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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2009年7月 4日 (土)

テーマパークで英語を使おう! ~ Vol.4 アトラクションへGO!
やっぱりアトラクションですよね
テーマパークにいくのなら、やっぱり日本にはないアトラクションにしっかりと乗りたいですよね。ましてやウォルト・ディズニー・ワールド(Walt Disney World)には4つもテーマパークがあって、それぞれに魅力的なアトラクションがひしめいています。
せいぜい1週間の滞在では、とてもすべてを回りきることはできませんが、やはり有名どころはきちんと押さえたいものです。

幸いなことに、よほどのハイシーズンや(年末のホリデーシーズンとかですね)オープン間もない人気アトラクションを除くと、日本の東京ディズニーランドよりは行列は少なくて済みます。
それでも、週末を中心に120分といった列になることもありますし、並ばずに乗れるファストパスがはやばやと発行完了になってしまうこともあります。そんなときは、日を改めて平日の午前などに再チャレンジするのもありでしょう。

必ず訊かれるのは「人数」
人気アトラクションの列で待つこと30分、もうすぐ乗り場だ! というところで必ず受ける質問があります。

 Cast:How many? (何人?)
 Guest:three! (3人!)

簡単ですよね。要するに、人数の確認です。日本でも一緒ですからすぐわかったかと思います。
注意点としては、できるだけ大声ではっきりと答えることです。乗り場はけっこうざわざわとしていますから、小声で「three...」なんて言ったってわかってもらえませんよ。「3人だ、文句あっか!」くらいの勢いで。

人数がらみだと、あと一人、あるいは二人分の席が空いていて、次に待っているのが人数の多いファミリーなどのグループだった場合、隙間に詰め込める(?)ゲストを捜すことがあります。
東京ディズニーリゾートにも、「シングルライダー」ってありますよね。あれと似たようなものですが、予め申告するのではなくその場でキャストが探すところが違います。

 Cast:Party of two? (二人組はいない?)
 Guest:Yes! Two! (はい、いますよ)

あまりに後ろのほうから声を上げてはさすがに図々しいですから、自分たちより前に該当するゲストがいなそうだと思ったら手をあげましょう。ここでも、ざわついてますから、手をあげて大きな声で。
もちろん、最後に乗り込むわけですから、席はそれほど良くはありません。待ち時間をできるだけ少なくして、次のアトラクションに向かいたいときなんかは良いんじゃないでしょうか。

席を選びたい!
私の大好きなアトラクションに、アニマルキングダム(Disney's Animal Kingdom)の「キリマンジャロ・サファリ(Kilimanjaro Safaris)」があるのですが、このアトラクションの場合、私はできることなら毎回左側に乗りたいのです。
理由は、左側にいたほうが、「クロサイ」がよく見える確率が高いから。あと、途中で出てくるアフリカゾウのコロニーも、左側なのです。
そんなわけで、乗り込む際には「左側が良いんだけど」とお願いすることが多いです。

 Guest:Can I have a left side seat, OK? (左側に座りたいんだけど)
 Cast:OK, wait./Both side is good, go ahead. (良いよ、ちょっと待ってて/両方同じよ、乗って乗って)

もちろん、単なるお願い事ですからかなう場合もあれば、ダメなこともあります。ものすごく混んでいて忙しそうなときには、やめておいたほうが良いでしょう。相手も人間ですから、ゆとりのないときにわがままを言われても対応しにくいでしょうから。
でも、「Both side is good.」っていわれても、こっちは明らかに差があることを知ってるんだぞー、とも思っちゃいますけどね。仕方ありません。

シアター型のアトラクション、たとえばエプコット(Epcot)で人気の「ソアリン(Soarin')」だと、おすすめはなんといっても中央ブロックの最前列です。
ここだと前の列(動いているあいだは上になる)の足が視界に入りませんし、巨大スクリーンの真ん中なので迫力も満点です。
とはいえ、並んでいる順と人数の組み合わせで席に案内されるので、うまい具合に希望の場所に行けるかどうかは運次第。

 Guest:Can I wait for the next show for the central section? (中央が良いので待っても良い?)
 Cast:OK, wait here. (んじゃ、そこで待ってて)

こちらのほうがわりと頼みやすい(キャストは次のゲストを案内すればそれで良いから)のですが、やはりものすごい混雑日なんかは頼みません。
まあ、こちらはゲストで、さまざまな要望に対処するのは向こうだって慣れているでしょうから、本当は遠慮なんか必要ないのでしょうけどね。ほら、断られるのっていやじゃないですか。

