2012年9月26日 (水)
ニルスさん? ネルスさん?
図書館の問題 今年に入って、職場近くの図書館を利用するようになりました。 本が売れずに出版点数が減ってしまうのは困るので、できるだけ買って読みたいのですが、買った本を収納する場所もなく、机のまわりに積み上げるにもさすがに限界があります。 東京都にはけっこうな税金も払っているのだしね。 図書館で借りるといっても、昼休み中に帰ってこなければなりませんから、書架を眺めて「さて、どれを読もうか」などと考えている余裕はありません。 幸い、図書館の蔵書はネット上で検索が可能なので、事前に調べて予約しておいたものを、返却と入れ替わりに借りてくる、という使い方になります。これだと、カウンター滞在時間は長くても5分で済みます。 この方法は時間的にはとても効率が良いのですが、問題があるとすれば借りて読み始めた途端に、「あ、これはちょっと...」となってしまうことが避けられないことです。 思った内容ではなかった、文章が好みではない、など、期待はずれとなるケースはいろいろですが、けっこう多いのは「私の知識レベルでは難しすぎた」というパターン。 ちょうどいま読んでいる「ゲルマン語入門(清水誠 著)」もこれでした。最低限の言語学の知識なしに読み進めても、なかなか理解できません。火曜日から読み始めて、ようやく150ページです。しかも、半分以上理解できていません。 同じゲルマン語といっても ドイツ語をやっていると、ご近所の言葉、たとえばオランダ語やスウェーデン語などのゲルマン系の言葉はお互いに似通った単語も多くてわりと憶えやすいんじゃないか、と錯覚することがあります。 でも、黒田龍之介氏だったか、「近い言語を同時に学ぶのは難しい」と書いてあるのを読んで記憶がありますが、下手に近いぶん混乱してしまう可能性が高そう。 同じ日本語とはいっても、いわゆる標準語と関西弁とではアクセントが大きく違うように、一見似たように感じられるゲルマン語にも、大きな違いがあります。 もちろんドイツの中でも同じ言葉を話しているわけではありません。また、「フリジア語」とくくられる言葉は3カ所で話されていますが、それぞれに差が大きく、お互いに会話が通じにくいほどなのだとか。 ニルス・ガーデさんとネルス・ゲーゼさん Niels Gadeさんという作曲家がいます。1817年に生まれ、1890年になくなったデンマークの作曲家で、交響曲を8曲書いているほか、メンデルスゾーンの死後にライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者にもなった人です。 この名前、ドイツ学習者はなんの疑いもなく「ニルス・ガーデ」と読んじゃうのですが、デンマーク語では「ネルス・ゲーゼ」さんになるようなのです。 こういうのってけっこう困りもので、たとえば検索する時に「ガーデ」とやってもすべての情報にはヒットしないのですね。 「新世界から」で有名な「Antonín Dvořák」の場合、日本での呼び名は「ドヴォルザーク」もしくは「ドヴォルジャーク」でほぼ決まっていますが、これを本来のチェコ語の発音で聞くと「ドヴォジャーク」に近く聞こえます。実際、英語で話す時に「ドヴォルザーク」といっても、まずわかってもらえません。 デンマークの作曲家といえば、「Carl Nielsen」さんも忘れてはなりません。 これも日本では「カール・ニールセン」となっていますが、「ネルセン」と読むほうがデンマーク語での発音には近いようです。個人名なのだから、その国の言葉に近づけるほうが良かろうという立場からは、ネルセンにしたほうが好ましいのでしょうが、すでにニールセンとして知られてしまっている以上、変えていくのは容易ではないでしょう。 どうも固有名のカタカナ表記というのははなはだ中途半端なところがあって、「Richard Wagner」は「ヴァーグナー」よりも「ワーグナー」です。また「Bruno Walter」はほとんどの場合「ブルーノ・ワルター」。 「Wilhelm Furtwängler」にいたっては、「ウィルヘルム・フルトヴェングラー」などと書かれたりもしますから、語頭での「ヴ」音は嫌われているのでしょうかね。 できれば現地での読み方に近く、あるいは本人が「こう読むのだ」と思っていた音に近い表記にしたいところではあるのですが、あまり厳密に考えてもしょうがない問題でもあります。 おそらくNielsenもGadeも、ドイツにいる時にはドイツ風に読まれていたのでしょうし(呼ばれるたびに訂正していたら、きっと疲れちゃうでしょう)、通例となってしまったものについては諦めて多数派に習っておくのが、気楽ではあります。 |