2010年7月 3日 (土)
チキンと呼ばないで
骨なしチキン 今日は友人と久しぶりにあって食事をしたのですが、あるコンビニで注文した品物を待っていたところ、「骨なしチキンのお客様−!」と呼ばれたそうです。 友人は「はい」とはいえずに無言で受け取ったそうですが、きっと店員のほうは自分が失礼なことを言ったとは思っていないのでしょうね。「骨なしチキンを『お待ちの』お客様」といえば何も角は立たないのに。 最近妻ともよく話すのですが、飲食店などで若いかたにサービスしてもらうと、「感じは悪くないが、ちっとも気が利かない」と思わされることが増えています。 たとえば、飲み物がもうすぐなくなる頃合いで追加の注文を尋ねてもらえると気持ちよく頼めるのですが、近頃はわざわざ呼ばないと注文を取ってくれないことが良くあります。呼べばとても元気よく「はい、何にいたしましょうかっ!」とは言ってくれるのでちっとも不快ではないのですが、どうも表層的なサービスに終わっているように思えてなりません。 そんなわけで、きっと人を「骨なしチキン」と呼ぶことが良いとか悪いとか、考えていないのでしょう。 でも、ちょっと考えればわかることだと、思うのですけど。 漢字が流行るのは良いけれど 少し前の話になりますが、3年ほど前にフロリダに旅行をしたとき、インスタントタトゥーの柄に漢字が目立っているのに気がつきました。 「夢」とか「愛」なんていう文字が目立っていて、なるほど中国の存在感が増していることもあって漢字がクールに見えるのだろうな、と納得していました。 しかし、あるときキャップに大きく「鶏」と刺繍されているのを見たときには少々驚きました。 「鶏」は英語だと当然「Chicken」です。 そのキャップをかぶっていたのは、おそらくは10代の若者のグループでしたが、万が一「この文字の意味は何?」などと尋ねられても困ると思い、気づかれないように距離を取ったのはいうまでもありません。 まあ、漢字の意味を教えたわれわれにからんでくるとも思えないのですが、せっかく「クールなキャップを見つけたぜ!」と喜んでいるだろうところで、「それって『Chicken』って意味だよ」と知らせる必要もないでしょう。 日本人にとっては鶏、というより酉は十二支のひとつでもあり、必ずしも悪い意味は持ちません。わざわざ「Chicken」と英訳しない限り、ネガティブな意味は感じないでしょう。 文化的なコンテキストが違えば、言葉の意味も変わってくる典型といえそうです。 このあたりの感覚は、きっと英語圏の人たちが日本で売られているTシャツなどにプリントされた珍妙な英語を見たときの感覚に似ているのかもしれません。私が見ても明らかにおかしな「英語もどき」が目につくくらいですから、おそらくは笑いをかみ殺している人も多いのでしょう。 日本の中にも英語話者が増えていくのに従って、明らかに珍妙な英語もどきも、減っていくのかもしれません。それはそれで、ちょっとつまらない気も、するのですが。 |
2010年7月 6日 (火)
Jeden Tag, ein bisschen, aber regelmäßig
中間試験 「テレビでドイツ語」も半年間の番組の折り返し点を超え、先日は中間試験が行われていました。いいなあ、ドイツ語実践の場、大変そうでしたが、楽しそう。 原沙知絵さんはがんばってキーフレーズを使ってましたが、こうして実際に使える場面を見せられると、同じフレーズなのにスキットの中でよりもずっと活き活きとしてきます。会話ではテンポも大切だから、いちいち考えずにパッと出てくるフレーズや表現が多くなるほどうまく話せるようになりますね。 私は最近、特にドイツ語に関しては口に出す回数を増やさないとな、と強く感じてます。ラジオ講座は通勤電車で聞くことが多く、なかなか大声での発音練習ができません。実際に発話してみないと身につかないというのは、わかっちゃいるんですけど。 中間試験での訪問先はドイツ文化センターのシュメルターさん、外国語を学ぶ秘訣を問われてやはりでてきたのがこれ。「Jeden Tag, ein bisschen, aber regelmäßig」毎日ちょっとずつでも継続して。 もうしつこく何度も書いてますが、私が一番苦手な行動様式です。さて、どうしましょうか。 家庭内公用語を外国語にする 最近なんですが、妻が私に向かって暗号でつぶやくんですよ。 どうやら「冷蔵庫から水を取ってきて」と言っているらしいのだけど、完全にはわかりません。なぜならイタリア語だから。