たまに列で話しかけられます
そうひんぱんにではありませんが、列に並んでいると前後の人に話しかけられることもあります。
困ったことに、アメリカというのは移民が多い国ですから、見るからに日本人の私が「アメリカ在住の日系人(あるいは中国や韓国系)」なのか、「日本から来た観光客」なのかは、彼らにはまったくわかりません。なので、明らかに現地の人やリピーターでないとわからないようなことも訊かれたりします。

 Guest1:Do you know how long it takes? (何分くらいかかるの?)
 Guest2:I'm not sure, maybe about 30 minutes. (良くわかんないけど、30分くらいかな)

 Guest1:Is it scary? (けっこう怖い?)
 Guest2:I don't know because it's the first time. (初めてなんでわかんない)

一度なんかは、スペイン語で話しかけられました(カリフォルニアでのことです)。おいおい、せめて英語にしてよ、と思ったのですが、とりあえず試してみて通じたらラッキーくらいのもんなんでしょうか。
まあ、知らないことは知らないといっておけばいいですよね。ただし「なんで私にそんなこと訊くのよっ!」と怒るんじゃなくて、にこやかに。

 Guest2:I don't know. But I'm really excited! (良くわかんないけど、すっごく楽しみ!)

何度目かのリピーターだったら、ここぞとばかりに教えてあげましょう。自分の好きなことについてだったら、語彙や表現の勉強も苦痛じゃありません。

 Guest2:Yes! it is so scary and really good! The best scene is... (ちょっと怖いけど、すごいよ。なんっといってもね...)

ただし、あんまり細かく説明してネタバレしちゃって、楽しみを殺いでしまわないように注意が必要ですね。

たまにはキャストのおふざけもあり
東京ディズニーシーにもある「タワー・オブ・テラー(The Twilight Zone Tower of Terror)」のオリジナルは、ウォルト・ディズニー・ワールドのハリウッド・スタジオ(Disney's Hollywood Studios)にあるものです。
一度このアトラクションに入ろうとしたところ、キャストに止められました。

 Cast:Do you have a reservation? If you don't, you cannot enter! (予約してなくちゃ入れないよ!)

いやー、びっくりしましたね。これって1996年の話で、まだ英語なんてほとんどまともに話せない頃でした。しかも、テーマパークのキャストが突然ゲストを止めてアトラクションに入れてくれないなんて、一体何が起きたのかと。
「え?え?」という顔をしていたら、「Hahaha! Enjoy!」とかいって送り出してくれました。なあんだ、ふざけて「予約のない客は入らせない高級ホテルのドア係」をやってたんだと気付いたのはそのあと。
「We have a reservation for dinner, OK?」とかいってやれば良かったんだよね、と妻が悔しがっていました(当時から、彼女のほうがずっとこうした機転は利くのです)。

乗り終わって楽しかったら、出口のキャストに「Thank you! It was nice!」と声をかけて。きっと笑顔で「Have a nice day!」と送り出してくれますよ(ときには「Have a Disney day!」だったり)。

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2009年7月 7日 (火)

七夕の夜に
笹の葉さらさら
今日は七月七日、七夕ですね。
もっとも、旧暦の七月七日は実際には8月でしょうから、本来は来月のイベントなのかもしれません。地域によって違うようですが、8月7日を七夕とするところも多いのだとか。

私が小学校時代を過ごした街では、この日にハロウィーンのように子供たちが歌いながら近所を練り歩き、お菓子をもらう風習がありました(どの地域かがすぐにわかっちゃいますね)。
大学で他の地域からの出身者と話していて、これが全国的な習慣ではないと知ったとき、私はにわかには信じられませんでした。それなしに七夕なんて、ちっとも楽しくないじゃないか! ただ笹の枝に願い事書いてつるす「だけ」なんて!

七夕をどう説明するか?
妻がイタリア語の教室で、やはり「七夕をイタリア語で説明してみて」という課題に四苦八苦したそうです。私も英語ならばともかく、ドイツ語で説明せよといわれたら苦労するだろうなあ。
七夕に限らず、日本の風習や文化を、日本に居住して間もない外国人や観光客に説明するのは、難しいものです。だって、ベースとなる知識がまったく違うのですから。

織姫はたしか天帝の娘だったと思いますが、そもそも「天帝」という概念を説明するとなると、これは大仕事です。
単に神様としては、とくに一神教の文化圏からのかたには誤解を与えるでしょう。天帝は人格神というよりは、自然の法則を人格化した概念であるように思えます。
とはいえ、ここではギリシア神話におけるゼウスのような役回りと思えば、とりあえずは神話上の神様、とでもしておくのが無難でしょう。「Providence in Chinese Myth」あたりが良いでしょうかね。でも思わず単語が出てこなくて、「God」といっちゃいそう。

