発表を聞く立場」での参加の機会というのはなかなかありません。新番組の出演者もゲストとして会場に登場し、間近で拝見できるという特典もありましたし(カメラ持って行くんだった〜)。 とても楽しい1時間強でした。声をかけてくださったゴガクルスタッフと、NHKおよびNHKエデュケーショナルのみなさんにも感謝します。 |
2009年2月10日 (火)
私の職場でのTOEICの位置づけは
たまにはTOEICの話題でも 最近かなり下火になったようにも感じられるのですが、いっとき、多くの企業でTOEICのスコアが採用基準や昇格基準になる、といった報道が多かったように記憶しています。下火というよりは、定着しただけかな。TOEICという試験が本当に英語のコミュニケーション能力の指標になりうるのか、あるいは、各企業が基準とするスコアが本当に職務上必要な水準を満たしているのか、など、批判的な意見も多いようですが、最近の状況はどうなのでしょう。 私の勤務する会社でも、21世紀に入ってからTOEICの受験を推奨するようになり、数年前には管理職への昇格試験において「一定期間内にTOEICを受験していること」が要件になりました。 もともと仕事内容は国内の比率が極めて高いので、英語のコミュニケーション能力がどの程度求められるかといえば、疑問もあるのですね。なので、「受験していること」という基準はなんだか緩いようでいて、けっこう絶妙なバランスなのかも、と思います。 先日、以前人事部門で担当だった同僚に訊いてみたところ、若手の中では800点台、900点台の社員が相当増えてきているのだとか。頼もしい限りですが、その能力・適性と努力を活かせる事業を拡大していくことも、同時に進めないとね。 「880」というスコアの意味 私のスコアはといえば、3年前で880。社内の管理職の中ではかなり高いほうだと聞きました。とはいえ、880あったって海外へ行ってバリバリと交渉を英語でこなして...なんていうのはムリだということが会社にもわかっているのでしょう、私には海外赴任の話は来ません。あいつを海外に出したってたいした成果なんか出せないだろうし、と思われているかもしれませんしね。 もちろん、会社によって国際化の度合いや人の評価の仕方、育成の考え方はさざままでしょうから、どれが正解、ということではないのですが。 本当にビジネスで使える英語コミュニケーションを問うのなら、TOEICのスコアが800とか850いうのはようやく出発点じゃないですかね。本当に国際的な活躍を望んでハードルを設けるなら、850ないし900くらいでなければ無意味なんじゃないかと私は思います。 まさかいまどき多くの会社の人事部門が、かつての私のように「700点もあったらペラペラなんだよね?」などという美しき誤解はしていないと思うのですが...ときおり見かける「管理職になるためには600点が必要」「730点以上」といった基準は、果たして有効なのでしょうか? 英語力が「点数」で表せる便利さ、でも実効性は? その一方で、個人が学習成果を「目に見える形にしながら」確認して行くには、TOEICはわかりやすくて有効な方法なのだろうと思います。何しろたくさんのひとが受験しているので、少なくとも日本国内では共通言語になっていますし(じゃ、世界中で通じるのか、となると不安ですが)。ただし、結果が5点刻みの「点数」になっていることの問題もありますよね。あくまでも受験者が正規分布していることを前提として数値化されたスコアが、5点10点動いたからといって英語力が向上した証明にはなりません。けれど、出てきた数字にはけっこう振り回されてしまう...多くの企業が「600点」「700点」などといったハードルを設けるのも、理解はできますが、実効性には大いに疑問。 そんなわけで(どんなわけ?)、私はあまり海外赴任の可能性を考えることもなく、ただひたすら趣味として英語の勉強を続けています。 TOEICも会社の人事情報には「860点以上」と登録されるだけなので、この先900点を取ろうが、仮に990点を達成しようが、まあ無意味です。せっかくなので、切りの良いところで900点は取っておきたいな、とは思っているのですが。 それって、とりあえず一度は富士山に登っておこうか、という程度の話なんですけどね。 |