聞き取れたのは「Acqua」とお決まりの「per favore」だけですが、なんか長くいってたのは冷蔵庫だったに違いありません(この季節、飲みたいのは冷たい水でしょうから)。 で、もっていくと「Grazie!」。さすがにこれはわかります。 こんなん書くとすごくスノッブ臭が漂いますが(笑)、毎日の暮らしの中で使うフレーズを外国語でいえるようにしておくと、きっと旅行でも役立ちます。 「~はありますか?」「~をください」「~はどこですか?」といった表現は旅行中にもよく使います。とりあえず冠詞や語尾変化が間違っていたとしても、これらの表現と名詞を組み合わせれば、最低限会話は成立します(しばしば答えが聞き取れない、と言う問題も発生しますが)。 英語はともかく、それ以外の言葉を使う機会というのはなかなかつくれませんから、仕事が終わればほとんど唯一の話し相手である夫婦間で試すくらいが、一番お手軽です。間違ってもちっとも恥ずかしくないし。 問題があるとすれば、お互いにイタリア語とドイツ語でやりとりをしていても、半分も理解できないことかもしれません。それでも、「おはよう」「今日は遅いの?」「疲れた~」などの「いつもの会話」を置き換えれば、それほど考えなくても意味は通じますよね。 英語の社内公用語化について賛否両論かまびすしいですが、家庭内公用語をイタリア語やドイツ語にするぶんには、だれからも文句をいわれる筋合いはありません。 さ、さっそく今日から、帰宅したら日本語を忘れて、EURO24でおぼえたフレーズで会話を始めてみましょう。 指さし単語確認 これは前にも書いたかと思いますが、自宅でも外でも、目についたものを指さしておぼえている最中の単語で呼んでみるというのも使えます。 駅に着いたら、「Rautatieasema!」とか「der Bahnhof!」と叫べばいいわけ(いや、叫ばなくても良いんだけど、元気よくやるのが大事)。これをやって覚えた単語は、さすがに記憶に定着しやすいようでなかなか忘れません。 これだと普段身の回りにないものとか、抽象名詞なんかは対象にできにくいですが、旅行会話で必要になる単語って、案外身の回りにあるものが多いです。 そして、難しい単語をがんばっておぼえるわりには、使う機会がないとわからず仕舞いになってしまい、いざ旅先で必要になって慌てるのも、基本の言葉や表現なんですよね。 というわけで、私なりの「Jeden Tag, ein bisschen, aber regelmäßig」学習法でした。 他になんか良い方法があったら、教えてくださいね。 |
2010年7月10日 (土)
FIFAワールドカップ チャンピオン言語は?
ベスト16ではスペイン語の圧勝 FIFAワールドカップも、残すところ3位決定戦と決勝のみとなりました。 この1ヶ月ほどのあいだは寝不足に悩まされましたが、4年に一度のお祭りですからしかたありません。 日本代表が見事ベスト16に残ったこともあって、2006年のドイツ大会よりもたくさんの試合をリアルタイムで観たのですが、やはり印象に残るのはスペインやオランダ、あるいはチリやメキシコなどの攻撃が美しいチームです。 いつかは日本代表も、この舞台で華麗なパスワークで相手の守備を崩す芸術的な攻撃を見せてくれるでしょうか。 さて、そんなわけで寝不足が続き、しかも油断して風邪までひいてしまったためにまたしてもネタ切れに困ってしまい、考えついたのが「ベスト16にはどんな言葉が残ったのか」です。 南米/中米の活躍が目立った今大会ですので、当然のごとくベスト16の中でも目立つのはスペイン語です。16カ国のうち、スペイン語を公用語とする国が「ウルグアイ」「チリ」「アルゼンチン」「メキシコ」「パラグアイ」「スペイン」と6つあり、実にシェア3分の1です。 これに続くのが英語で、「アメリカ合衆国」「イングランド」そしてアフリカ唯一のベスト16となった「ガーナ」も公用語は英語とのことです。 「ブラジル」と「ポルトガル」で使われているポルトガル語はこのふたつだけ。意外だったのは、ブラジルのすぐ南にあるウルグアイでもスペイン語が公用語となっていたことでした。 ブラジルだけがポルトガル語を公用語とするようになったのは15世紀末の「トルデシリャス条約」によるところが大きいのでしょうが、なるほどこのときの分割線はいまでいうブラジルの東側3分の1程度のところで切られています。 では1国ずつの言語は それぞれ一カ国しかベスト16入りしなかった言語は全部で5つでした。