では織姫(ヴェガ)と彦星(アルタイル)の仕事はなんでしょうか?
織姫は天帝の衣服などを作る機織りをしていますから「A weaver」、彦星(牽牛)は牛追いなので「A cowhand」ないし「A cowherd」でしょうかね。「A cowboy」としちゃうと、なんだかテンガロンハットかぶって馬に乗っていそうですね。
いずれにせよ、こんな言葉なかなか使う機会がないので、知らないと出てきません。

二人の生活が楽しすぎて...
めでたく天帝によって夫婦となることを許された織姫と彦星ですが、二人の生活が楽しすぎて仕事がおろそかになります。
いや、仕事をうっちゃっておくほど楽しい家庭生活、いいですねえ。ま、私も仕事熱心なほうでは、ありませんけど。

「It was really happy for them living together. Then they become lasy.」じゃ、なんだかヘンです。
この二人はナマケモノになった訳じゃありません。二人の生活があまりに楽しくて、他のものが目に入らなくなってしまっているのですね。「Nothing was more important for them than their married life.」あたりになりますか。でも「結婚生活」というよりも「二人(だけ)の暮らし」みたいなニュアンスがほしいですね。

二人は引き離され、年に一度だけ、七夕の夜にあうことを許されるわけですが、私だったら悲嘆のあまりに仕事なんかやっぱりしないだろうな。
神話に難癖つけてもしょうがないのですが、いきなり引き離して年に一度だけの逢瀬なんて、ずいぶんと乱暴なことをするもんだなあ、というのが正直な感想。その運命を受け容れて残る364日間はしっかりと働いているのだから、そろそろ許してあげたら...なんて思います。

七夕の物語なんて、日本語で説明するとほんの数分、数行ですんでしまうものです。
けれど、物語の背景やニュアンス、私たちの思い入れなども含めて外国語に直そうとするとこれは一仕事。日常会話がなんとか形になってきたレベルの英語力ではとうてい無理そうです。
当面は、物語の骨子を伝えられるくらいで満足するとして、次はまとまった英語を「書ける」ことお目指してみましょうか。これまた何年もかかりそうですけど。

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2009年7月11日 (土)

罪作りな「英語学習法」
ブログには「英語学習法」がたくさん
検索結果からあちこちのブログなどを眺めていると、英語学習法の記事が目に入ります。内容は雑多で、すでに実践しているもの、応用できそうなものもたくさんある一方で、まず有効とは思えないものやとうてい実践不可能なものまで、本当にさまざま。

先日見かけたのは洋書を読むことに関するものでしたが、まず翻訳されたものを暗記するくらい何度も読み込んで、次に原著を辞書なしで読み、続いて原著のオーディオブックを聞くのだとか。これで1冊あたり3ヶ月をかけるそうです(何度もこのサイクルを繰り返すらしい)。
この方法は有効かもしれません、いや、実際に多くの人が実践している学習法だと紹介されているので、きっと有効なのでしょう。
でも、私にはまず実践不可能な方法であることもたしかです。

ただしその「学習法」が正しいとは限らない
まず、内容を覚えてしまうくらい何度も何度も読み込める本を見つけるところから始めなくてはなりません。どうやって探しましょうか、そんな本を。
オーディオブックを聞くところまできちんと実践しようとすると、マイナーな本じゃダメですよね(そもそも翻訳もされていないかもしれないし)。「よく売れているメジャーなビジネス書」と「覚えるほど何度も読み込める本」って、下手をすると二律背反のような気もします。だって、ベストセラーのほとんどは、一過性の再読には耐えないようなものが多いでしょ。
いま売れている元有名外資系経営コンサル会社の女性社員の本なんて、来年の今頃はもっているだけで恥ずかしいかもしれませんよ?