2009年2月12日 (木)
【番外編】RSSリーダーで「ゴガクルブログセレクション」をまとめ購読
「ゴガクルブログセレクション」も、あわせて6つのブログがスタートして賑やかになってきました。 お読みのみなさんの中に、GoogleやLivedoorのRSSリーダーを使って各ブログの更新状況をチェックされているかたがいらっしゃるのではと思います。 Google Reader Livedoor Reader ところが、6つもあるとひとつずつリーダーに登録するのは面倒。しかも、すべてのブログが毎日更新されるわけではないので、フィードはそれぞれ数日おきなので寂しい。 そんなわけで、いまある6つのブログのフィードをまとめて受け取れるようにしました。Yahoo.comの「Yahoo! Pipes」というサービスを使っています。 これでゴガクルブログセレクションで新しい記事が掲載されても、見逃す心配なし。 始めて使ってみましたので、ものすごく単純に6つのブログからRSSフィードを集めて新しい順に並べ替えただけです。他には最近増えてきた広告の混じったRSSフィードから広告行を取り除くのにしか、使っていません。もっといろんなことができるようなんですが。 ほんとうは記事タイトルの後にブログ名か著者名をつけたかったのですが、知識不足のため諦めました。どなたかくわしいかたがいらっしゃいましたら改善していただけると幸いです。 まずはお手持ちのRSSリーダーに下記のURLを登録してください(クリックすると、実際にどんなふうにまとまって配信されるかがわかると思います)。 http://pipes.yahoo.com/pipes/pipe.info?_id=atQHqr743RGDaID4BRNMsA ブログが増えたら、私が元気な限りは(?)順次追加するようにします。 <2009.3.4追記> Ryoさんの『私とアメリカの「昨日・今日・明日」』がスタートしましたね。さっそく上記のパイプに追加しておきました。 |
2009年2月14日 (土)
初めて買った「洋書」のタイトルは
地方の中高生のあこがれは「神田」 私は中学高校と北海道の地方都市に住んでました。アクセスできる最大の書店でも、ハヤカワ文庫の在庫はせいぜい50種類程度、もちろん洋書の取り扱いのある書店など皆無。当時の私は「神田」と聞くだけで幸せになるほど、首都東京の大書店街にあこがれていました。 >ついに神田の書店街に行くチャンスが訪れたのは、高校2年の修学旅行です。 自由時間をあれこれと工面して、私は神田書店街で30分の時間を捻出することに成功しました(自由時間は班行動が義務づけられていたので、私の希望だけで神田を半日歩くことはできなかったのです)。そのとき私の最大の目標は「SF Encyclopedia」の購入でしたが、見つけることができずに、結局買ったのはペーパーバックが3冊だけ。 アルジス・バドリス(Algis Budrys)の「Rogue Moon」と、バリントン・J・ベイリー(Barrington J. Bayley)の「The Fall of Chronopolis」、そしてアンソロジーの「STAR TREK:The New Voyages」でした。 「Rogue Moon」ってどんな意味? 帰路の青函連絡船で(もちろん、当時の地方公立高校は飛行機なんて使わないのです)、私は英語の教師に「この『Rogue Moon』ってどんな意味ですか?」と尋ねたのですが、ここで教師が首をひねってしまいました。「うーん、Rogueってのは『無頼の』とかいう意味だけど、『無頼漢の月』とか『無頼の月』じゃ通じないよなあ...これ小説か、どういう話?」と逆に訊かれて困ってしまいました。私だってわかりません。単にSFっぽいのが他にはなくて、選んだだけだったのですから。 この一件で、私は「やっぱり英語の先生もたいしたことないじゃんか」などと納得してたのですが、よくよく考えれば辞書もなしで「Rogue」の意味がいきなり出てきているだけでも、あの先生かなりの語彙力の持ち主だったんですよね。