韓国、オランダ、スロヴァキア、ドイツそして日本です。 これらのうち、複数の国で公用語とされているのが韓国/朝鮮語、オランダ語、そしてドイツ語です。日本語とスロヴァキア語は、それぞれの国で公用語とされているのみ。 この記事を書くために調べていて始めて知ったのですが、南米大陸のスリナム共和国がオランダの植民地であったためにオランダ語を公用語としています。もっともサッカーは弱いようですが。 それに、今大会の舞台である南アフリカや隣のナミビアで話されているアフリカーンス語はオランダ語からの派生語です。南アフリカの活躍次第では2カ国をベスト16に送り出せたところだったのですが。 ドイツ語圏にはドイツの他にスイスとオーストリアがあり、ルクセンブルクやリヒテンシュタインも加えて良いかもしれません。 この中でスイスは今大会にで出場しており、決勝まで残ったスペインに唯一土をつけたチームでもあります。ホンジュラスに勝っていれば得失点差によってはベスト16入りも可能でした。残念。 さて、優勝の行方は 日本が惜しくもPK戦で敗れて以降は、ドイツを応援していたのですが、そのドイツも準決勝でスペインに負けてしまいました。 なんだけ、2試合強豪国を相手に圧勝してしまったものだから、受けて立ってしまった感じの負けでしたね。「何事にも手を抜かない」ドイツらしくない結末でした。 決勝を戦うのはオランダとスペイン。 どちらが勝っても初優勝ですが、ここは南アフリカが「準ホーム」ということでオランダを応援してみようかと思います。 試合はまたしても月曜の早朝ということで、早めに寝てもその後の一日がつらいところなのですが、せっかくここまで何試合も観てきたのだから、決勝戦もリアルタイムで応援しようと思ってます。どちらが勝つにしても、緊迫感のある、おもしろい試合になりますよう。 |
2010年7月13日 (火)
和文を訳すか、外国語で書くか
ドイツ語日記ももうすぐ半年 2月1日からスタートしたドイツ語の日記は、5ヶ月と2週間を経過しようとしています。 以前も書いているとおり、必ずしも毎日ではなく週末や月曜日にまとめて数日分を書くこともありますが、なんとか続いてます。しつこいようですが、こんなに続くなんて私の人生における一大事といっても良いほどです。やはり年を取ると変化に弱くなる代わりに、なにかを継続するのが平気になってきたのでしょうか。 この日記を始めてわりと早い段階で気がついたのは、「日本語で書くことを考える → ドイツ語に直す → 書く」という手順はダメらしい、ということです。 日本語はなんといっても母語ですから、かなりややこしい概念でも表現できちゃいます(や、「その割にはブログの文章は...」といったおしかりは別の機会に承ります)。けれど、ドイツ語でも、もちろん英語でも同じことが表現できるわけではありません。 また、日本語の表現をそのまま外国語にできるわけでもなく、結局は辞書を何度も引いたあげくに書きたい内容は書けずじまい、ということになります。 英作文のコペクニクス的転換 私は18歳の春を大学生としては迎えられず、とある街の予備校生として毎日鬱々と受験勉強に明け暮れて...はいませんでした。 浪人といったって気楽なもので、けっこう遊んでましたね。でも予備校にはそこそこ真面目に通ってました。なんといっても授業料は大学よりも高かったのですから。 予備校では当然英作文の授業があったのですが、ここで私が教えられたのは「高校のテストでは教科書に出てきた構文やイディオムを使わないと×になる。けれど、大学の試験では問題の意味が伝わる英文になっているかどうかが問われている。高校での英作文は忘れなさい。」というメッセージでした。 中学高校の英語のテストで、「その鞄は重すぎて運べません」という設問があって「The bag is too heavy to carry.」と「too〜to」の構文が出題の意図だとします。 この場合、「I can't carry the bag because it's very heavy.」とか「The bag is so heavy that I cannot carry it.」といった回答に満点を与えるかどうかは、教師の判断にゆだねられます。 少なくとも私の場合には、これらは「出題意図と違うので、中間点のみ」となることが多かったのです。 でも、その予備校の講師によれば、上記はすべて正解。 