プロフィール

人生まだ半分、37才からの外国語
d-mate

英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

サイト内検索


人生まだ半分、37才からの外国語

2010年12月 4日 (土)

会話だけで良いのか
学校英語は役立たない?
日本の中学高校での英語教育は、必ずしも評判が芳しくありません。
6年も英語の学習をしているのに話せるようにならない、読み書き偏重で日常会話の力が身につかない、といった批判を良く目にしますし、最近では会話にも注力するようになっているようです。

でも、ホントに学校で習う英語は役に立たないんでしょうか?
習ったことが身についていないから役立たないというのなら、高校を卒業してしばらく間のあいたかたがたのうちどれほどが、微分や積分の問題をいま解けるでしょうか? あるいは食べたご飯がどのようにして体内でエネルギーに変わるか説明できるでしょうか?
いずれも高校の授業で習うことです。

インテグラルやグリコーゲンのことは忘れても気にならないというのに、英語に関してだけは学校教育にすべての問題があるかのような批判をするのは、ちょっと公平さを欠くのではないかと、私は常々思っています。
誤解を恐れずにいえば、学校で学んだことを活かさなかった自分にも問題があるのじゃないかと。

英語を制する「ライティング」
今週、4年前に買った本を、読み直してみました。キム・ジョンキュー著「英語を制する『ライティング』」です。
会話中心の英語教育が、実際には日常会話程度の入門レベルの英語運用能力しか想定しておらずに、仕事や学問で使える英語力には結びついていないことを著者は指摘し、読み書きに重点を置いた学習を見直すべき根拠が著者自身の留学体験なども交えながら紹介されており、非常に納得できます。

「ただ流し聞きするだけで自然に英語が〜」といった教材への批判も展開され、楽をして外国語を習得しようとする(あるいはそれを商売のネタにしようとする)風潮に一撃も加えていて、非常に痛快。
まだ店頭にあるかどうかはわかりませんが、見つけたらぜひ手にとっていただきたい一冊です。

中学高校で3000語
中学と高校で学習する英単語は、あわせて3000語にもなるのだとか。
この数字、おそらくは一般的な雑誌や新聞を読んで理解できる水準です。経済用語など学校では習わない単語を追加で調べる必要はあるでしょうが、文章を読んでおおざっぱに内容を理解するには、たしかに高校までに学習する単語で大きな不足はありません。
そもそも、多くの学習者は高校を卒業してから新たな単語を覚えるというよりは、復習をすることで語彙を増やしているのではないでしょうか。

たしかに、私の経験からも中学高校での英語の授業では、習った単語や文法を実際に使って話し、書く訓練は不足していました。
どちらかといえば英文を読み、知識の確認のための穴埋め問題や短い英作文の問題ばかりを解いていました。これらが役に立っているのはたしかですが、もう少し「自分の言葉として」英語を使う機会はあっても良かったかな、と思います。

ただし、その機会を作ることはそれほど難しくはありません。
英語話者と話したり、メールやメッセージの交換をするチャンスはこの10年で大きく拡がりました。ブログやTwitterなど、外国語を使って自分の考えを表すのに使えるサービスもいくつもあります。
少なくとも私が受けてきた中学校や高校での英語の授業内容は、こうして「英語を使ってなにかを表現しよう」とする際の土台としては、とても役立っています。

どうも学校教育は政治の道具にされたり、親たちの勝手な思い込みで学習内容を削減したりと、本来の目的や意義とは別のところでいじられているように思えます。
基礎体力がないのにいきなりフルマラソンに出場したって途中リタイヤが関の山。マラソンの楽しさを教えることは必要にしても、きちんとした体力作りのためには、読み書きを重視したカリキュラムをないがしろにしては、いけないと思うのです。

カテゴリー:英語  | 前のエントリー  | 次のエントリー

2010年12月 7日 (火)

祝、フィンランド建国の日(ただし昨日)
建国の日、という感覚
昨日12月6日は、フィンランドがロシアからの独立を果たした記念日でした。
1917年、ロシア革命のただ中の独立は、フィンランドでも左右の内戦に発展するなど決して平坦な道のりではなかったようです。

内戦の終結に功のあったマンネルヘイム元帥には、先日の旅行時に美術館の前でお目にかかりました。もちろん本人にではなく、立派な彫像ですけど。
日本でも明治維新で活躍した人々の人気が高いように、独立の英雄であるマンネルヘイムは多くの国民から慕われているようで、ヘルシンキの中心街はマンネルヘイム通りと呼ばれています。

日本でも「建国記念の日」はありますが、これはかつての紀元節と同じ日付で、日本書紀にある神武天皇即位の日に由来しています。
2700年近くも昔の話で、いってみれば神話ですから、いまの私にとって身近に感じられる日本建国の記念日とは感じられません。遙か昔から国としての独立性を保ってきたことは、幸せなことだろうと思うのですが、一方で建国や独立の記憶がないというのは、少々寂しいようにも思えます。

Suomen itsenäisyyspäivä
フィンランドの場合は、他国からの独立ですから日本語で言えば「独立記念日」となるこの日を、「Suomen itsenäisyyspäivä」と呼ぶようです。
直訳すれば、「The independence day」そのまんまですが...

