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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2012年4月 1日 (日)

言葉の向こうにあるもの
<名誉>てなんだ?
このブログでも何度か取りあげている、映画館でオペラの舞台を上映する「METライブビューイング」の魅力のひとつが、なかなか観る機会の少ない作品にも触れられることです。
先日上映のあった、ヴェルディの「エルナーニ」もそのひとつ。
ヴェルディといえばまずは「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」そして「ドン・カルロ」「アイーダ」ですが、この「エルナーニ」はキャリアの初期につくられたもの。イタリアのサッカー場でよく聴かれ、第二の国家とさえいわれる「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」で有名な「ナブッコ」のふたつ後の作品となります。

主人公のエルナーニは、国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の迫害を受けた元貴族で山賊の頭領。彼と恋に落ちたドンナ・エルヴィーラを巡って、エルナーニとカルロス、そしておいた貴族シルヴァが相争います。
オペラの筋書きにありがちな、「おい、そこはいったいどうなんだ」という不自然さも満載でリアリティとはかけ離れた物語ですが、ここで大きなテーマとなるのが<名誉>です。

シルヴァは自らの婚約者であるエルヴィーラに言い寄るエルナーニが自分を侮辱したと怒り、しかし国王カルロスにその身柄引き渡しを求められると、名誉にかけてかくまったりもします。
国王の手から護られたエルナーニのほうも、その名誉にかけて敵であるシルヴァに自らの命を預けてしまい、これが悲劇につながります。
エルヴィーラはとにかくエルナーニに対して、自分が「貞節であること」を懸命にアピールするのです。あなたの名誉は汚されていない、と。
実にわかりにくい精神構造の人たちなのですが、この<名誉>とはいったいなんでしょう?

ゼロサム社会
「エルナーニ」だけではありません。同じヴェルディの作品でカルロスの息子フェリペ2世の登場する「ドン・カルロ」でも、この<名誉>は重要な要素として登場人物の運命を動かします。
どうやら、当時のスペインや、これらの作品が書かれたヨーロッパの社会を理解するには、名誉についての理解が不可欠のようなのです。

そんなわけで、「地中海世界の〈名誉〉観念 スペイン文化の一断章(芝紘子 著)」という本を読んでみました。
それほど読むのが困難な本ではないので、関心があればぜひ目を通していただきたいのですが、この不可思議な(あるいは過剰な)名誉観念が育ったのは、主に地中海沿岸の地域、南イタリアや南フランス、そしてとりわけスペインで顕著だったようです。

簡単に理解したことをまとめるの次のようになるかと思います。
乾燥した気候のゆえに農耕に適した土地が少なく、ために少ない生産地を巡る争いが日常化せざるを得ない条件があったこと。すなわち、「自分が利益を得るためには、誰かから奪わなければならない」ゼロサム社会であったことが大きな要因です。
この条件下で、子供を産み育てる女性が「財」としての価値を見いだされたことから「家族の女性の貞潔を護る」ことが男性の名誉であるという観念が生まれ共有されました。
おもしろかったのは、この名誉の裏返しとして「他者の財を奪う」という名誉観念が生まれ、これがドン・ファン型の行動につながったという考え方です。
「エルナーニ」の主人公は本名をドン・ファン、そして恋人の名前はドンナ・エルヴィーラですが、まさにモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」に背景の文化では一直線につながっているわけです。

言葉、文化、歴史、社会
「なんだまた語学に関係ないこと書きやがって」と思われたでしょう。毎度すみません。
「ビジネスで必要な」英語や中国語はともかく、他の外国語を私たちがわざわざ時間と労力をかけて学ぶ理由はなんでしょう。
もちろん、「単なる好奇心」はあります。けれど、それだけでは長続きしません。
やはり、その言葉の背景にある文化や歴史、あるいはその社会自体に何らかの関心があるからではないでしょうか。

私の場合は、中学校の歴史の教科書で見つけた「神聖ローマ帝国」という訳のわからない(だってローマじゃなくてドイツだし、なにが神聖なんだか理解できないし、帝国というには小さい)国名から、ずっと「ドイツ」という国の成り立ちや、文学や音楽に関心があったことがドイツ語を学ぶ要因になっています。
この流れで、同じように優れたビールを造り出したチェコに関心が出てきたり、オペラという大がかりな芸術を完成させたイタリア、そしてその舞台となるフランスやスペインにも関心が拡がります。いつかこれらの言葉も学んでいこうと思います。
一方で、ヴァーグナーの「ニーベルングの指環」でも描かれた神話世界からは、スカンジナヴィア半島の国々へとほぼダイレクトにつながります。
ドイツ語とも親戚に当たるこの地域の言葉も、ぜひやってみたいですね。

