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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2010年1月 2日 (土)

Happy new year!
Hello, everyone! Happy new year!!
Hallo, lieber Leserin und Leser! Frohes neues Jahr!!
みなさん、新年あけましておめでとうございます。

「A」がいらないこと、いつ知りましたか?
よく見る英語での新年の挨拶「Happy new year!」ですが、「A」は不要なんですね。
私もつい最近まで年賀状に「A happy new year!」と書いていました。昔のを調べてみると、2006年までそう書いています。少なくともこの年までは「A」付きだと思っていたのでした。
でも、このフレーズを単独で使う場合には「A」はいりません。詳しくは、川本さんのブログをご覧あれ。

 Happy New Year!(川本佐奈恵 You can do it!)

それと、Yuhさんの記事にはいろんな言葉での新年の挨拶集が。新年に限らず、挨拶やお祝い、そして下記の記事の直前にもありますが、感謝などはいくつかの言葉で言えると良いですよね。

 [多言語]新年のごあいさつ(好奇心のままに! おうちでゴガク)

さて、「A」が不要だと気がついた2007年以降はというと、実は我が家の賀状には「Happy new year!」というフレーズを登場させていません。2007年にはスワヒリ語で「Heri za mwaka mpya!」、2008年は喪中で2009年にはドイツ語の「Frohes neues Jahr!」とイタリア語の「Felice anno nuovo!」を並べました。
おかげで我が家の年賀状、親や親戚からは「何のことかわからん」といわれています。今年はついに、写真と住所氏名だけ、という超シンプル版に。決してぎりぎりになってからやっているので手間を惜しんだわけでは、ないのですが。

「マンマ・ミーア!」
年末年始はのんびりできているでしょうか?
私は普段よりもちょっと短い6連休(メーカー勤務なので、普段はもうちょっと長めなのですが、今年はカレンダーがあまり宜しくありませんでした)、すでに半分が終わってしまいました。危惧したとおり、あまりちゃんと勉強していません。
朝食を用意して食べながら、年末に録画してあった映画、「マンマ・ミーア!」を観終えたところで{あ、今日は土曜日じゃないか!」と思い出したのでした。

「マンマ・ミーア!」はご存じのとおり、人気ポップグループ「アバ(ABBAだけど、最初のBは逆向きです)」の曲をふんだんに使ったミュージカルを映画化したもの。
劇場に観に行くつもりだったのですが、何となく予定が立たないうちにおわってしまったもの。WOWOWが放映してくれたので、念願かないました。最初から最後まで1秒も退屈することもなく、楽しくあっという間に2時間弱が過ぎ、もうお昼の心配をする時間となってしまいました。

アバはかなり長い期間トップスターでしたので、「若い頃ファンだった」というかたもけっこう幅広い年代にわたると思います。ちなみに「ダンシング・クイーン」の大ヒットは私が中学校の頃でした。
彼らはスウェーデンのグループですが、歌詞はすべて英語で書かれていることはよく知られています。当時も洋楽の中では比較的平易で聞き取りやすく、それほど熱心に英語に取り組んでいなかった私でもいくつかのフレーズは口ずさめます。世界中で受け入れられたのはそのためもあったかもしれません。
私でさえいくつかのフレーズを覚えたくらいですから、当時は洋楽を何度も聞き、歌詞カードを見ながら覚えるというのは中高生の英語学習の間ではかなり一般的だったのではないかと思います。

今年も楽しく
昨年、語学の勉強が楽しめたかた、目標に到達したかた、結局時間がとれなかったかた、新年の抱負で終わってしまったかた、いろいろだったと思います。とにかく2009年は終わり、新しい年がやってきました。
一年の計は〜などと古い言葉を持ち出すまでもなく、新しくなにかを始めるにも、新規まき直しをするにも、新年というのは良いきっかけです。

思えば30年前に英語に触れる機会といえば学校の授業とNHKの講座を除けば洋楽と映画館で観る映画くらいだった(当時はテレビの2カ国語放送もなかったか、始まったばかり)のですが、いまではテレビでもDVDやBDでも、ラジオやWEBサイト、そしてPodcastと、なんだか英語に取り囲まれて生きているかのようです。
今年は英語(あるいはドイツ語、イタリア語、etc.)をがんばるぞ! と思い立ったら、まずは最初の3ヶ月くらいはあれこれと試してみて、自分にとって一番あった英語の吸収方法を探すのも良いかもしれません。これだけあれば、なにか一つや二つは、続けられるものを見つけられるでしょう。

