2010年10月 2日 (土)
ビールを楽しむドイツ語
春夏秋冬ビールの季節 ビールといえば夏の飲み物というイメージは強いのではないかと思いますが、やはりビール好きにとってはどの季節にもそれぞれビールの楽しみかたがあります。 涼しくなっていよいよ秋から初冬へと向かうこの季節、夕刻から夜までの長い時間をゆったりと過ごしがら飲むビールもまた格別です。こういうときには、喉を潤すことだけが目的であるかのような銀色の缶のビールではなく、甘さや苦さが複雑に絡み合うビールを選びたいもの(まあ、国内で一番売れているらしい銀色のビール、私は嫌いなので普段から飲みませんが)。 というわけで、先日もヨーロッパのビールが試飲できるイベントにでかけてきました。 試飲そのものは無料ですが、入場料がかかるイベントでしたので会場内はかなり空いていて、大規模なイベントのように列に並んで長時間待ったり、めざすビールが品切れになって飲めない、といったことがありません。3時間ほどで20種類以上を試すことができました。 ドイツ語好きはビール好き? ドイツ語の学習者が皆ビール好きかといえば、それはさすがにステレオタイプというものでしょうが、やはり「いつかはオクトーバフェストへ」が学習の動機付けになっているかたも多いんじゃないかと思います。 私も、ビールとオーケストラが好きなので、ヨーロッパで選ぶとなるとやはりドイツ。もちろん、チェコだってベルギーやオランダ、そしてイングランドやアイルランドもありますが、やはり世界一のビール腹生産大国ドイツ(根拠なし)は避けて通れません。 こうした酔っぱらい学習者のニーズに見事に応え、ちょうど一年前に出たのが「ビールを楽しむドイツ語」という本です。 昨年、この本については取り上げました。 で、上に書いたビールイベントでひときわ目立つ背の高い白人男性と、テーブルにこの本がたくさん積み上げられているのを見かけて近寄ってみると、なんと「著者のかたもいらっしゃってまーす」とのこと。Jan Hillesheimさん、近くによるとさらに大柄です。 さっそくご挨拶をし、記念写真を撮影。本も割引になっていたので、よほどその場で一冊買い足してサインをいただこうかとも思ったのですが、それはやめておきました。 一応カタコトにもちょっと足りないドイツ語で1,2分ほど話ができたのですが、だいぶアルコールが回っていて、普段以上にヘロヘロになりました。「どんなビールが好きか?」と訊かれて「Ich liebe alles!」とか。それじゃコミュニケーションにならんっつーの。 よーし、飲みに行くぞ おいしいビールを飲めた上に、久しぶりに教室以外の場所でドイツ語を試すことができ、かなりやる気が戻ってきました。 やっぱり、ときおりモチベーションを高められることがないと、怠け者の学習意欲は簡単にしぼんでしまいます。どんな形であれ、言葉を実際に使ってみる機会は貴重です。 ちゃんとドイツ語勉強して、ビールを飲みに行かなくては! |
2010年10月 5日 (火)
英語プレゼンをどう乗り切ったか
as a presenter 川本さんの「You can do it!」の10月4日の記事を読み、失礼ながら笑ってしまいました。こんな大事な部分を見落とすなんて...私もよくやります。 普段仕事をしていても、忙しくなってくると長いメールは適当に読み飛ばすようになります。依頼事項や結論が最後のほうに書いてあったりすると、そこまでたどり着かずに次のメールに移ったりしますから、大事なことは最初に書く。これ重要です。 細かな説明が必要なときには、まず【要旨】と書いて2行、続いて【詳細】と書いて続けます。忙しいときは際その2行だけ読んでね、というのが私の仕事メールのスタイルです。みんなこうしてくれれば大事なことは読み落とさないで済むのに。 え、そのわりにはブログはなんでダラダラと長いのか? すいませーん。 英語プレゼン経験は4回 普段の仕事ではほぼ日本語しか使わないですむのですが、これまでに4回、英語でプレゼンをやったことがあります。 うち2回は6年ほど前の会社の研修にて、2回はこの夏に受講した3ヶ月の「ビジネス・マネジメント原論」の課題としてです。どちらのケースも、仕事としてやったわけではないので、いわば失敗の許容度が大きな状況。 