もちろん、「中ではこれが一番英語として自然」とか「この問題の場合は、この構文を使うことが想定されていると思う」といった意味での「最適解」はありました。しかし、求められた日本語の意味を英語で表現するという点では、どれでもOK これは私にとってはちょっとしたコペルニクス的転換でした。 英語で考える、ドイツ語で考える 私の語学力など未熟なものですから、小説「ファイアフォックス」の主人公のようにロシア語で思考して指示をしないと飛ばない戦闘機を操ることなんてできません。 当然、日記くらいの簡単な文章でも、最初から最後までドイツ語で考えて書く、というのはまだちょっと難しいです。 けれど、「よし、昨日観たテレビドラマのことを書くか」と日本語で考えついたら、その先はできるだけ日本語をやめます。 たとえば「Der Hund は sehr hübsch で、Ich denke ええっと er ist mein Hund だったらいいな」などと、できるだけドイツ語を交えつつ内容を決めていきます。これだとドイツ語に直すのが難しい表現は最初から使えません。 で「Der Hund ist sehr hübsch. Ich habe gedacht, dass er mein Hund wär.」と書くわけです。 英語のときにはもう少し「英語で考えられる」範囲が拡がります。 先日も英文での短いレポートを書く必要があったのですが、日本語で考えてしまうと確実に英訳できないか、できたとしても不自然なものになってしまうことが予想できました。 そこでまっさらなところから英語で書き始めたのですが、ここで重要なのは「一通り書き終わるまで辞書は使わない」ことだと思います。 それじゃあ書けないじゃん、と思うかもしれませんが、そもそも辞書で調べなければ使えないような単語で書いたのでは、多くの場合は不自然きわまりない英文を書いてしまいます。 和英辞書に頼りながら書いた英文がほとんどの場合自然なものにならないというのは、多くのかたが実感しているのではないでしょうか。 もちろん名詞や形容詞などが出てこないときもありますが、どうしてもというときにはそこだけ日本語で書きます。このくらいはあとで調べて置き換えればよろしい。 その結果できあがった文章のできがどの程度かは、必ずしも重要ではありません。 大切なのは、知らなかった表現や言葉を見かけたら、次に文章を書くときにそれを使ってみようとすること。この方法では自分の中である程度消化された表現しか使うことができませんから、実際に使えるようになるまではけっこうな時間がかかります。 けれど、繰り返すことで表現の幅が拡がり、少しずつでも「書ける」ことが増えていきます。その一歩が、大事なんではないかと。 |
2010年7月17日 (土)
Webの文章もKindleで
Kindleとの3週間 突然の値下げ(ってことは、新バージョン登場間近?)に衝動買いした電子書籍リーダー「Kindle2」が届いてから3週間が経過しました。 いまや日本語であっても「紙の本」を持ち歩くのがだんだんいやになってきています。こうなると早くハードの日本語への対応と、日本語のほんの販売を始めてもらいたいですね。文庫や新書ならば最初から買いやすい値段なのだから、紙と同じ値段でも良いですよ。 ただ、今のところ読んでいるのは、Amazonで購入した本ではありません。 定期購読者向けにWEBで配信されている雑誌の記事をKindleの形式に変換したり、Feedbooksなどで入手できるパブリックドメインの本がほとんどです。また、「青空文庫」の作品をKindleで読みやすいPDFに変換してくれる「青空キンドル」も重宝に使わせてもらっています。 WEBよりKindle 昨日読み終えたのは、フィンランド出身の作曲家であり指揮者でもあるEsa-Pekka Salonenが作曲家グスタフ・マーラーを語ったインタビューのスクリプトです。 約12分のインタビューからの起こしなのでそう長いものではありませんが、私が普段使っている画面で10回ほどスクロールする必要があります。このくらいの長さになると、コンピュータの画面上で集中して読み続けるのは少々苦痛になります。 試しにこのインタビュー記事をKindle形式に変換して、電子書籍として読んでみました。 コンピュータの画面よりは読みやすいだろうと思っていましたが、結果は予想を大きく上回るものでした。これは「文章を読む」という観点からは全然別次元のものです。 