仮に条件に該当する本が見つかったとして、3ヶ月間その本にかかりきりですよ。
途中で他の本を読むな、ということではないのでしょうが、それにしたって私なら最初の1週間で飽きます。本当に一冊の本に集中して実践するなら、年に4冊しか本が読めない! 想像するだに恐ろしいことです。
あなたは今年1年で4冊しか本を読んではいけません。さあ、その1冊目に何を選びますか? ムリです絶対ムリ、私には実践不可能。

冷静に考えればおかしいとわかるはず
私が見かけたブログには、これが「仕事が忙しいという方には最適な方法論」とあったのですが、うーん、忙しさの度合いにもよりますが、本当に忙しい人が3ヶ月も同じ本を繰り返し読んだりしますかね? 少々疑問なのです。
逆に考えると、こんな学習法を忙しさの中で実践できる人たちは、きっと他の方法でもうまくいったはずじゃないか、と思えるのですね。だってひとつの本を3ヶ月間、英語と日本語で何度も読み続けられるんですよ、その精神力をもってすれば、普通に勉強したって成果があがりますって。

世の中にたくさんある「学習法」って、基本的にはその手法で成果が上がった人が紹介しているものですね。もちろん例外もありますけど。
けれど、その人たちがもともと強い意志力をもっていて、しかも学習能力に優れていた人たちだったとしたら、紹介されている手法そのものが有効なものだったか、理にかなったものだったかは必ずしもたしかではありません。
そして、私のようなごく当たり前の学習能力と、標準以下の精神力しか持たない学習者は、「こんなに評判の良い学習法でもダメだった」と落ち込まされるのです。
私が氾濫する「勉強法」「読書法」を見るたびに「罪作りだなあ」と思うのは、そんな理由からですね。
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2009年7月14日 (火)

翻訳という豊かな文化
池内訳「ファウスト」を買ってきた
6月30日の記事にいただいたシュタイントギルさんのコメントがきっかけとなり、以前から気になっていた池内紀氏による訳のゲーテ「ファウスト」を買ってきました。

 言葉と気質(2009.6.30)

集英社文庫のヘリテージシリーズのひとつで、同シリーズにはダンテの「神曲」、ジョイスの「ユリシーズ」、プルーストの「失われた時を求めて」など、一度は読んでおきたい作品がずらりと(これらに「ファウスト」を加えた4作で22冊ありますからね、まさに「ずらりと」)並んでいます。恥ずかしながら「神曲」の地獄編を途中まで読んだきりで、他の2作は手をつけてもいませんが、やはり死ぬまでには読んでおきたい作品群ですよね。

中でもプルーストの「失われた時を求めて」はこの集英社文庫版で13巻、全7篇からなる大長編です。
とはいっても、平均以上の読み手であれば月に10冊の文庫本というのは決して多い方とはいえないでしょう。私の場合もいろいろ取り混ぜて8〜12冊が月当たりの平均ですので、おそらくひと月半もあれば読むことは可能だと思います。
ただ、こうした作品は、通勤電車の中で読むのではなくて、週末や長期の旅行でリラックスしてページを繰るのが良さそうに思えるのです。
そんなわけで、なかなか手が出ません。いつかは読むのでしょうが。

「ファウスト」といえば高橋訳
私が読んだ「ファウスト」は、新潮文庫の高橋義孝氏の訳出になるものです。いま手元にあるもの(1989年に買ったようです)の初版日付は「昭和42年11月25日」となっていますので、かれこれ40年以上も読み継がれている名訳といって良いものでしょう。
未読のかたにはゲーテの代表作なんていわれると小難しくて読みにくいものを想像されるかもしれませんが、もちろんちょっと古さを感じさせる表現はあるものの、実にリズミカルな口語体でそれこそ「声に出して」読みたくなるような名調子です。嘘だと思ったら一度手にとってご覧ください。

最初にファウストが登場する場面での独白は、ドイツ語では次のように書かれています(Project Gutenbergのサイトより)。
Habe nun, ach! Philosophie,
Juristerei und Medizin,
Und leider auch Theologie
Durchaus studiert, mit heißem Bemühn.

この部分、高橋訳では次のようになっています(新潮文庫版による)。
いやはや、これまで哲学も、
法律学も、医学も、
むだとは知りつつ神学まで、
営々辛苦、究めつくした。

同じ箇所は池内訳ではどうなっているでしょうか?(集英社文庫版による)
なんてことだ。哲学をやった、
法学も医学もやった。
おまけに神学なんぞも究めようとした。
しゃかりきになってやってきた。


この部分からだけでの判断は危険ですが(まだ池内訳を読んでいないので...)、どうやらドイツ語原文に比較的忠実なのが高橋訳で、言葉を補いながら平易な日本語でリズム感も持たせようとしているのが池内訳といえるかもしれません。
いずれにせよここだけでも判断がつくのは、私が「ファウスト」を味わいながら読もうとすれば、日本語訳に頼るしかないということです。だってほら、「おやおや、いままでに哲学と法学と医学、そして気の毒な神学を大変な労力をかけて徹頭徹尾学んだ」なんていう直訳では、とてもこの長い作品を楽しむことなんてできそうにありませんから。