研修でのプレゼンは、米国の大学での短期コースを受講しながら準備をしたもので、いわば数日間「英語漬け」になったあとでの本番だったこともあってか、実力以上にスムーズに英語が口から出てきたのをおぼえています。 内容的には、正直なところ初めてでもあったので、工夫もなく勢いで乗り切ったという印象です。 一方で、この夏のプレゼンでは英語が母語であるメンバーとの共同だったので、面倒な受け答えを任せちゃったりして、「できることをできるなりにやった」といったところ。 米国での研修は英会話教室に行き始めてようやく1年と少しだったのに、むしろうまく話せたように思えるのは、外国語を使わざるを得ない環境に身を置くことが、コミュニケーション力に大きく影響したのかもしれません。 工夫次第 夏のプレゼンでは、ちょっと工夫をしました。 時間の制約がきつかったこともあって、私の英語力では適確な話ができそうになさそうだったので、予め話す内容をそのまま大きくスライドに書いておいたのです。私はこの内容を、テンポ良く、同時にきちんと間合いを計りながら話すことに集中しました。 担当した部分が事業計画の細かな内容ではなく、最初の導入部分だったのも幸いでした。 情報を正確に伝えるというよりは、これからどんな内容を話すのかをきちんと紹介し、同時に関心を持ってもらえるようにするだけで良かったのです。 このために、スライドに書いた文章は見なくても言えるようにほぼ暗記して、できるだけまんべんなく聴衆と目を合わせながら話すことを心がけました。多少の発音の悪さや文法上のミスは、日本人が外国語としての英語をしゃべっている以上、相手も折り込み済みのはずです。 いってみれば、プレゼンは事前の準備と当日の度胸があれば、英語力の弱さは十分カバーできる、ということなのかもしれません。 まあ、仕事となるとそうもいっていられないかもしれませんけどね。 |
2010年10月 9日 (土)
新教材は楽しい
休みなしで下半期へ 毎週のドイツ語教室は、9月で上半期を終えてすぐに休みなしで下半期に突入しました。 講師が交代となり、テキストブックも新しいものに。教室は変わりませんし、メンバーもほとんどが前期からの継続なので、環境はそうは変わりませんが、それでも新学期なので多少はあらたまった気分です。 4月からの上半期は、その前の期から継続で使っていたテキストの続きであったため、期の替わりとテキストの切り替えが同時にやってきたのは久しぶりのことです。 学校に通っていたころは新しいテキストは持っているだけでもうきうきとした気分になったものですが、年を取ってもやはり良いものです。まだページの開き癖がついておらず、パラパラとめくると独特の匂いがあがってきて、きちんと読むわけでもなくただページを繰っていたくなります。 もっとも実力のほうは 気分が新たに新学期といっても、実力がそう変わるわけではありません。 初日は新講師への自己紹介などに続いてリスニング中心の内容でしたが、1ヶ月以上のブランク直後の9月ころよりはだいぶマシになっているものの、やはり聴き取れている度合いはクラスでも最低レベルです。「ほら、彼は相手が"du"で話しているのに、"Sie"のままでしょ」といわれてもきょとんとするばかりで、再度聴き直してようやく納得できるといった具合。 それでも、ここ2週間は「まいにちドイツ語」を(2ヶ月遅れではありますが)聴き続けているおかげで、かなりマシになってきました。やはり何事もあきらめずに続けるのが肝心です。とくに語学の場合には。 決して上達が実感できたわけではありませんが、「最悪ではなかった」ということで多少はポジティブな気分で初日を終えることができました。きっとこれでよいのでしょう。 最後にやぶ蛇 真新しいテキストとともに気分良く始まった新学期ですが、授業が終わったところで余計な一言が出てしまいました。 「あ、宿題はないの?」 クラスメートの非難の声を一斉に受けたのはいうまでもありません。いや、上半期はほぼ必ず宿題が出ていたので、念のために確認しただけだったのですが... 幸い、宿題は用意されていなかったようで、「その気があったら」という課題が出ただけで済みました。でも、責任取ってやって行かなくちゃダメかな。 |
2010年10月12日 (火)
高い建物を探せ!