世の中のすべてのWEB上の文章を電子書籍リーダーで読めれば、同じ文章からずっと多くの情報を読み取れるだろうと思えるほどの違いです。 まず電子書籍リーダーには余計な情報は表示されませんから、目の前の文章への集中度が全く違います。 その上、電子インクによる表示画面はずっと見ていても紙の本と同様に目が疲れにくく、長時間の読書を想定するなら、液晶画面などとは比べるべくもないほどです。少なくとも長い文章を読むのなら、私には液晶画面は考えられません。 WORD文書も 5月から毎週通っている、英語で授業が行われる大学でのグループ課題では、電子メールとファイル共有サービスを使って作業を進めます。 このファイルを読んで内容をチェックする際にも、WORD文書をKindleの形式に変換して読んでみました。 こちらも、細かな図表は別として、テキスト部分についてははるかに読みやすく、内容のチェックが短時間でできました。 おうやら、少なくとも私にとっては、文字重宝を読むのであればコンピュータの画面よりも電子ペーパーを用いた電子書籍リーダーのほうがはるかに優れた機器だといえそうです。 私が買ったKindle2では、画面サイズが文庫本と同じ程度なのでA4サイズの文書を表示するには少々狭すぎます。文字も小さくなりすぎますね。 そんなわけで、大画面のKindle DXも買っちゃおうかな、という誘惑に駆られています。 他での必要もあって、この2ヶ月ほどはかなり集中的に英語の文章を読み続けているので、英語を読むスピードがだいぶ早くなってきました。 そろそろ無料で読める文章だけでなく、小説を買って読んでみても、良いかもしれません。 |
2010年7月20日 (火)
フォースと英語にまみれつつ
フォースにまみれる ちょうどいま、BSハイビジョンで6日間連続で放映されている映画「スター・ウォーズ」のエピソード4「新たな希望」を観ています。 「フォースにまみれる」と題されたこの連続放送、それほど期待はしていなかったのですが、いざ始まってみると毎日楽しんでいます。レーザーディスクもDVDも所有しているのですが、ハイビジョン画質で観るのはひと味違います。 このエピソード4は1977年の作品で、実に33年間です。 私はこの作品を地元の映画館で観たのですが、たしかにヒット作にはなったものの、いまほどの人気ではなかったように記憶しています。私は中学生でしたが、たしかこれを劇場で観たのはクラスでほんの数人でした。 あとで作られたシリーズと比べると、さまざまな点で古さがあるのは否定できませんが、実に良くできた作品です。単独の作品としての完成度は、6つのエピソード中文句なしの一番でしょう。 何回観たかな 始めて観てから30年以上、映画館ではシリーズのあとの作品が公開されたときに同時上映されたりしましたし、何度となくテレビでも放映されました。 上述したように、DVDはもちろん、懐かしのレーザーディスクでもエピソード4から6を購入しました(もっとも、レーザーディスクを買ったのは1995年ころでしたが)。なんと、DVDやブルーレイが当たり前となったいまからでは考えにくいのですが、2枚組ディスクは途中でひっくり返さないと続きが観られません。こんなに大きいのにね。 ちなみにこのディスクは各5,700円、高かったですねえ。 主にこのレーザーディスクで、休日などに何度も何度も観返しています。 やはり最も多く再生したのは、エピソード4でしょう。すべてではありませんが、かなりの台詞は観ながら空で言えてしまうほど。 以前にも書いたことがあるのですが、気に入った作品を何度も繰り返し観ることは、英語のリスニングの練習にもなります。 ドラマや映画で英語レッスン(2009.6.16) できれば、単に観て聞き取るだけでなく、シャドウイングの練習素材にしてしまうのがよいでしょうね。 「Use the force, Luke!」とか、かっこいいじゃないですか。 テレビ放送では無理ですが、DVDやブルーレイならば英語字幕を表示させることもできますから、完全に聞き取りができなくても大丈夫です。 お、いままさにルークがデススターを破壊するところです。何度観ても、ハン・ソロの再登場からデススターの爆破、そして凱旋式につながるシーンは心躍ります。 それがどんな作品であれ、好きな作品を字幕なしで理解できたり、字幕では表現しきれない台詞のニュアンスがわかってくるのも、あれこれと苦労しながら学習を続けたたまものともいえそうです。 |
2010年7月24日 (土)
「英語で勉強」シーズン1終了!