すみませんでした>S先生 のちにこの本は翻訳が出て、邦題は「無頼の月」、日本語でもわかりません。 でも読めなかった! どんな話だったのかは、訊かないでくださいね。ここまでの私のブログを読んでくださったかたがたなら容易に察しがつくとおり、私はこれらの洋書を買ってはみたものの、「スタートレック」の最初の短編を半分ほど辞書首っ引きで読むだけでいやになってしまい、それっきりだったのですから。たぶん、本そのものも、高校卒業時に知人に大量に譲った中に、入れちゃったんだと思います。 あれ以来、洋書はずっと買いませんでした。なんだかトラウマになっちゃったのですね。2005年になって、何冊かのビジネス関連の本を買って読み切ったとき、ようやく「あ、もう英語の本も買って大丈夫だ」と思えるようになりました。若いみなさんは、買った本はちゃんと読みましょうね。 |
2009年2月17日 (火)
「英語耳じゃ、ないんだな」と実感するとき
コンサート会場で実感したリスニング力の低さ 「英語耳」なんて言葉もありますが、私の場合、自分でもいやになるほどリスニングの基礎力が低いのです。自分なりに相当マシになってきているとは思うものの、知らない単語はおろか、知っている単語でさえ聴き取れないことがしばしばです。昨年秋、妻と連れだってコンサートへ行きました。エサ=ペッカ・サロネン指揮のロサンゼルス・フィルハーモニックの来日公演の初日です。 サントリーホールでの客の入りはせいぜい7割ほどだったものの、演奏は素晴らしく、予定されていた3曲が終わり、アンコールが演奏されたあとも拍手は鳴りやみません。サロネンが2009年までのシーズンを最後に音楽監督を辞任することから、この組み合わせでの来日は最後かもしれない、という事情もありました。 熱狂的な拍手に何度か呼び戻されたあとでサロネンは曲名を告げ、オーケストラに向き直って演奏を始めました。曲はストラヴィンスキーの「花火」。 私はオーケストラの裏側の席にいたので、サロネンが曲名を告げたのは反対側に向かってのことだったこともあって彼がなんと言ったのか全くわかりませんでした。ところが、妻にはしっかりと「Fireworks!」と聞こえたというのです。 なんと二日目も あまりにも素晴らしい演奏だったので、急遽翌日も当日券を買ってでかけました。この日も感動的な演奏が続き、個人的には最後の「ボレロ」が終わったところですでに大満足だったのですが(初日の「火の鳥」に続いて、この日は2曲目の「海」が特にすばらしかった)、もちろん観客はアンコールを期待します。 この日もサロネンは曲名を告げてから演奏を開始しましたが、私には「Sibelius, ..... Melisande.」のふたつしか聞こえません。もちろん「メリザンドの死」だろうなと予想はつくものの、それは曲名を知っているだけのことで英語リスニングではありません。 そしてアンコール2曲目、私に聞こえたのは「... Fire...s」だけ。あれれ、また「Fireworks」なのかしらと思っていたら、始まったのはファリャの「恋は魔術師」から「火祭りの踊り」、彼はたぶん「Ritual Fire Dance」といっていたのですね(ちなみに「恋は魔術師」は初日のプログラムでした)。 聴き取れない条件までわかっているのに どうやらわたしは、英語の強弱のリズムが「弱」になるところでは、知っている単語でさえちゃんと聴き取れないのです。大切な語はアクセントが強くなるので、普段の英会話教室での会話ではなんとかなることも多いのですが、これだと前置詞や冠詞なんかはまず聴き取れませんし、名詞が並んでいるときには後半がほとんど把握できない、ということがしばしばあります。 旅行中でも同じで、同じ人から同じ話を聞いているのに、妻のほうがずっと内容を把握していることが少なくありません。知っている単語は私のほうが多いし、なにより(教室やら教材やらで)投資もしているのに! こればかりは慣れも必要ですから、一朝一夕に改善はできないのですが、ほぼ同じ条件で聞いている妻がずっと多くの情報を受け取っているのですから、基礎能力や適性の差も大きいのだろうなと思います。ああ、語学学習における「耳」ってこういうことなんだなと。 人気コミック「のだめカンタービレ」に主人公が吹き替えされたアニメを繰り返し観ながらフランス語を習得してしまうシーンがあるのですが、ああ、あれって自分には絶対ムリなんだろうなあ、と思うのです。いや、普通ムリか。 |