外国語が混ざる 中途半端に複数の外国語を学ぶと、それらが混ざったりしませんか? 私なんぞは、まさに「中途半端」の極みで、英語も普段から仕事や人付き合いの中で使っているわけではないので、まったくもって「身についた」とはいえない状態です。なので、これまた中途半端に学習途上のドイツ語がたまに混じってきます。 それでもなんとか形にはなってきた英語と比べて、ドイツ語はまだまだとっさに出てくるフレーズもほとんどなく、語彙力も圧倒的に不足しているので、一応学習時間はドイツ語が多くなります。 このため、英語を話しているとき、あるいは読んでいるときに突然頭の中で「ドイツ語回路」がつながってしまうことがあるのです。 高い建物を探せ!? まあ、英語とドイツ語をかじったかたは「ああ、あの単語を見間違えたのね」と、すぐにおわかりでしょうが、先日とある英文を読んでいたときのことです。 巨大な建築物に関する記述の中で、どうしても前後の文脈とつながってこないところがあったのです。具体的には、主語であらねばならない場所に命令文が。しばらく考えましたね、「この『高い建物を探せ』って、なんでこんなところにあるんだ?」と。 もったいぶってもしょうがないので種明かしすると、その英文は「Such a tall building」。私は最初の「Such」に勝手に「e」を保管した上で、「Suche a tall building」と読み、「Suchen」のduに対する命令だと理解してしまったわけです。 そのあとに「das großes Gebäude」とでもつながっていたのならばともかく、全編英語なのにどうしてここだけドイツ語が登場したのか、未だにわかりません。 もしかしたら、オーストリアの人気ドラマ「REX」で主人公の警察犬が「Suche! suche, Rex!」と証拠探しを命じられている音が耳に残っていたのかもね。 |
2010年10月16日 (土)
不思議にシンクロ
あれ? これ昨日やった ラジオ講座と語学教室、といったように複数の場で外国語を学習していると、ときおり不思議なシンクロに驚くことがあります。 すなわち、まったく別に作られた教材で、別個のスケジュールに従って学習を進めているのに、偶然まったく同じ内容が同時に出現することが良くあるのです。 今週は、ドイツ語教室でのテーマが接続詞、および同様に使われる副詞でした。 deshalbとweilとdenn、obwohlとaberとtrotzdemといった語の使い方ですね。それぞれについて例文を作り、語順の確認(複文にはならずに動詞が後置されない語がある)や、前後の分の入れ替えの可否など、まあ文法のテキスト状は比較的初級編に属する内容ながら、いざ使うと間違ってしまいがちなところ。 ラジオ講座でも ちょうどその翌日、現在2ヶ月の遅れで消化している「まいにちドイツ語/レアとラウラと楽しむドイツ語」の8月16日放送分、「Ein bisschen Grammatik」の内容がまさにtrotzdemとaberでした。 テキストは先読みせずに順番に読んでいくほうなので、こういうシンクロがあると「あー、なんで一日早くやってくれないかな」などと思います。 放送日のとおりに聴いていれば、この回は8月中旬に聴いていたはずです。 ところが、いろいろとあって7月分から途中リタイアしてしまい、改めて9月の終わりから順番に聴き始めただけなので、このシンクロは全くの偶然です。 とはいえ、これが初めてではなく、この半年くらいでも他に数回同じような記憶があります。 オカルト方面には行きません まあ、偶然であることは間違いなくて、これがなにやら超自然的な力の成せる業だとかは、ちっとも思いません。 ドイツでの重要文法事項や重要語なんて、入門〜初級の段階ではそう多くはありませんから、複数の教材を平行して使っていれば、かなりの確率で同じ内容が重なることがあり得るわけです。 おそらく、学習ペースを意図的にずらしたとしても、きっと別の箇所で重なることでしょう。 とはいえ、比較的短期間に複数の場で同じ内容を学習すると、その知識が記憶に残って体得できる確率はかなり高まります。 まったく同じペースで進んでいるのではなく、「たまに重なる」ことで記憶に残りやすい効果があるのでしょう。遊びや印象深い活動とリンクして覚えた知識は、定着しやすいなどと聞いたこともあります。 こういうことが数回続くと、ラジオ講座だけ、とか語学教室だけ、ではなく、複数の手段を平行して使っていくのって、けっこう効果的なんではないかと思えてきます。 単語やフレーズなんかも、「あ、この前あっちの教材でも見たな」といったことがあると思い出しやすいし、短期間に違う場面で使うことで体得できる可能性も高まりそう。 まあ、あまりあれこれと手を出すとそれも中途半端になるのでしょうが、ふたつくらいの学習方法を組み合わせるのも、良いのではないでしょうか。 |