もちろん、古い神話とかクラシック音楽だけでなく、いまの社会にも、あるいは料理やお酒にも大いに興味があります。
いつか旅をするなら、できるだけその地域の言葉でコミュニケーションがとれるように準備をしていきたいと私は思います。街中で建物やさまざまな装飾を見る時、その文化的な背景を理解できていれば、きっとより深く味わえることでしょう。
言葉は単におしゃべりの手段としてだけでなく、その向こうにある豊かな文化を理解する手がかりでもあります。
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2012年4月 4日 (水)

SNSでOutput
新年度3日目です
4月からの新番組に切り替わっての3日目。みなさんちゃんと観て、聴けてますか?
私はラジオのほうはストリーミングだより(生活時間が合わずに放送時間にあわせて聴けない)なので、来週から新講座ということになるので、テレビ講座のみ先に新年度入りです。
月曜日の「テレビでイタリア語」と「おとなの基礎英語」、昨日火曜日の「テレビでドイツ語」、そして今日は「3ヶ月トピック英会話」が始まりました。

これから始まるフランス語や明日からのスペイン語も含めて、ヨーロッパ4言語は3年目を迎えた「EURO24」です。
最初の週は基本の挨拶語と、「私は〜からきました」という表現。イタリア語では「Sono di 〜」ドイツ語では「Ich komme aus 〜」という言い方でしたね。これだけを見ても、やっぱり主語を省略できたほうがスマートな感じがしちゃいますが。
あ、ちょうどいまフランス語が始まりました。村治佳織さん登場です。

3ヶ月トピック
私はテレビの語学番組でけっこう好きなのが、「3ヶ月トピック英会話」です。
旅やホームステイで使える英語表現が比較的多いですが、ジャズのスタンダード曲を歌ってみたり、あるいは今回のようにSNSでの英語表現を取りあげてみたりと、簡単な表現を組み合わせて実用的な英語を学べます。

今日からの「SNSで磨く!英語Output表現術」は、一単語からと実に簡単。
初回だけを見ると「こんなので役にたたんだろ」なんていう感想も出てきそうですが、慣れてないとこの「たった一単語」が出てこないことが多いんですよね。なので、どんな簡単な、バカじゃないの、と思えるほど素朴な表現であっても、タイミング良くポンと出てくることが大切。

おなじみ英借文
講師の本間先生からは、ゴガクルブログ読者にはおなじみの「英借文」テクニックの紹介もありました。
「I'm on my way to Nagoya for musical performances.」を借文して、「I'm on my way to Shinjuku for comedy show.」なんてやってましたね。
「I'm on my way to Kasumigaseki for a meeting.」「I'm on my way to Yotsuya for a Germany class.」...いくらでも応用が利きます。やっぱり英借文はエライ! こうやっていろんなシチュエーションに合わせて単語を入れ替えて何度か使っているうちに、表現が自分のものになります。

気の利いた表現や口語表現を憶えるのも良いですが、こういった基本的な(いってみれば当たり前の)表現を借用して、身近な出来事を英語でOutputができるようになると、飛躍的に会話の引き出しは増えていきます。
正直なところあまり期待していなかったんですが、3ヶ月しっかりつきあってみようかと思います。この番組。
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2012年4月 8日 (日)

スマホ?、タブレット?
ながら歩き危険
最近駅のホームや地下街などで良く人にぶつかりそうになります。というのも、手元の携帯電話に夢中で周囲をまるで見ずに歩いている人が増えたので。
携帯電話でメールを読みながら歩く人はもとから多かったのですが、最近スマートホンが増えたことで、画面を凝視したままの人が増えてきているように思います。
広い場所ならばよけられるのですが、人混みだとよけようにも少し身体をずらすくらいしかできないこともあって、他人がなにも気にせずにスタスタとこちらに向かってくるのはけっこうなストレスです。
スマホに限らず、携帯ゲーム機でも文庫本でも、何かに目を落としながら歩くのはとても危険なのでやめましょう。

それはそうと、最近のスマートホンユーザー増加の勢いはすごいですね。地下鉄に乗ると、左右とお向かいが全員iPhoneなんてもこと少なくありません。
かくいう私も、ついにスマートホンへの機種変更(というよりは、キャリアも変更したので乗り換え)を終えて今日からスマホデビューです。iPadは使ってましたので、まるで様子がわからないということはないのですが、androidは初めてなのでどうも勝手がわかりません。