分解してみると、「Suomen」はフィンランドを意味する「Suomi」の属格で「フィンランドの」。そして「itsenäisyys」は「independence」で、「päivä」は「day」、ドイツ語でもおなじみの合成語ですね。

この「päivä」はフィンランド語の基礎会話では最初のページに得てくる単語の一つでもあります。
「Hyvää päivä」で「こんにちは」、私も最初にこれを習い、何度も何度も練習してでかけました。ところが、現地では「Hei」でだいたい済んじゃったのですけどね。
たしかに、アメリカ旅行でもお店なんかでは「Good afternoon!」じゃなくて「Hello」とか「Hi」で終わりですからね。

もっとも、まったく役に立たないわけではなく、「hyvää」を覚えると、レストランで「おいしいです」というのにも、なにか良いものを見かけたときに「良いですね」というのにも使えます。
もっとも、先日大雨の日にフィンランドのデザイン展にいったときには、「こんな日でも『Hyvää päivä』で良いのだろうか?」とちょっと迷いました。
でもまあ、雨の日でも「Good morning!」なんだし、きっとかまわないんでしょうね。良い日になるかどうかはお天気だけじゃ決まらないし。

もちろん「フィンランディア」を
9月の旅行では、ヘルシンキの北にあるラハティという街で地元のオーケストラのコンサートに行ったのですが、3日間のコンサートの締めくくりとなるアンコール曲は、もちろんシベリウスの交響詩「フィンランディア」。
それまではわりとクールに拍手をしていた観客が、この曲が終わると同時にほぼ全員が歓声を上げてのスタンディングオベーションとなったのはとても印象的でした。

話によると、「Suomen itsenäisyyspäivä」には、多くのフィンランド人はこの曲を聴きながら独立を祝うのだとか。
私も、職場の同僚と一杯飲んでから帰宅して、さっそくかけました。パーヴォ・ベルグルンド指揮、ボーンマス交響楽団の演奏。続いて、サカリ・オラモ指揮、バーミンガム市交響楽団。たった7分ほどの中に起伏がある、実にドラマチックな曲です。
こんなすばらしい音楽を独立の歴史と重ねて語り継げるのは、やはりちょっとうらやましいようにも思えます。
カテゴリー:旅行で外国語  | 前のエントリー  | 次のエントリー

2010年12月11日 (土)

クジラと英会話
実物大のクジラ!
今日は東京中央区のギャラリーで開催されている、「クジラと見つめあう」に行ってきました。
写真家のブライアント・オースティン氏が撮影した、マッコウクジラやザトウクジラの「実物大」の写真が展示されています。まさに大迫力。

倉庫を改造したらしい会場の広いスペースに、巨大なクジラをアップにした写真が並んでいて、展示室内ではまさにクジラと見つめあわざるを得ません。
単に実物大に引き延ばされたアップ写真が展示されているだけでなく、幅10メートル近くにもなる全身の写真パネルの存在感にはただ圧倒されるばかり。
土曜の午後とはいえ、かなりの人数でにぎわっていました。

ご本人登場
展示室は大きくみっつに区切られていますが、そのうちの一つ、ザトウクジラの全体写真パネルの前には、なんとオースティン氏本人がいて写真を解説してくれていました。
スタッフのかた(あるいは撮影の協力者かも?)が通訳をしてくださいますが、もちろん非常にわかりやすい言葉で話しているので、英語直接でもだいたいは理解できます。

解説が一段落して少し時間がありそうだったので、さっそく話しかけてみました。「It's amazing!」というと、とてもうれしそうにしてくれた表情が印象的です。
なんでも、ザトウクジラの全体写真は5日間にわたって撮影した300カット以上の写真から15カットを選び出して合成したものだとか。毎日ボートで撮影に出かけると、クジラが待っていたかのように出てきてくれたのだそうです。