2010年10月19日 (火)
140字で言えること
まず最初にひとこと。千葉ロッテマリーンズ、日本シリーズ進出おめでとう!!! Twitterの気軽さ 最近はIT関連の新サービスにすぐに手を出すことがなくなってしまいました。 われながらオッサンになったなあ、とため息をつきつつも、そもそも人づきあいが上手なほうでもないし、どちらかといえば話し下手。新しいツールが出たからといって、急にコミュニケーション能力が上がるわけでもないのです。 それでも、ちょっと前からTwitter は使い始めてみました。 なぜか「-」は使えなかったので、アンダーバーに変更して「d_mate」。でも、語学関連のつぶやきはほとんどありません。 WEBサイトでの表示言語をドイツ語にしているのですが、おかげで「○○さんがあなたをフォローしました」というメールももちろんドイツ語で届きます。「Follow」は「Folge」なんですな。 ブログに記事を書くとなると、一応は起承転結があるように意識するのですが、140文字しか書けないTwitterならばちょっとした感想や雑記でも問題ありません、というか、それしか書けません。 気軽に書けるので、特にiPhoneや携帯電話と相性が良いのでしょうね。あまりやりすぎるとプライバシー大公開になっちゃいそうですが。 140字は長いか短いか さて、Twitterには一回のつぶやきが「140字」という制限があります。 使い始める前は、足りないなと思っていたのですが、実際にはこれってけっこう「書きで」のある文字数だということがわかりました。 こうして書いた上のパラグラフは98文字です。 さらに42文字書けるわけで、うまく工夫すれば一回のつぶやきで十分に内容のある文を書くこともできそうです。 ところが、これは表意文字を使える言葉ならでは。英語やドイツ語でつぶやいてみると、印象はがらりと変わります。 Heute morgen bin ich um 8 Uhr aufgestanden. Es war schönes Wetter. Dann habe ich geduscht und gefrühstückt. これで107文字です。一方日本語ではどうなるかというと、 今朝は8時に起床、天気がよい。シャワーを浴びて朝食をとった。 こちらはたったの30文字。まあ、ドイツ語だってもっと短くできるでしょうから、この例で判断しちゃうのも乱暴なのですが、それにしても圧倒的な差です。 だって、「起床」と「aufgestanden bin」、「朝食をとった」と「gefrühstückt habe」と比べるだけでも、かなりの文字数の違いがあります。 漢字が使える日本語と比べると、アルファベットのみで言葉を書き表す欧米語にとっては「140字」はかなりの制限だといえるでしょう。 でも練習にはちょうど良い 別にブログには長文を掲載しなきゃならないなんて決まりはないのだから、学習中の言葉でブログを書いても良さそうなものですが、どうしてもまとまった内容の文章に仕上げなくちゃ、という意識が働いてしまいます。 私はこれまでに何度か、英文のブログにトライして、続けられずに中断しているのですが、どだい母国語と同じように加工とすると無理があるわけです。 Twitterの140文字という制限は、ちょうどひとつかふたつのセンテンスでの作文練習にはむしろもってこい。やりたくてもこれ以上は書けないのだから、気が楽というものです。 たとえば、2週ほど前にこんな風に書きました。 Jetzt höre ich 1. Sinfonie von Mahler auf Digital Concert Hall von Berliner Philharmoniker. Er ist mein Lieblingskomponist. これで124文字あります。 ほんとはこのあとに「Es ist schön, dass man jederzeit in die Berliner Philharmonie gehen kann.」くらいを続けたかったところですが、これだけで73文字もあってとても無理でした。 なので、ホントにワンセンテンスの練習です。でもこれを続けるのって、けっこう表現の幅を拡げられるんではないかと。 すでに「Twitterで英語」みたいな本がいくつか出ているようですが、別に本なんか読まなくても、とにかくワンセンテンスずつつぶやいてみるのは簡単です。もちろん、読むのだって簡単。 そんなわけで、英語やドイツ語でのつぶやき、けっこうオススメの学習法ですよ。 |