帯に短したすきに長し
中途半端なものはどの用途にも使いにくい、というのが世の常ですが、今回購入した電話はまさに帯にもたすきにもなるようにデザインされたもの。
5.3インチという、片手で持つにはかなり巨大な画面をもつスマートホンを選びました。ドコモから先日発売になった、「Galaxy Note」という機種です。
一般の電話だと画面のサイズは3.5インチ前後、大きなものでも4インチですが、この大きさはiPod touchでも使っていて、文字の多いサイトやPDFファイルを読むには適していません。とくに年齢的に近くにピントが合いにくくなってくると、小さな画面はつらい。

5.3インチというと、文庫本のページよりも少し小さい程度。
この大きさならば、少し文字を拡大してやればWEBサイトであれ、さまざまなファイルであれ、かなりラクに読むことができます。ついでながら、YouTubeなどの動画もかなりの迫力で、最近増えているHD画質の映像もなかなかきれいです。
ここゴガクルのサイトは、縦位置ではさすがに文字が小さいですが、拡大は簡単ですしね。問題ありません。

iPadとの最大の違いは、Flashコンテンツがそのまま利用できること。
すなわち、NHK語学番組のストリーミングが、ちゃんと使えるのです。これは語学学習者には大きい。昼休みや通勤時(まあ、地下鉄ではダメですが...)に、15分間の語学番組を聴くことが非常に簡単です。
AndoroidはもともとFlashにも対応していましたが、昨年くらいからOSのバージョンも上がって対応の幅が拡がり、機種もいろいろと選べるようになってきましたから、迷っているならこの4月からの学習開始と一緒に、というのも良いのでは?

電子書籍も快適に
DSCN6431.jpg
電車に座れた場合など、iPadを取り出して電子書籍リーダーとして使うことも多いのですが、こういう場合10インチの画面を持つタブレットってやっぱりちょっと大きいのですよね。
それに、乗り換えや目的の駅に着くギリギリまで読んでいると、そのまま抱えて乗り降りするのはちょっと不安。かといって、大きいので簡単に鞄にしまうことも難しいです。

そこへ行くと、文庫本サイズならばポケットにもすっと入ります(まあ、多少かさばりますし、いつもやっているとジャケットが型くずれしちゃいますけどね)。
携帯電話サイズよりも大きな画面で読みやすく、タブレットよりも取り回しがしやすい。
電話としてみるとかなり異色の大きさではありますが、これ、外国語学習ツールと考えると、かなりバランスのとれたサイズといえなくもありません。

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2012年4月11日 (水)

失敗じゃなく、一時中断
「失敗」したくない
facebookで友人がシェアしてくれたブログ記事に、おもしろいことが書いてありましたので紹介します。

 失敗について(TAIZO SON'S BLOG)

大学で行われたパネルディスカッションでの質疑のコーナーで、ある女子学生が次のような質問をしたそうです。

「皆さんにおうかがいしたいのですが、皆さんがこれまでに経験した最大の失敗ってなんですか?もしよろしければ目もあてられないようないちばんひどかった失敗を教えてください」

ブログの著者がこの学生さんに質問の意図を尋ねたところ、自分も将来新しいことを始めたいが、反面失敗が怖い、ということだったそうです。
なるほど、たしかに失敗は怖いですね。新たに事業を始めて失敗しようものなら、身ぐるみはがれて夜逃げ...なんていうイメージが未だに強いです、日本では。
失敗といったって程度がありますから、それほど悲惨なことになどいたらないケースも、かなり多いんですけどね。

「失敗した」と思わないこと
さて、この著者は「絶対失敗しない極意」として紹介したのが、「どんなにひどい状況になっても『失敗した』と思わないこと」。なんでも松下幸之助氏の教えらしいです。
で、失敗したのではなく、「一時中断」だと思っておけばよいのだ、ということ。

これはたしかにその通りで、なにかをやって「ダメだった」「できなかった」という失敗体験を積み重ねると、どういうわけか人間はもともとできていたことさえ失敗するようになります。
こうなるとまさに悪循環で、なにをやってもうまくいかない、人から評価されず自信も持てない、次に手がけたことも結局できない、一発逆転を狙って無理な目標を立てて失敗を繰り返す...と、碌なことがありません。
失敗を認めることを次へのバネにできるひともいるでしょうが、多くの場合はマイナスに働くことのほうが多いですね。

「一時中断」してるだけ
語学の勉強も一緒だな、と思います。
もともと外国語などそうそう使う機会もなければ、母語に比べて圧倒的に使う時間も必要性も小さいもの。簡単に身につくほうが不思議です。
なので、ちょっと躓いたからといって「失敗した」「うまくいかない」などと思っていてはいけません。ほとんどの人が負け続けるのが外国語学習です。