長いようで短い10週間 東京都内にある大学での、英語で授業を受ける10週間が本日無事終了しました。 思えば、この教育機関の存在を知ったときからは2年近くが経過しています。もともと、昨年春までの英会話教室の契約期間終了後の代替案として資料を請求し、結局もう一年英会話教室に通うことにして、ようやくこの5月から始めたもの。 英語で勉強してみた(2010.4.24) 英語「で」勉強する ~ 接触編(2010.5.25) 暑いしオランダだし、プレゼン終わったし(2010.6.19) 毎週土曜日の朝からの授業でしたので、この10週間というものは土曜日だというのに起きるのは普段とあまり変わらず(それでも30分ほどは遅く起きていましたが)。 しかもグループワークの課題が2回、個人で提出するレポート課題が3つと、けっこう真面目に勉強する羽目に。もうちょっと楽だと思っていたのですが... 後半のグループ課題ではランチミーティングをしたり、あるいはメールで意見交換をしながら資料を仕上げたりと、英会話教室ではなかなかできない体験もできました。 仕事では英語を使う機会がないので、旅行を除いては「英語を使った」という実感がもてる機会はそう多くはありません。授業中はそれほどたくさん発言するチャンスもありませんから、グループ課題があったのは非常にラッキーでした。 けっこうなんとかなる 中学校から通算するとけっこう長い間英語を勉強しているのに、英語が話せない理由のひとつとして、「完全な文章を組み立てようとしてしまうから」ということがよく言われます。 実際に話す(あるいはメールを書く)となると、ある程度間違いがあっても、あるいは単語の羅列になっても、ひとまず伝わることが大事なので、かなりの程度この障害を取り払うことができました。 英会話教室では比較的現実に近い訓練が可能ですが、それでもそこは教室内なので、講師やクラスメートはこちらが何度か言い直すのを根気強く待ってくれます。 けれど、グループ課題のための打合せをしたり、あるいは雑談をしたりといったときにいちいち文法を気にしながら話す余裕などありません。とにかく相手の話を理解しながら、タイミング良く言葉を返さないと会話になりません。頭の中でこれから話す英語の文章を組み立てて、なんていうことはできないわけです。 グループ課題のプレゼンも同じで、事前にスクリプトを用意しておいて読み上げることなどできません。 なので、その場その場の状況に応じて話す内容を変えたり、冗長な部分ははしょったり、さらには冗談を交えたりといった工夫も必要。母語で会話をしているときにはさしたる苦労もなくできていることでも、外国語となると難易度がちょっと上がります。 でもまあ、必要に迫られてやってみたら、意外となんとかなった、というのが実感です。 英会話教室の中は実践とは違うのはたしかですが、レベルが上がって留学経験や海外在住経験のあるかたとも話す中で、それなりのシミュレーションはできていたように思います。 次は9月から 学校なので夏休みがあって、秋の学期が開始されるのは9月です。 今のところは他にプランもなく、なにか関心の持てる講義を見つけて申し込むつもりでいます。もっとも、土曜日の朝からの授業がちとつらいかな、という思いもありますが(土曜も6時台から活動を開始すると、一日が長くて良いんですけどね)。 毎週20ページ程度のテキストを事前に読んで理解し、授業では講師の説明やクラスメートの発言を聞き取り、たまには発言し、レポートを書き、グループ課題の打合せをしてメールのやりとり、そしてプレゼンテーション資料の作成と、「英語を使ってなにかをする」というのは、たしかにしんどいけど苦痛ではありません。 集中して読んだ分、このところ英語を読むスピードも速まってきているように思います。 こんなことは8年前に英語の勉強を始めたころには、空想はできても想像はできませんでした。 なんだかんだといって、「できること」が確実に増えているのを実感できるのはやはりうれしいものです。勉強を再開してから2年目に入ったドイツ語でも、あと数年続ければいまよりもずっと「使える」ようになるでしょうか。 |
2010年7月27日 (火)
Meisterまではあと何年?