2010年10月23日 (土)
duzenしないで
duとSie ドイツ語でおなじみのduとSieですが、英語では二人称はyouだけなので、最初に習うとかなりの違和感があります。 ただし考えてみると、日本語の場合にだって、あなた、きみ、おまえ、きさま、あんた、そち、てめえ...と、数多くの二人称があるので、相手によって呼びかけかたが変わるというのは必ずしも目新しい概念ではないはず。日本語の敬語表現を外国人が学ぶのに比べれば。かわいいものかもしれません。 とはいえ、母国語と比べると覚えるのに苦労があるのは当然のことで、ただでさえあれこれと覚えなくちゃならないのに二人称が二種類もあるなんて、初学者にとってははなはだ迷惑な話です。 Sieの場合、動詞の語尾がwirと同じ、つまりは現在形ならば「-en」で終わる形のままでよいので、比較的早い段階から使えるようになります。しかもこちらは単複同型です。 一方で、duの場合には「-st」になるのでいちいち覚えなくちゃなりません。さらには複数形の「ihr」の場合には「-t」となってさらに別のパターンを覚えなくちゃなりません。「-t」だからといって、不規則変化する動詞では三人称単数とは形が異なることが多いのもいやらしい。 なので、duzenしない ドイツ語教室でも、講師によっては期の途中で「duzenしませんか?」すなわち、これまではSieで呼び合っていたけれど、duにしましょうという提案があります。du anbietenというやつです。 で、生徒のほうからするとこれが大変に困るのです。 だって、上記のように覚えるにはSieのほうが圧倒的に楽だから、Sieを使い続けるほうがくろうが少ないのです。 ドイツ語圏の友人や部下などを持つ機会は多くはないので、duを使うケースは決して多くありません。新たに覚えなくちゃならない上に使う機会が少ないのだから、duとは距離ができて当然というものです。 罠だ! そして今週のこと。 テキストのテーマは「Sie und du」でした。それぞれがどんなケースで使われるか、du anbietenはどんなふうにして、答えかたはどうか、といった内容です。 で、「では練習しましょう」ということになり、「みんなのほうが年上のようなので、話しかけられたら私にdu anbietenしてください」ということで順番に講師との会話練習。 考えてみれば、これでこちらからduzenしようと提案してしまったことになります。 講師からいわれたのではなく、こちらから提案した以上、来週からはduzenしなくちゃなりません。これって罠? と帰路に話し合って気づいたときには、ときすでに遅し。 そんなわけで、来週からは教室内ではduで話さねばなりません。 挨拶こそ「Wie gehe's?」「Danke,gut! Und du?」とシンプルになりますが、その後の会話でちゃんと動詞の変化型が出てくるかはなはだ不安です。 まあこれも練習でしょうけど、旅行くらいでduを使う機会なんて、あるのかなあ... |
2010年10月26日 (火)
宿題はあったほうが良い
宿題は嫌いだった 小学校から中学校までは当たり前のように毎日宿題がありましたが、私の場合、これらをほとんどまともにやった記憶がありません。 とくに小学校のころなど、授業中にだいたいの内容は理解できていたので、わざわざ帰宅後に教科書を開くことなどありませんでした。イヤミなようですが、小学校くらいだとこういう子は少なくないのではないかと。 この頃に、それでもちゃんと自宅で学習する習慣がつけられれば、中学高校と進んでもあまり苦労することもないのでしょうが、私はどれほど親にしかられても平気で好きな本ばかり読んでいました。 結果、自分の意志で学習することも、宿題をきちんとやることもできない、ただのぐうたらとして育ってしまったのでした。 宿題をやらずに学校に行って、教師にこっぴどくしかられた記憶はかなり鮮明にあるのですが、それでも宿題に手をつけなかったのは、なにか意地になっていたのだろうかと、われながら不思議なほどです。 打って変わって いまはどうかというと、大人になると努力なしには何も身につかないことがようやくわかってきて、語学教室の宿題はよほどの事情がない限りやっていきます。 課題として与えられたものだけでなく、「時間があればで良いよ」というものも含めてやってから教室に向かいますから、きっとクラスメートは私のことをかなり真面目な人間だと勘違いしているでしょう。 