2010年7月 3日 (土)
チキンと呼ばないで
骨なしチキン 今日は友人と久しぶりにあって食事をしたのですが、あるコンビニで注文した品物を待っていたところ、「骨なしチキンのお客様−!」と呼ばれたそうです。 友人は「はい」とはいえずに無言で受け取ったそうですが、きっと店員のほうは自分が失礼なことを言ったとは思っていないのでしょうね。「骨なしチキンを『お待ちの』お客様」といえば何も角は立たないのに。 最近妻ともよく話すのですが、飲食店などで若いかたにサービスしてもらうと、「感じは悪くないが、ちっとも気が利かない」と思わされることが増えています。 たとえば、飲み物がもうすぐなくなる頃合いで追加の注文を尋ねてもらえると気持ちよく頼めるのですが、近頃はわざわざ呼ばないと注文を取ってくれないことが良くあります。呼べばとても元気よく「はい、何にいたしましょうかっ!」とは言ってくれるのでちっとも不快ではないのですが、どうも表層的なサービスに終わっているように思えてなりません。 そんなわけで、きっと人を「骨なしチキン」と呼ぶことが良いとか悪いとか、考えていないのでしょう。 でも、ちょっと考えればわかることだと、思うのですけど。 漢字が流行るのは良いけれど 少し前の話になりますが、3年ほど前にフロリダに旅行をしたとき、インスタントタトゥーの柄に漢字が目立っているのに気がつきました。 「夢」とか「愛」なんていう文字が目立っていて、なるほど中国の存在感が増していることもあって漢字がクールに見えるのだろうな、と納得していました。 しかし、あるときキャップに大きく「鶏」と刺繍されているのを見たときには少々驚きました。 「鶏」は英語だと当然「Chicken」です。 そのキャップをかぶっていたのは、おそらくは10代の若者のグループでしたが、万が一「この文字の意味は何?」などと尋ねられても困ると思い、気づかれないように距離を取ったのはいうまでもありません。 まあ、漢字の意味を教えたわれわれにからんでくるとも思えないのですが、せっかく「クールなキャップを見つけたぜ!」と喜んでいるだろうところで、「それって『Chicken』って意味だよ」と知らせる必要もないでしょう。 日本人にとっては鶏、というより酉は十二支のひとつでもあり、必ずしも悪い意味は持ちません。わざわざ「Chicken」と英訳しない限り、ネガティブな意味は感じないでしょう。 文化的なコンテキストが違えば、言葉の意味も変わってくる典型といえそうです。 このあたりの感覚は、きっと英語圏の人たちが日本で売られているTシャツなどにプリントされた珍妙な英語を見たときの感覚に似ているのかもしれません。私が見ても明らかにおかしな「英語もどき」が目につくくらいですから、おそらくは笑いをかみ殺している人も多いのでしょう。 日本の中にも英語話者が増えていくのに従って、明らかに珍妙な英語もどきも、減っていくのかもしれません。それはそれで、ちょっとつまらない気も、するのですが。 |