ひさびさに本を買いました なんと驚いたことに、7月に入ってからはずっと「本」を買っていませんでした。 6月の下旬に4冊ほど買った日本語の本がまだ積んであること、学校のテキストなど読まねばならないものが(しかも英語で)あったこと、そして電子ブックリーダーのKindleが6月下旬に届いて以来いろいろな文章をこれで読んでいたこと、などがその理由。 なかでもKindleでは、WEBに掲載されているインタビュー記事や、購読している雑誌の記事(定期購読者はWEBで電子版もすべて読めるので)を変換して読むのにも大変便利です。 Kindleがやってきた(2010.6.26) Webの文章もKindleで(2010.7.17) 英語の文をかなり集中して読んだということでは、7月は「読書月間」だったといえなくもありません。 それでも、毎月お小遣いの続く限り本を買い込むのが半ば習性になっている私にとっては、異例の一ヶ月間だったともいえそうです。 ところで購入した本は3冊です。 ひとつは、今年から来年にかけて生誕150年と没後100年を相次いで迎える作曲家グスタフ・マーラーのディスコグラフィ、そして残るは「フィンランド語のすすめ初級編」(佐久間淳一著)と「マイスタードイツ語コース3 語法」(関口一郎著)でした。 ちょうど10週間にわたる英語での授業を修了した開放感から「英語以外のことを!」という気分がよく現れたお買い物といえそうです。 マイスターどころか この「マイスタードイツ語コース」は、おそらく中級以上のドイツ語学習者にとってはなじみ深い本なのではないかと思われます。 私も以前から存在は知っていたものの、「まだちょっと早いだろう」と敬遠していたものですが、今回1と2を飛ばしていきなり3を購入しました。 理由としては、ついに6ヶ月目が終わろうとしているドイツ語日記で、最近動詞や前置詞の選択に迷うことが多くなってきたため。電子辞書の説明や基本文法書の解説だけではどうしても語の持つニュアンスの差や使い方などがわからないのです。 そこで、一番近い内容について書かれた第3巻の「語法」を選びました。おいおい、1と2も買って読むでしょう。 もっとも、私がすでに「マイスター」の域に達したのかといえばどんなことはまったくありません。ジェダイの騎士でいえば、ようやく騎士になれそうな気がしてきたパダワンといったところ。 なので、「Meister Deutsch Kurs」ではなく「Ritter Deutsch Kurs für Padawan」というくらいの書名にしていただけると、ちょうどあってくる感じかと。 なんども読まなくちゃ 通勤の友として、「マイスタードイツ語コース」の第1部を読み終えたところですが、もちろん、一度読んだからといって豊富な内容をすべて理解し体得できるわけがありません。 いきなり「sein」から始まり、存在論のような哲学的な話題に突入したときには、「うーん、やっぱりドイツ語だなぁ」と苦笑混じりに読み進めたのですが、幸いなことに、基本的には日常よく使われる表現とその解説が軽いタッチで続きます。なので、初学者が読んでも楽しめるでしょう。 「wissenとkennen」「denkenとglauben」「sagenとsprechen」など、普段ドイツ語を学んでいてときおり「?」と思う基本動詞の意味の違い、使われかたの違いについて、納得の解説が読めます。まさに快刀乱麻を断つ感じ。 第2部にはいると、私が一番知りたかった「前置詞」の使い方についての記述が始まります。これを何度か読んで理解すれば、いちいち「あれ、この場合はinなの、aufなの、それともbei?」なんていう悩みも少しは減るでしょう。 おおむね3~5つのLektion毎に練習問題があり、案の定、一度ではすべてに正解できません。 欲をいえば、この練習問題のボリュームがもっと多ければ、繰り返しの訓練もできるのですけどね。あまり贅沢をいってもしょうがありません。 本文中の豊富な例文を、自分なりに整理して何度も読み返して意味の違いを消化することできっと先々役立ちそうです。 ドイツ語マイスターまであと何年かかるかわかりませんが、折に触れて開くたびに、おそらく新たな発見があることでしょう。 |
2010年7月31日 (土)
Bravo!