宿題はそれほどたくさん出るわけではなく、だいわいはワークブック(ドイツ語なので、Arbeitbuchですね)から2〜5問、1ページから1ページ半程度の分量です。 これくらいならば、週末に1時間から2時間もあれば簡単に終えられます。基本的には直前の教室で習った項目に関する問題なので、見た途端に気絶しそうになる、などということもありません。 宿題がないと ときおり宿題が全くない週があるのですが、容易に予想できるとおりに、私はほぼ何も学習せずに(まあ、ラジオ講座くらいは聴くのですが)翌週の教室に向かうことになります。 自分なりに計画を立てて学習する、という習慣を持てなかった私は、宿題がなければ自宅学習ということがまるでできないのです。個人差はあるでしょうが、社会人なんてそんなものじゃないでしょうか(と、仲間を募って自分を正当化しても、しょうがないのですが)。 なので、私は語学教室では負担になりすぎない程度に宿題があるのが好きです。 以前通っていた英会話教室でも、ワークブックをときおりチェックして自宅学習の状況を確かめる、といったサービスがあったのですが、教室以外での学習のきっかけを作ることは、社会人が相手の場合にも大切ということの表れでしょう。 今週のぶんの宿題はたった1問分だったので、ちょっと書く分量は多かったのですが土曜日の夕方に簡単に済ませることができました。 週末に宿題を終えていると、心なしか月曜日を迎えたときの気分も悪くないように思います。願わくば、もう少し成長して、宿題の範囲を超えて自主的に学習できるようになれば、良いのですが。 |
2010年10月30日 (土)
やったなりの成果はあるみたい
デザインの都、ヘルシンキ 不勉強にして知らなかったのですが、「World Design Capital」なるものが2年おきに選ばれているらしく、2012年の「デザインの都」はヘルシンキに決まったそうです。 これに連動して、新宿ではフィンランドからのデザインを紹介するイベントが開催されており、今日は台風の中をでかけてきました。 国際都市東京とはいえ、これだけ多くのフィンランド人を日本で目にする機会はないだろうな、というくらいたくさんの人がきていました。おそらく展示のあるデザイナーのほとんどが会場に姿を見せているようです。 さすがフィンランドのかたがただけあって、来場者とはほぼ完璧な英語でのコミュニケーション、仲間内ではフィンランド語と使い分けていました。 プレゼンテーション 今日の目的は、フィンランドのデザインに関する講演です。 登壇したのはヘルシンキ、ニューヨークと東京で活躍するデザイン会社「KOKORO&MOI」のTeemu Suviala氏。「1+1=3」になるのがデザイン、そして直感と分析とが重なり合う領域によいデザインがうまれるといった、興味深い話が聞けました。 このプレゼンテーション自体は、通訳をおいてフィンランド語で行われました。 もちろん、フィンランド語での講演を通訳なしで理解することなどとてもできないのですが、夏の集中講座やいくつかの参考書を読んでいたこともあり、ときおり知っている単語が聞き取れます。 フィンランド語の発音や抑揚が比較的私たちにとって聞き取りやすいということもあるのでしょうが、時間をかけて練習した数字などはかなりの度合いで聞き取ることができました。 ほんの一つ二つの単語がわかるだけでも、前後の文脈から話が見えることもあります。 多様な格変化などをきちんと理解して話すことは難しくても、もう少し語彙を増やせば「フィンランド語を聞いて『何を話しているか』はそこそこわかり始める」ことは可能かもしれません。 まあ、外国語というのはゼロから始めた最初のころは急激にわかる範囲が拡がるものなので、そううまくはいかないのでしょうけどね。 でも、やった価値はある 少なくとも数字や序数の部分はかなり聴き取れたわけで、外国語を学ぶというのはやったらやっただけの成果が出るものなのだ、ということが改めて実感できました。 つい先ほども、帰宅してかけたテレビ番組でイタリア語の歌が流れていて、「内容がわかる!」と妻が喜んでいました。私もドイツ語のドラマを見ていてときおりフレーズ単位できれいに聴き取れて理解できることが少しずつ増えてきています。 ヘルシンキでは2012年にデザイン関連のイベントが多く開催されるそうです。 9月に訪れてすっかりとファンになってしまったフィンランドを、再び訪れるチャンスは意外に近いかもしれません。 そのときまでに、少しずつでもフィンランド語を理解でき、話せる範囲を広げていきたいですね。 |