2009年2月21日 (土)
英会話絶不調、理由はもちろん練習不足
言葉が出てこない! 先日英語で話していて(とか書くと、英語で話す友人でもいるかのようですね。もちろん、英会話教室での話)、もう自分でいやになるくらい、言葉が出てこないという経験をしました。それはまあ、私の場合は英会話とはいっても乏しいボキャブラリを動員してとりあえず意味が通じればなんとかなるだろう、という程度のものですから、「言葉が出てこない」のはわりとあたりまえです。 けれど、今回はかなり基本的な単語さえ、出てこなかったのですね。かなりショック。 たとえば、「痛み」=「pain」 火曜日の夜。あなたの両親はどんな人か、みたいなトピックだったのですが、父の特徴として「とにかく『痛み』をギリギリまで我慢してしまうひとだった(一昨年他界しているので、過去形)」と伝えたかったのですが、「痛み」すなわち「pain」がどうがんばっても思い出せません(水曜日入浴中にようやく思い出したときのショックといったら...こんな基本的な単語を)。もうしょうがないです。「When he had a headache, stomachache or something, he said nothing about them.」とかいうわけですが、これじゃあ通じません。それに。「痛い」と絶対にいわなかったわけじゃないので不正確だし。 講師がいろいろと想像力を働かせてくれてなんとか意味は取ってもらえたんですが、せめて「He was a very patiant man.」くらい付け加えれば良かったのかも。 この一件だけじゃなく、その前にもリストから名前を消す、という話をしたいのに「remove」が出てきませんでしたよ。もう末期的といっても良い状態です。 ええっと、これって年のせい? 考えてみると、英単語だけじゃないですね。人や物の名前、電話番号、あるいは日常的に使う日本語の表現など、ありとあらゆる言葉がとっさに出てこずに、「あー、あれあれ、なんだっけ、あの」という場面が確実に増えてきています。家族や同僚とのあいだだと、共通の情報が多いだけに「あ、あれね、どうだったんだっけ?」などと会話が成立してしまうので、よけいにちゃんと思い出す努力をしなくなります。 もちろん、脳の経年劣化はやむを得ないところですが、年のせいにして諦めるわけにもいきません。それでは、このブログのタイトル自体が嘘になっちゃいます。 基本的には、使わずにすませていた知識は思い出しにくいものでしょう(科学的知識なしにいいきっちゃってはいかんのでしょうが、直感的には、そうですよね)。 なので、できるだけ使う機会を増やすことくらいしか、私には対策は思いつきません。 たしかに、ここ半年くらいはドイツ語の勉強を始めたこともあって、英語に触れる時間がかなり減ってしまっていました。今月に入って、久々に英語の本を読み始めたものの、法事のために数日間間が空いちゃったらそのまま止まっちゃっていますし。 英会話教室は最低でも週に一度は英語に触れる時間を作れるものですが、それだけでは維持さえも危ういということでしょう。 何度も書いているように私は「継続」「コツコツ」「粘り強く」といった言葉に背を向けながら40年以上生きてきた人間なので(笑)、なかなかうまいやり方を思いついていないのですが、毎日少しずつでも英語を読んだり言葉に出してみる時間を作れないか、工夫してみようと思ってます。 |
2009年2月24日 (火)
猛烈に大変だった英会話教室の予習