トリノ王立歌劇場公演 本日(7月31日)、上野の東京文化会館にて、来日中のトリノ王立歌劇場(Teatro Regio di Torino)の公演を観てきたところです。演目はプッチーニの「ラ・ボエーム(La Bohème)」、トリノはこの作品が1896年に初演された場所でもあるそうです。 ミミを歌うのはバルバラ・フリットリ、ロドルフォはマルセロ・アルバレス、そして指揮者は劇場音楽監督でもあるジャナンドレア・ノセダという豪華な布陣です。 チケットを買ったのはすでにいつだったか忘却の彼方ですが、改めて今朝チケットを取り出すとB席なのに27,000円です。 これでもセット券なのでバラで買うよりも安かったのですが、やはり海外オペラハウスの引っ越し公演はそれなりのお値段になりますね。ちなみにS席は39,000円、本日の東京文化会館はほぼ満席でした。すごい! チケットが高額になる引っ越し公演の場合、本当にその価格に見合うだけの舞台を提供してもらえるのか、少々不安もあります。フリットリのようなスター歌手が主役を張るとはいえ、当日まではキャンセルのリスクもあります(私は第1幕でお目当ての歌手が降板したところに居合わせたこともあるので)。 しかし今回の「ラ・ボエーム」は、前半の第2幕までで十分に元が取れた気になれました。歌手、オーケストラともにきわめて高水準で、ほとんど弱点の見あたらないすばらしい舞台。 とくにバルバラ・フリットリはもともと常に高水準を維持している印象がありますが、期待を遙かに上回る歌を聴かせてくれました。 また、ノセダ率いるオーケストラも非常に情感あふれる演奏で、さすがにプッチーニだけのことはあってコンサートを聴いたかのような満足感まで味わうことができました。 「ぶらぼー」じゃなく「Bravo!」でお願い 私がオペラやオーケストラの演奏会でいつも恐れているのが、「自己満足ブラボー屋さん」の出現です。 曲が終わると同時に、「どうだい、オレは通なんだぜ」とばかりに間髪入れずにダミ声を上げる「フライング・ブラボー」は、1時間ないし2時間の演奏会を台無しにするという意味では犯罪とさえいえます。 この「Bravo」、アクセントは「a」にくるのでカタカナで書くと「ブラーヴォ」に近い発音になりますね。 ところが、日本では「ブラボー」と定着してしまったために、実際に聞くとなんだかちょっと締まりが悪くなりがち。興奮して叫ぶものだから、「ぶああああ」とか「ばぼおおお」になっちゃってるかたも。まあ、それでも演奏者には気持ちは伝わるのでしょうが。 それほど多くはありませんが、演奏後の絶妙なタイミングで「Bravo!」が飛び拍手が始まると、「やるな」と思わされます。でも、これはかなり難しいので、やっぱり拍手が始まってから声をかけるのが無難ではないでしょうか。 Bravo! Brava! Bravi! イタリア語を学習中のかたにはおわかりのとおり、「bravo」だと男性単数です。これが女性単数ならば「brava」、複数ならば「bravi」となりますね。 たとえばソプラノ歌手がすばらしいアリアを歌い上げたあとに声を上げるのなら、「Brava!」が正解。イタリア以外では一括して「Bravo!」で済ませても問題はないようですが、せっかくイタリアから来てくれた歌手と演奏者、スタッフにはイタリア風に声援を送りたいものです。 今日の上野には通い慣れたファンも多かったようで、第4幕が終わったあとでのカーテンコールでは「Bravi!」が飛び交っていました。 せっかく演奏者に声をかけるのなら、「bravo」「brava」「bravi」くらいは使い分けられるといいですね。たいした手間じゃないのだから(一応女性のみ複数に対する「brave」もありますが、あまり使う機会はないですね。すぐに思いつくのはプッチーニの「修道女アンジェリカ」くらい?)。 まあ、実際にはあまり細かなことを気にしながら声をかけるより、楽しめば良いんです。 私は実のところ、非常に感動した場合でも声をかけたことが一度もありません。拍手は心を込めてやっているつもりですが、「Bravo!」にはどうしても「通を気取る」気恥ずかしさを感じてしまうのですね。 さて、トリノ王立歌劇場の公演、明日は「ラ・トラヴィアータ(La traviata)」にもでかける予定です。次もまたヴィオレッタ役がナタリー・デセイ、ジェルモンがマシュー・ポレンザーニと期待を持たせてくれます。早く寝て体調を整えなくちゃ。 |