翻訳という豊かな文化を味わう
どちらの訳を採るかは、もちろん、好みの問題であるとも思います。また、読むタイミングも。
私は比較的柔軟性に欠ける子供でしたので、中学高校の時代に池内訳と出会っていても受け付けなかったかもしれません(もっとも、その頃には「Project Gutenberg」なんかなくて、自宅で手軽にゲーテの原文に当たるなんてことも、できませんでしたが...)。でもいまなら、何度も繰り返し読んできた高橋訳とは違ったアプローチでの「ファウスト」を楽しめます。

いってみれば、同じ曲をさまざまなオーケストラや指揮者で、同じオペラを違った劇場や歌手と演出で楽しむのと似ているかもしれません。音楽ならばこうして何種類もの違った演奏を聞き比べる楽しみがあるのですから、せっかくの翻訳です、複数の違った訳文を読み比べるのもまたおもしろいものではないでしょうか。
亀山訳「カラマーゾフの兄弟」(光文社古典新訳文庫)は100万部を超えるヒットとなったようですが、たしかに現代の日本語話者が抵抗なく読み進められるよう、慎重に言葉を選んだもののように思えました。
しかし、原訳の新潮文庫版が決して読み進められないほど難解なのではなく、訳文のスタイルが違っているだけです。

外国語学習者である私たちは、ともすれば文学作品でも原語で読むことのほうが良いかのような錯覚にも陥りがちですが、むしろ、これほど豊かな翻訳文化を享受できる幸せをたっぷりと味わうことのほうがずっと楽しい人生を送れるかも。
もちろん、原語「でも」読めればさらに違った楽しみかたができるでしょうが、これほど豊かな翻訳の世界を持っているのは、もしかしたら私たち日本語話者の他には、世界中を探してもそうはいないのではないでしょうか。
外国語学習がテーマのブログで翻訳の話は、本来の趣旨からは外れるかもしれませんが、私は言葉を学ぶほどに、翻訳という行為の難しさやそのすばらしさに、心惹かれます。
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2009年7月18日 (土)

日本人生徒同士の会話は意味がない?
評判が悪い?日本人生徒同志の会話
英会話教室に行き始めてかれこれ7年半になります。
そんなに続けて意味があるの? と訊かれそうですが、週に一度のレッスン時間以外に英語を話したり聞いたりする機会がないもので、代替案がないままに続いています。
コストとしては月に1万円ほどなので、一回あたり3千円といったところですから、英語でコミュニケーションの時間を買うと思えばそれほどの金額ではありません。

この英会話教室、とくに初級学習者のクラスでわりと評判が悪いのが、クラスでの「日本人同志での会話」です。
英会話教室の評判を集めたサイトや、あるいは個人のブログなどでも、「下手な日本人同志で会話しても無意味」などといったネガティブな評価目立ちます。
たしかに、いくばくかのお金を払って英会話のレッスンにきているのに、ずっと日本人とお互い下手な(しかも正しくなさそうな)英語で話して帰るのでは、納得感が低くなるのも頷けます。

最初は私も不満だった
私もやはり、クラス内での生徒同志での会話は「無意味ではないか」と思っていました。
・そもそも話せる英語の幅が狭い
・照れくさい(デートに誘う、とかいったシチュエーションもあるので)
・間違っても気付かない/お互いに遠慮して指摘しない
といった点から、あまり訓練になるようには思えませんでしたし、なにより50分しかないレッスンのうち半分がこれだと、なんだか下手な日本人英語(お互いさまなのですが)を聞かされるためにお金を払ったんじゃないぞ、と不満だったのです。

初級から中級くらいのクラスですから、当然文法上の間違いや語彙の不足などさまざまな問題が起こります。
しかも生徒数が5~8人くらいだと、講師が横で聞きながら個別に指導できる範囲を超えてしまいますから、どうしても適当に話して時間が過ぎるのを待つ、みたいな形になりがち。

でも、振り返ってみると良い点も
けれど、いまから思えばこれはこれで意味があったのかな、とも思います。
第一に、こうした生徒同志の会話では、テキストに出てきたフレーズを流れの中で使ってみる訓練という性格が強く、その範囲ではそれほどの会話力は必要とされないこと。むしろ、より多く口に出して話してみることが有効なのだろう、ということです。
読んでわかった気になるのではなく、あるいは全員で朗読して終わりではなく、一部の単語を入れ替えながら何度も繰り返すことは、そうムダではなかったと実感しています。