繰り返しますが、予習は大事 英会話教室に行くのなら、復習はしなくても予習はすべき、というのが私の目下の結論です。英会話教室では予習が大切(2009/1/20) だいたい50分~1時間程度のレッスンのための予習ならば、1時間もかかりません。上記の記事にも書いたとおり、始業の1時間半くらい前に着くように早起きして、会社の近くの喫茶店で勉強するくらいで、十分に終えられます。 とはいえ、この予習はとんでもなく大変だった時期が、半年くらいありました。教室に通い始めて3年目、ビジネス会話の上級クラスに進んだときのことです。 この講座でのテキストは、Amazonでも販売されている洋書で、ヨーロッパの非英語圏でビジネス英会話のテキストとして用いらているものでした。ただでさえけっこうな密度のこのテキストを、毎回1ユニットずつ進める、という過酷なクラスだったのですね。 過酷な予習の内容とは 内容としては、毎回異なるテーマについて意見をまとめて述べるセクション、リスニング、文法と単語のチェック、「Financial Times」などからの抜粋記事が約1ページあって、その内容に関するディスカッションといったものです。これを予習で一通りやると、どうがんばっても2~3時間が必要でした。もう大変なので楽をしたいのですが、人数が少ないクラスで2回に1回はマン・ツー・マンになるし、予習していないとそれこそ全くレッスンにならないのでサボるわけにもいきません。 思えば、この半年間がもっとも勉強が大変でした。これが入校当初だったら、確実にやめていたでしょう。 結局、講師の側からもなにか提案があったのか、半年後にはレッスンの進め方が見直され、1ユニットを2週で終えることとなりました。めでたく予習量は半減です。 思い返せば苦労の甲斐はあったけど いまから思えば、教室に通い始めてからちょうど3年目、TOEICも800点に到達して多少は自信がついてくる時期に、こうした無茶なレッスンに行き当たったのは、ラッキーだったといえるかもしれません。自分なりにかなりムリをしなければ準備もままならなかったので、ひととおり中級から中上級くらいまでのレッスンを終えたあとでもまだまだやるべきことはたくさんある、ということが実感できました。 そして、この時期の予習は、もうひとつ別の効果をもたらしてくれました。これについては、稿をあらためます。 |
2009年2月28日 (土)
なぜ3年目から急にリーディングが伸びたか?
苦労はけっこうちゃんと報われる 前回ご紹介した、とてつもなく予習が大変だった半年間のレッスンの副産物が、「リーディングが急速に得意になっていった」ことでした。猛烈に大変だった英会話教室の予習(2009/2/24) 考えてみれば当たり前のことで、「Financial Times」などの記事をほぼ毎週1ページ分ずつ読まなければならないのです。 しかも、予習に割ける時間など限られていますから、読んで理解するのに30分以上はかけたくありません。ただし、レッスンではこの内容に関してのディスカッションがありますし、場合によっては「1分以内で内容のサマリーを」などといわれますから、きちんと読まねばなりません。結果として、まとまった英文をスピードを上げて読む絶好の訓練ができたわけですね。 背伸びが読解力を高める もともと学校で習った英語も読解力に重点が置かれていましたし、私自身も話す/聴くに比べれば、読むほうが楽です。なんせ、わからなかったら読み返せばいいのですから。それにしても、この時期の予習はかなりハードでした。選ばれた記事によって多少の差はあっても、英字新聞などよりはかなり堅めの、難易度の高い文章です。語彙や文法だけでなく、テーマそのものを理解するために、関連するニュース記事を読んだりといった必要もありました(まあ、あるものは日本語を探したり、しましたけど)。 あわせて、この直後(2005年です)には「毎月1冊、英語の本を読もう」という目標を立て、せっせとAmazonで買った本を読んでいました。毎月1冊はさすがに難しくて、それでも1年で10冊くらいはなんとか読み切ったと思います。 さて、この半年間で、私の英文リーディングは飛躍的に早くなりました。 やはり、自分がちょっとがんばらなければできない程度の努力を継続すると力になってくるものです。自分の意思ではなかったにせよ、この時期に半年間かなりがんばって読む訓練をしたことが、ひとつのベースになったように感じます。 どんなことでも、成長が実感できているのはうれしいもの。ことに、40歳前後になると成長の実感なんて滅多なことでは得られません。けっこうきつかったですが、実りの多い「きつさ」だったように思います。 |