学習がうまくいっていないのではなく、「一時中断」しているだけ、と思えば気楽なものです。なにも、明日英語が話せるようにならなければ生活に困るわけではなし(そんな状況にいる人は、きっと少数でしょう)。
4月の新学期が始まったばかりのところでこんな話題もナンですが、きっとあと1ヶ月2ヶ月と経つうちに、だんだんと気力も萎え、「ああ、今年もダメだった」なんていう気持ちにおそわれる危険が増えてきます。
そんなときには、むしろ積極的に「一週間中断!」とか思っておけば、良いのではないでしょうか。英語に見放されたのではなく、自ら距離を置いているだけ。

そんなのごまかしだよ、と思うかもしれませんけど、大人の勉強には気分がとても大事です。気持ちが乗らないのに嫌々やっていたって、つまらないだけでしょう。
限られた時間を不愉快な事柄に費やしても仕方がありませんから、また楽しくなるまで「中断」するのもまた、立派な学習継続の秘訣なんじゃないか、と思います。

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2012年4月15日 (日)

ベルリンからのギフト
128
桜がいよいよ散り始めた水曜日、帰宅すると大振りな雑誌が届いていました。タイトルはシンプルに「128」とあります。
これは、ベルリン・フィルがこの春に創刊した音楽雑誌ではありませんか。注文した憶えはないのだけれど、と開けてみると、デジタル・コンサート・ホールを長く契約している顧客へのギフトだとか。
たしかに、デジタル・コンサート・ホールは最初の年から年間視聴契約をしていますから、これで4シーズン目になります。きっと年間視聴契約の客全員に送ったくらいなんでしょうけど、まあ上得意扱いをされるのは気分の良いものです。

この雑誌の名前「128」というのは、ベルリン・フィルの団員の数なのだそうです。
人数の増減によって雑誌名が変わるのは大変でしょうから、これはきっと規約かなにかで決められた数なのでしょう。単純に考えれば、小規模な演奏会なら同時に2カ所で「ベルリン・フィル」が存在できそうな数ですが、まさかそんなことはしないのでしょうね。

英語版とドイツ語版
挨拶状には、「Our magazine is available in English and German.」とあります。届いたのは英語版のほうでした。
どうせならドイツ語版にしてくれればいいのに、とも思いましたが、冷静に考えれば関心のある分野とはいっても、いまの実力ではドイツ語版の記事を読み通すのは難しいでしょう。いまのところ読み終えたのは先日引退を表明したバリトン歌手トマス・クヴァストホフのインタビューくらいですが、英語ならばそれほどは苦になりません。

同じく英語雑誌といっても、たとえば「Harvard Business Review」だと英文そのものの難易度も少し高めで1ページに10分かかったりもしますが、インタビュー記事で内容も音楽に関わるものだけに、お昼休みの残り時間でさっと読めるのはありがたいです。
このところ英語に意識してふれる時間がずいぶん減ってしまっているので、せめて読むくらいは続けていないとあっという間に忘れてしまいますから。

最適リーディング教材
雑誌の作り自体は非常にビジュアル面を重視していて、実際のところ文字が印刷されていない写真だけのページも相当あります。
この雑誌を手に取る人はオーケストラに関心があることがほとんどでしょうから、興味がある内容が平易な文章で書かれていて、しかも分量が少ない、というリーディングの教材に必要な条件が見事にそろっています。

刊行ペースが季刊であるというのも良いところ。
月刊誌だと、正直なところ全体の3分の1も読めないうちに次の号が届いてしまい、半分くらいが積ん読状態になってしまいます(経験談)。そこへ行くと、3ヶ月かければだいたいの記事を読み終えてから次を手にすることができるでしょう。
この雑誌ならば、定期購読を考えても良いかもしれません。

問題は、「英語にするか、ドイツ語にするか」ということ。
英語版は、いまこの記事を書いている時間(おおざっぱに30分くらいです)の途中で、コンサートマスターの樫本大進さんの記事を1ページぶんざっと目を通せるくらいですので、読むことの不可はほとんどありません。
おそらく、中級程度でTOEICでいえばリーディングのスコアが400を超えていればなんの問題もないと思います。