一度などは、ボートのすぐ近くで大きく海面に顔を出して挨拶してくれ、とても驚かされたのだとか。
「Did she want just to say hello?」と訊くと、「Yes, I think so.」とのこと。

言葉はコミュニケーションの道具
さて、この展示会が仮に10年前だったら、私は撮影者と英語で直接話す人たちを遠巻きに観ながら、うらやましさを感じながらも自分とは遠い世界と感じていたでしょう。
このブログの最初のころにも何度か書きましたが、「英語を話せる自分」は当時とても遠い存在でした。

けれど、かれこれ8年、英語の訓練を続けた結果としてほとんど気負うこともなく写真家に話しかけられるようになりました。
必ずしも英語が流暢に出てくるわけではありません。今日だって、「この作品を作るのに何枚くらい撮影したのですか?」と尋ねたいのに、「How many photos did you take for this composition?」の最後の「composition」がどうしても出てこずに、「this...」で止まっちゃったんですが、一応意味は通じたので会話は成立しました。

実際の会話は学校のテストとは違って、完全な文章を組み立ててやりとりをするわけではありません。むしろ、相手の言葉を引き継いだり、途中で止めて反応をまったりするもの。
だからといって単語が思い出せなかったのを(あるいは「work」でも良かったし、そもそも「this」で止めちゃっても大丈夫だったんですけどね)正当化するつもりはありません。
とはいえ、「とにかく話しかけて、自分が写真を気に入っていることを伝えたい」という気持ちを実行に移せるだけで、8年間の学習の成果はあったと感じます。きっとこうやってコミュニケーションを重ねているうちに、もう少し英語もまともになっていくでしょう。

さてこの「クジラと見つめあう」は、12月18日まで東京月島の「テンポラリー・コンテンポラリー」で開催されています。
オースティン氏が会場に現れるのがいつなのかはわかりませんが、巨大な写真パネルは一見の価値ありです。もし首都圏にお住まいで、週末お暇ならぜひ足を運んでみてください。

カテゴリー:英語  | 前のエントリー  | 次のエントリー

2010年12月18日 (土)

Weihnachtsmarkt in Japan
寒くなりました
今年の東京は12月に入ってからも20℃近くまで気温が上がる日があるなど、なかなか冬らしさが感じられなかったのですが、ようやく季節なりの気候になってきましたね。
私の住む家は比較的室温が下がりにくいのですが、今朝は16℃になっていて布団からなかなか出られませんでした。

某テーマパークの影響か、あるいは商売のための「お祭りごと」が常に必要なのか、最近では11月になった途端にクリスマスツリーを見かけることも多くなりました。
さすがに12月にならないうちからクリスマスソングを聞かされても、「気が早いよなあ」と思うしかありませんが、昔からテレビコマーシャルでは正月が終わればすぐにひな人形の宣伝が始まっていましたから、商売人の気が早いのは今に始まったことではないのかも。

クリスマスマーケット
さて、今日は滅多に足を踏み入れない六本木にでかけてきました。
目的は六本木ヒルズで開かれている、クリスマスマーケットでした。11月27日から12月25日までの約1ヶ月ですから、まあクリスマスのイベントとしては納得できる期間です。でも好評だとそのうちに11月上旬からやるようになるのでしょうか。

会場はさほど広い場所ではなく、仮設の建物に11のショップが並んでいます。
木製の人形やぬいぐるみ、クリスマスツリーのオーナメントなど、販売されているドイツのクリスマスグッズはいずれも素朴ながらとても良くできていて、ただ眺めているだけでも楽しめます。
とても混んでいて、人気のショップでは人の列が二重三重になっていて、近づけるまで少々我慢をしなければなりませんが、閑散としていてはかえって気分もそがれるというもの。

会場では突然ドイツ語も聞こえてきて、不意に意味のわかるフレーズが出てくると返事をしたい衝動に駆られます。実際にはやりませんけど。
おそらく昨年の今頃はドイツ語が聞こえてきたとしてもまったく意味が理解できなかったでしょうから、少しずつは身についてきているのだろうと思います。サボりながらでも、やめずに続けていれば前進はできるというわけで。

いつかは本物に
六本木も良いのですが、やはりいつかはドイツにでかけてクリスマスマーケット、Weihnachtsmarktをこの目で見てみたいものです。
今朝ドイツの天気予報を見たら、全国的に気温が氷点下でしたから、夜屋外でのマーケットはさぞかし冷えることでしょう。東京程度の寒さで震え上がっていてはお話にならないかもしれません(もともとは北国も生まれなんですが)。