第二に、間違いや言いよどみはお互いさまだよね、という了解の元に外国語を話す機会は、それほどは多くないということです。とにかく少しでも多く、できれば早く、しかも英語に聞こえるようにアクセントや強弱に気をつけて話すことは良い訓練になります。
講師は全体を同時にはフォローできないにしても、声が出ていなかったり指示とは違うことをしていたり(英語で指示があるので、意味を取り違える生徒は多い)する組があれば修正することは十分可能です。

無意味なことはさせない
レッスンプランは教室によってさまざまでしょうが、どの場合でも一定の経験値となんらかの理論に基づいて組み立てられているものだと私は思います。
少なくとも初級から中級にさしかかる段階では、とりあえず指示通りにやってみる、というのも悪くないのではないかと。もちろん、そのやりかたがおかしいと思ったら質してみることは無意味ではないでしょうが、カリキュラムの設計者と生徒では、圧倒的な経験値や知識の差があることも、念頭に置いておくべきでしょう。

とはいえ、特定のスタイルとの相性はありますから、どうしてもいやだと思ったら教室を変えるなり、自分にとって効果的だと思える方法を取り入れてもらえるように話し合っていくことはあって良いでしょう。
おすすめできないのは、ちょっとした不満があるからといって、「英語ができるようにならないのは、あの○○教室のやりかたが悪いから」「儲け主義で生徒のことなんか考えていない」などと責任を他者に転嫁してしまうことでしょう(もちろん、外国語なんて不要だ、という判断をするならそれはそれで良いと思いますが)。
一部の例外を除いて、顧客のメリットなど無視して自分の利益所追求する企業が永続くすることなどありません。ただ、100%の顧客を同時に満足させることが不可能なだけです。掲示板やブログで恨み言を書き連ねている時間とエネルギーを、他に向けたほうが外国語の習得には、有益ではないのかな、と思います。
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2009年7月21日 (火)

4年半も学んで、TOEICのListeningスコアが伸びないわけ
Listeningのスコアが伸びない
過去の記事で何度か書いたことがありますが、2002年に初めて受験したTOEICでのListeningセクションのスコアは410でした。そして、一番最近の2006年でのスコアが420です。
この間、Readingセクションは355から460へと順調に伸びているので、あながち英語力になんの変化もないということではないはずなのですが、ことListeningに関しては4年以上(そしておそらくいまでも)、ほとんど向上していないということがバレバレ。

なぜか?
理由はとても簡単です。「私はリスニングが苦手で、しかも嫌いだから」

私は苦手なことを克服しようと努力する性格ではなく、好きなことを徹底してやる性格なので(威張るようなことじゃ、ありませんけど)、どうしてもリスニングではなくリーディングばかりやってしまいます。
もちろん、Podcastを聞いたりといったことはたまにやりますが、リスニングはリーディング以上に継続が大切なように感じます。思い出したように聞いたからといっても、ちっとも聞き取れる範囲が拡がっているようには思えません。

リスニング・サボタージュ
苦手なことは当然嫌いになり、英会話教室でもリスニングのときには突然静かになって、優秀な他の生徒さんに話してもらって時間が過ぎるのを待つ、という不良生徒に変身します。
最近では図々しくも、リスニングの時間になると「As you know, I hate listening. So I'll be quiet from now.」とか宣言したり。ひどいですね。乱暴だし。
注意深く聞き取って質問に答えたりディスカッションしなければならない、せっかくの機会でさえこうして有効に活用できていないので、私はいつまで経っても聞き取り能力が伸びません。その結果が、冒頭に書いたとおりのListeningのスコアに現れているのですね。

逆に、けっこう意識的に英文を読むようにしているので、リーディングのスコアはそれなりの伸びを示しています。教室のテキストだけでなく、雑誌などを読み続けることで早くもなったし、辞書なしで意味が取れる範囲も相当拡がったことは過去にも書きました。

得意で嫌いではないリーディングは、私にとっては「訓練」ではありません。どちらかといえば、日常の楽しみのひとつです。
一方で、不得手で嫌いなリスニングは「訓練」であり「勉強」なのですね。年をとるとなかなかこちらができない(私の場合、10代の頃からそうなんですけど)。多少苦手でも我慢してもう少しできるようになれば、PodcastやVideocastを視聴すること自体が楽しみになって、正のスパイラルに乗れるとはわかっているのですけどね。
ひとまずなんとか形になってきた、という程度の英語を、もう少しいろいろな場面で使えるレベルに持って行くためには、もう少し我慢強く苦手な事柄に取り組む必要も、ありそうです。