ためしにベルリン・フィルのサイトでドイツ語のサンプルページを見てみましたが、ちょっと苦労するけれどときおり辞書の助けを借りればなんとかなりそうではあります。
苦痛にならない方法で英語との接触を維持するか、なかなか上達しないドイツ語をせめてリーディングで伸ばすか、悩むところです。
お値段は1冊7ユーロ、日本への送料が5.5ユーロですから、年間50ユーロですから5,000円をちょっと超えるくらいです。英独両方となると1万円を超えますし、言語を買えて二回読むとも思えませんからムダですね。どうしようかなあ。
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2012年4月22日 (日)

シングル本
アルバムとシングル
街の「レコード店」が「CD店」になり、いまやネット配信に主流が移って店舗がどんどんと減っています。
LPレコードのアルバムがほしいけれど2000円以上もしてはなかなかお小遣いではまかなえず、中からシングルカットされた単曲をドーナツ盤で買って何度も何度も繰り返し聴き続けて親に呆れられた、というのも今は昔。

ウォークマンが登場して音楽を場所を選ばずに自分一人で聴けるようになり、iPodが持ち歩ける音楽の量を大幅に増やし、そして音楽データそのものをネット上において手元の機器の容量が制約ではなくなりつつあります。
音楽だけでなく、映画やドラマなどのビデオも含めて、あらゆるコンテンツについて、「買ったコンテンツをディスクやメモリに保管して持ち歩く」時代は過ぎ去ろうとしているように思えます。

こうなると、アルバムとかシングルとかいった概念も、急速に消えていくでしょうね。
むしろアルバム単位の形にこだわることのほうが、音楽に関しては古めかしくなっていくのかもしれません。
iTunes Storeなんかだと、アルバムの中の曲が単曲でも買えますから、シングルカットされない特定の曲だけのためにアルバムを買う必要さえなくなっています。
ただし、単曲で販売する曲を長さで区別しているようで、交響曲の特定楽章だけが単体で買える、というおかしなことも発生するのですが。

短編集とシングル盤
音楽においてアルバムの枠組みが消えつつあるのと対照的なのが書籍です。
たとえば、トム・ゴドウィンの名作短編「冷たい方程式」を読みたいと思い立った読者がいたとします。この作品はハヤカワ文庫から他の作品と組み合わせたアンソロジーとして販売されていますが、読みたいのはこの作品だけでも、他の8編の短編小説とセットでないと買えません。
また、特定の短編小説や短いエッセイだけが知られている作家の場合、その作品が何らかの形でアンソロジー等に採録されなければ、読まれることなく埋もれていく可能性もあります。

もちろん、アンソロジーで当初の目当てとは違う作品の魅力に気がつき、そこから読む本の幅が拡がっていくというメリットは見逃せません。
しかし、それならば特定の作品をキーにしたリコメンド機能によって代替可能です。まあ、古い読者である私自身も、現在のショッピングサイトのリコメンド機能に満足しているわけではありませんが...

短いということは、その言語を外国語として読む読者にとってもありがたいことです。
読書が趣味といっても、長編小説をじっくりと読むのはそうそう簡単ではありません。時間もかかるし、その間他の本が読めなくなっちゃいます。負担が大きすぎては長続きしないのが趣味でも学習でも一緒のこと。
短い小説やエッセイならば、そこそこの時間でひとつの作品を読み終えることができ、飽きたりくたびれたりということがありません。

本をばら売り
短編小説を単体で買えないのか、というニーズに対応できそうなのが、「Kindle Singles」というサービス。
ようするに、Kindle専用(といっても、専用機だけでなく、iPadやスマートフォン、PCやMacでもKindle向けの本は読めます)の電子書籍を、従来の「本」の単位でまとめるのではなく、短い文章をばら売りにしてしまおう、というもの。
当然長編小説などよりはやすく、$0.99から$2.99程度で購入ができます。
これならば、一冊の「本」にまとまらない作品を販売することができるようになり、たとえば人生でたった一編だけの傑作短編を書き上げた作家でも、広くその作品を販売することができるわけです。

他におもしろいと思ったのは、旅行ガイドのばら売りです。
旅行ガイドは、たとえばアメリカ西海岸とか国単位といった少し広い範囲を扱いますが、ロサンゼルスに旅行に行くだけなのにラスベガスやサンフランシスコの情報は不要。持ち歩くにしても重たくなります。
都市ごとや狭いエリア毎にばら売りされていて、しかも電子書籍としてスマートフォンやタブレットで持ち歩ければ、荷物は実質増えません(スマートフォンを持っていくのが荷物でいやだ、というなら話は別ですが)。

Kindle Singlesにはまだ200に満たない「本」しかなく、ここで好きな本が見つけられるとはいえない状態です。
けれど、これが拡充されていけば、本の読み方が大きく変わるかもしれません。
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