「ミュンヘンでビールを飲もう」「ベルリンでクマの像を探そう」「ニュルンベルクのクリスマスマーケットに行こう」と思いながらの勉強はちっともつらくありません。
実際にはドイツだってちょっと旅行をするくらいなら片言の英語でも足りるのかもしれませんが、せっかくなら現地の言葉を学んでいきたいと思っているのは、何度もここで繰り返してきたとおりです。誰もが同じように考えるとは思いませんが、ゴガクルの読者なら似た感覚のかたも多いのではないかと。

もうすぐ2010年も終わりですが、2011年にも新年から楽しくゴガクできるように、冬休みは行きたい旅行先の本や雑誌、案内書などを読みながら過ごすのも良いかもしれません。
カテゴリー:旅行で外国語  | 前のエントリー  | 次のエントリー

2010年12月21日 (火)

聞きながら読めるか、外国語
洋書読みが増えてる?
月曜日の朝、通勤電車で隣に腰掛けた男性が分厚い本を読み始めました。翻訳版ではなく、英文でフレデリック・フォーサイスの著書のようです。作品名まではわかりませんでしたが、おそらくは小説でしょう。
このところ、電車の中で洋書を読む人を見かけることが増えているように思えます。ネット通販で手軽に安く買えるようになったことも影響しているのかもしれません。

英語というと、最近では会話にばかり注目が集まっているようですが、やはり読み書きも重要な要素です。
私の場合、どんなに流暢に外国語が話せたとしても、スラングを連発して内容が空虚ならば、外国語を話しているうちには入らない、とさえ思ってますので、外国語の本を読む人が増えているとしたら、とても良いことのように感じられます。

さてその男性
その男性は、耳にイヤホンをつけてなにか音楽を聴いているようでした。
ふと見ると聴いている曲が見えたのですが、なんと、この季節ならではというか、ベートーヴェンの交響曲第9番、その第4楽章でした。つまり、あの有名な「歓喜の歌」を含む合唱のパートです。

すごいなあ、と思いました。
だって、ドイツ語の歌を聴きながら英語の本が読むなんて、私にはとても無理です。英語を読むときには、日本語であっても歌のある音楽は聴けません。気が散って英語がちっとも理解できなくなります。
おそらく第9を聞きながら英語を読んでも、下手にところどころドイツ語が聴き取れるばかりに英語のほうはちっとも理解できなくなるでしょう。

でもいつかは
それでも、日本語の本を読むぶんには、耳から英語が入ろうとドイツ語が聞こえようと問題ありません。
それだけ日本語については目や耳から取り入れた情報を解釈する回路が強いのだと思います。

もしかすると、もうしばらく訓練を続ければ、電車で隣り合った男性のようにドイツ語を聞きながら英語を読めるようになるのかも?
もしかしたらそんな日が来ると良いなあ、と思いつつ、来年もしっかりとゴガクしようと思いました。

カテゴリー:英語  | 前のエントリー  | 次のエントリー

2010年12月25日 (土)

ドイツ語エッセイ出版
時間があれば書店に
イブの夜、妻と待ち合わせていて1時間ほど時間が空きました。
先に買い物を済ませても良かったのですが、一緒に選ぼうと思い、書店で時間をつぶすことに。東京にいると、主立った駅周辺でならほとんどの場所で書店を探すことができます。1時間や2時間は、あっという間です。

さっそく外国語の教材のコーナーで新刊を物色しました。
英語ならば行くたびに新しい本が出ていますが、ドイツ語などではそうも行きません。おそらく月に数冊でればよいほうでしょう。
今回見つけたのは、「Eine kleine Kaffeepause」

NHKテキスト連載の...
タイトルを見てすぐにお気づきのかたも多いでしょう。つい半年ほど前まで、「まいにちドイツ語」のテキストで連載されていた、Martin B. Stanzeleit氏によるエッセイです。
連載中に何度か読んでいましたが(毎回は読んでない)、16編を選んで(書き下ろしもあるらしいけど、全部を読んでいたわけではないのでどれだかわからない...)一冊にまとめられました。

テキストは買ってあるので引っ張り出せば読めるはずなのですが、コンパクトな本にまとまっていたほうが読むのには便利です。
120ページ強で950円というのはちょっと高いかな、とも思いましたが(半分は対訳なので、実質60ページくらい!)、妻が読むだろう「トラットリアのイタリア語」とあわせてレジへ。
もう一冊、「フィンランド語文法ハンドブック」も気になったのですが、荷物を増やしたくなかったので今回は見送り。

読むのはこれからですが
まだ最初の一編しか読んでいないのですが、そのタイトルで購入を決めたのが「Eine kleine ... Wie bitte?」です。
その一行目はこう始まります。

 „Heute spielen wir Eine Ku", sagte meine jananischer Kollege.