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2009年7月25日 (土)

足をひっぱるほうもつらい
ドイツ語七転八倒
学習のほうはなかなか「ドイツ語うるわし」というわけにはいきません。
4月からとあるドイツ語会話の教室に行き始め、かれこれ3ヶ月が経過しました。4ヶ月20回のレッスンもなかばを過ぎて、あと6回を残すのみ。

いま通っているのは「ドイツ語を120時間程度学習」したレベルとされています。正直なところ当初から不安ではあったのですが、同じ団体の超初級クラスの体験コースに行った際に「あなたはこのクラスで良いんじゃないですか?」といわれたのを真に受けたのですね。
不安は的中して、最初の数回はかなりマズイ状態でした。昨年秋からの続きということもあって、私以外の多くはすでにきちんと学習を続けてこられていることもあって、講師の質問にそれぞれ苦戦しながらも対応できています。
私はといえば、頭で文法をわかっているのと、それを使えるのとはまったく違う、ということを再認識するばかり。頭の中で回答を組み立てている間に時間が過ぎてしまいます。つまり、会話の訓練としては「全然ダメ」。

ふたたび「この中で一番できないヤツ」
そういえばこの経験は初めてではありません。昨年秋にとある大学の公開講座でドイツ語初級コースを履修した際にも、同じようにクラスで足をひっぱったのでした。

 久々に体験する、「この中で自分が一番できないヤツ」(d-mate weblog)

またしても同じ状況です。教室内には全部で10名ほどが座っているのですが、とにかく講師の話すこと、質問、テキストの内容などについての理解度が最低なのがこの私。
なんだか、ペアで会話実習をするときにもすごーく嫌な気持ちにさせているようで申し訳ない。こういう時って、足をひっぱってるほうも、相手に負けず劣らずつらいモンです(その自覚がないとか、自覚があっても平気なひとは、いるのでしょうが)。

はじめはだれでも初心者
もちろん、私以外の受講者についても、多少の実力差・経験の差があって、私一人が群を抜いて低レベル、というわけでもありません。
数週間が過ぎうるうちに、だいぶ私も落ち着きを取り戻しました(笑)。とりあえず授業について行けるように必要な予習を欠かさず、宿題は必ず全部やるようにすると、足のひっぱり度合いもだいぶマシになっていきます。

受講者の経験などは目安に過ぎないので、どちらかといえば各自の都合の良い曜日や時間で選ぶということもあるでしょう。なので、スタート段階でのレベル差はある程度仕方ないのかもな、と思います(言い訳でしょうか?)。
むしろ、周囲とのレベル差を感じてから、どう対応するかのほうが問題なのでしょう。
やめちゃう、クラスを変える、というのも選択肢です(実際、「レベルがあわないと感じたら替えられますよ」とは案内されていたので)。同時に、なんとかついて行けるようにがんばる、というのも可能。

いまの私の場合には、自分の居心地の良い場所を探して落ち着くのではなくて、レベル差を埋めるようにちゃんと勉強することのほうがあっているように思います。これも個人差があるでしょうし、学習スパンをどのくらいに想定するか、ということでも変わってくるでしょう。いまの目標としては、数年以内にはなんとか旅行していて困らないレベルにしようと思っているので。
いずれにせよ、「もしかしたら迷惑の度合いがかなり減ってきたかも」と思える瞬間が増えることも、小さな前進のひとつになっているのでしょう。クラスメートのみなさんには、もうちょっと我慢をお願いします、と心の中で手を合わせつつ。

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2009年7月28日 (火)

テキストのない、語学学習
語学学習といえばテキストだけど
7月18日の記事へのみっつまむさんからのコメントで、「英会話教室ではなく、カフェで個人レッスンでも大丈夫そう」とおすすめいただきました。
その返信に「教材がある英会話教室って楽だなあ」と書いたのですが、もうちょっとくわしく書いてみようと思います。

長いことかよっている英会話教室でも、あるいは先日から始めたドイツ語教室でも、何らかのテキストや課題集といった教材を使い続けています。
もちろん、NHKのラジオ・テレビの語学番組でも、一部を除いてテキストが用意されており、自分なりのペースで学習を続けられるようになっています。番組を録音(録画)しておき、テキストさえ確保していれば、放送日とは別に学習を進められます。

では、語学の勉強(あるいは訓練)にテキストは必須でしょうか。
必ずしもそうとはいえないでしょう。テキストの例文を読み合わせ、単語を入れ替えて練習し、あるいはそこに書かれた文章を題材にディスカッションをする、といった手法だけが、語学の習得法ではありません。
会話中心であったり、PCで動画や音声を使ったものなど、さまざまな形の学習法があり、それぞれにその有効性が宣伝されています。

二ヶ月だけやった、テキストのない学習
ちょっと前に(といってももう5年前になりますが)、勤務先の教育の一環で2週間ほどの「プチ留学」をしたことがあります。
このときの内容や感想については4月にこのブログで書いたことがありますが、前後半で一度ずつ、プレゼンテーションの機会がありました。

 2週間の「プチ留学体験」(2009.4.7)

特に前半でのプレゼンについては、二グループにわかれてそれぞれひとつの商品(あるいはサービス)を選び、北米市場への展開計画を作成し、そのマーケティングプランを発表する、というのが課題でした。ただし、いま日本で売っているものをそのまま持ち込めるわけではなく、あくまで仮説のプランです。
もちろん事前に準備をするわけですが、もう片方のグループは日本語で書いた企画書を英語の堪能な若い社員に翻訳させるという卑怯な(笑)手段を使ったのに対して、私のグループは発表要旨から英語で作り始めるという、極めて正攻法で取りかかりました。

このプレゼン資料や内容が、きちんと英語として意味が通じているか、あるいはいいたいことが誤解なく伝わっているかをチェックしてもらうために、二ヶ月間ほどのテキストなしの英会話マンツーマンレッスンを試してみたのです。

最初はマーケティングの教材をテキスト代わりに
いきなりマーケティングプランの評価から始まったわけではありません。
まずは、先方から指定図書の指定がありましたので、それをある程度理解してプランに盛り込まなければならないフレームワークを理解しなければなりません。
そこで、指定図書の重要な部分をテキスト代わりに、短時間で内容をつかんでいく訓練をしました。

具体的には、特定のブロック(だいたい2ページくらい)を短時間で読み、講師が内容についていくつかの質問をして理解度をチェックします。
そののちに、そのテーマに関していくつかのディスカッションをして、次のセクションへ進むという具合。これは短時間でのリーディングと、質問への受け答え、そしてディスカッションと、英会話教室でのレッスンと教材は違うものの、類似した訓練をしたことになります。

後半にはいよいよマーケティングプランができてきたので、それを私が発表し、そもそも理解できる英語になっているかのチェックと、その内容についての質疑を何度も繰り返すことでプランの練り上げと、プレゼンの際の質疑応答の訓練としました。

テキストがない=何を学べるかは私次第
プレゼン資料という素材はあったものの、こうした内容ではレッスンの場が有益になるかどうかはひとえに私の準備にかかっています。
1時間の会話の中で確認したいこと、完成させたい部分を明確にしてその準備を進め、何が知りたいのかを事前にはっきりとさせておく必要があります。
たとえば、英語の表現がわからないのか、背景となる生活文化がわからないのか、そもそもこちらが何を知りたいのかが不明確では、会話がすれ違うことになります。

ある意味で、これは会議の時間を無駄にしないための心得と似ていますね。
議題設定と到達目標の確認、時間のコントロールが有益な会議のためには必須ですが、受講者の側がコントロールをすべきレッスンでも、同じことが必要でした。ゴールが明確でなければ、アシストする側は何をすればよいのかわかりません。

テキストとカリキュラムが明確に定まっている教室は、ある意味では受講者がラクをできるシステムであるともいえます。
なにも準備しなくても、とりあえず教室に行って座っているだけで講師がすべてを段取り、進行してくれてなにやら勉強した気になれます。
けれど、これを受け身で繰り返すだけではなにも身につかなかった、ということもありえます。実際、「英会話教室に○年行ったけど、全然しゃべれるようにならなかった」というかたがたのなかには、ずっと受け身の姿勢でいたかたも少なくないのでは?

テキストなしで、学習のゴール設定や都度の内容、題材探しまですべて自分でやらねばならない形での学習は、やっぱりしんどいです。私の場合も、海外研修という当面の目標があったからこそやれました。短期間でしたし。
ちょうど、きちんと成果の出る会議を毎週主催するのは、決して簡単ではなくすごくエネルギーの必要な仕事であるのと同じですね。適当に人を集めて、半分雑談のような会議を「主催」するのは簡単ですが、それで満足していては会社が傾いちゃいます。
英会話教室はある意味でラクのできる場所ですが、そのラクさとどのように主体的につきあっていくかによって、何が身につけられるかが決まってくるように思います。
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