私は通ぶった略語が大嫌いで、さしたる意味もないのに略語を多用する人と話すと一刻も早くその場を切り上げて逃げ出したくなるのですが、とくに聞いたり読んだりすると気持ちが悪くなるのが、この「アイネク」です。
モーツァルトの「Eine kleine Nachtmusik」をカナ表記したときの最初の4文字を取っているわけですが、単語の途中で切り取るという野蛮さには耐えられません。「NHK交響楽団」を「N響」とするのは、頭文字を取っているだけで、そう悪くはないと思うのだけど。
他にも、「Достое́вский (Dostoyevsky)」を「ドスト」とかいわれるともうダメ。

エッセイ自体は、この奇妙な略語をそう否定的に扱っているわけではないのですが、「アイネク」といわれてギョッとする人の文章ならばきっと大丈夫、とおかしな信頼感を抱いたのでした。

カテゴリー:ドイツ語  | 前のエントリー  | 次のエントリー

2010年12月28日 (火)

さよなら2010年
早いもので
もう2010年も残り3日間となってしまいました。
そして、2008年12月に始まったこのゴガクルブログも、まる2年が過ぎたことになります。幸い、今年も週に2回(たまにサボってますが)の更新を続けることができました。

年の瀬となると毎年なぜかせわしなくなって、仕事のほうもなんだかバタバタのままに終わり(あるいは、終わったことにして)、明日から冬休みです。
今年も正月にどこかへでかける予定はないので、自宅でのんびりと過ごすことになりそうです。長い休みがあると勉強が進むようにも思えるのですが、実際には休みにしっかりと自習ができた試しがありません。

今年の夏休みには旅行を控えてフィンランド語の集中講座へでかけたので、意外に充実した休みになったのですが、夏と違ってお正月には集中講座もありません。
よって予定のない長期休暇を活かそうとするなら、なんとか自習のできる方法を考えるしかなさそう。

冬休みの自習プラン
ひとつは、NHKのラジオ講座を一気に集中して聴き直すこと。録音してあるのを流すだけで良いし、テキストも買ってあるのだからこれは手軽にできそうです。
ただ、さすがに連続して聴いていると単調に感じられるんですよね。毎朝通勤時に聴いているのですが、連続して何時間も聴き続けるのはちとつらいかも。

問題集やワークブックを買ってきて、集中的に解いてみるというのはどうでしょうか?
これもわりと始めるのは簡単そうです。英語でなければ教材の種類など限られているので、書店でどれにしたら良いか決められない、ということもないでしょう。
あまり分厚いものではなく、適度に薄めのものを選べば休みのあいだにかなり進められるので達成感もあるでしょう。達成感はとても重要です。ただ、これが実践できるのなら、普段からコツコツと学習できるのかもしれません。

オンラインの学習ツールを使って毎日少しずつでも続けるという手もあります。
単に教材CDを流しているだけではなく、音読したり書いたりといった作業を伴うツールなら、机に向かって学習した実感も伴います。
問題があるとすれば、「長期休みだからこそ」という要素が少なくなることでしょうか。

本や雑誌をきちんと通読してみる、というのも長期休みならでは。
普段は平日に数時間読書時間を作るのは難しいですし、週末はいろいろとしたいことがあってやっぱり難しい。となると、長期休みはまとまったものを読むにはもってこいです。
電子書籍リーダーでは辞書を引きながら読むのも簡単なものも多いですから、これを機に原書に挑戦してみるのも良さそうです。

では、Frohes neues Jahr!
私の冬休みは明日からちょうど一週間です。
ラジオ講座、ワークブック、オンライン学習、原書とあげてみましたが、実際のところ明日からの学習プランはとくに決めていません。
ドイツ語教室でどっさりと宿題が出るだろうと思っていたら、まさかの宿題ゼロだったので「なにかしなくちゃ」とは思っているのですが。

次の旅行プランは確定できていないのですが、将来に備えていってみたい国の言葉についての本を(日本語で)読んでみるだけでも、何もしないよりはマシかも。
あまり気張って計画しても、結局は思ったよりもダラダラとして終わっちゃうのが休みというもの。あんまり自分にプレッシャーをかけてもしょうがないので、ひとまず明日は書店にでもでかけて考えてみようかと思います。

では、今年一年ありがとうございました。
来年も楽しくゴガクしましょう!
カテゴリー:学習法  | 前のエントリー  | 次のエントリー