さて、皆さんの今年の目標は何でしょうか? 私は具体的な目標というよりは、今年も楽しんで英語やドイツ語に触れ、少しずつでも使える場面を増やしていくこと。
今年も楽しくゴガクしましょう(って、年末にも書きましたね)。
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2010年1月 5日 (火)

座れる長距離通勤なら、学習も効果的?
最近の通勤事情
私は就職して配属先が「東京」に決まったとき、同期の新入社員の羨望にもかかわらず、ひどくがっかりしました。
出身地に配属されたいと思っていたこともありますが、なによりも、噂に聞く「東京の通勤地獄」を体験せねばならないと思うと、他にどんなメリットがあろうと「ゴメンだ」という気分でした。
 
案の定、入社してみると最寄り駅からは乗り込むのがやっとというほど混雑した電車が到着し、当時は地下鉄車内には冷房もなく、梅雨の時期から夏場にかけては会社に行くだけで汗だくになる始末。
途中で独身寮の部屋が不足して、別の寮へ引っ越すことにならなかったら、もしかしたら通勤の苦痛のゆえに3年ほどで会社を辞めて田舎に帰っていたかもしれません。
 
結婚して以来、私の通勤は入社当初ほど過酷ではなくなりました。
それは、あまり人気がなくてもラッシュ時の混雑がひどくない路線を選び、さらには各駅停車で良いから始発電車のある駅を使うようになったから。その時々で対象は変わりますが、通勤時間を学習やら読書やらにあてられるのはありがたいことです。
おかげで、いまでも押し合いへし合いせざるを得ない満員電車には、うまく乗れませんけれど。
 
残念なのは乗り換え
私のいまの通勤では、残念なことに2回の乗り換えが必要です。どれもそれほど混まないのですが、20分乗って乗り換え、さらに20分、そして最後に5分という細切れになるのが、わりと恵まれた通勤環境の中での大きな悩み。
これは私の住居選択のミスではなく、会社のほうが勝手に事務所を移転したのです。
 
通勤時間が細切れになるのは、本を読んだり、あるいはラジオの語学講座を聴いたりするには適していません。
移転後の独身寮からの通勤や、1年ほど前に事務所移転するまでの期間は、「乗車時間は長いけれど、乗りっぱなし」の通勤でした。したがって、ある程度落ち着ける場所(座れるか、そうでなくても車両の一番端など)を確保できれば、読書タイムとしてはなかなか使い勝手の良いものです。
とりあえず気に入った音楽を流しておくには乗り換えは気にならないけれど、語学学習でのまとまった長さの聞き取りなどは、歩きながらではとても無理です。周囲の音がまったく聞こえないと危険なので、携帯プレーヤの音量は小さくしているのでなおさら。
 
首都圏に住んでいて、あまり混まない電車に(けっこうな確率で)座って通勤できて、しかも通勤時間が1時間程度というのは、かなり恵まれたほうだといえます。
とはいえ、乗り換えのために長いホームを歩くたびに、「これなら45分乗りっぱなしの通勤のほうがずっと良いよなあ」と思うのでした。45分あれば、ラジオ講座3回分をしっかりと聴けるしね。
 
通勤時間をうまく活用...けど他の時間は?
オフィス仕事の勤め人を続ける限り、通勤時間というのはなくせません。個人差はあれ度、片道45分から1時間程度として毎日2時間弱、年に400から500時間。
これだけの時間をうまく使えれば、英語でもドイツ語でもフィンランド語でも、かなり上達できそうです。年に400時間の学習を4年続ければ1600時間ですから、理屈の上では日常会話程度の外国語を通勤時の勉強だけで身につけるのも、夢ではないはず(実際には、話す、書く、というアウトプット訓練が難しいので、通勤だけ、は無理かもしれないけど、まあ、純粋に時間だけの話なら、こうなります)。
 
1000時間から1500時間という時間をどうやって捻出し、生活のリズムに組み込むか、については、一度個人のブログで書いたことがあります。
 
 
3年計画で1500時間しっかり勉強しようと思えば、年に500時間が必要です。通勤時間の仮に半分を語学にあてたとして、200ないし250時間が確保できますから、残るのは半分。
週末に2時間、平日は30分を加えると週に6時間半で、年に50週として325時間です。これで500時間はいけますね。自宅での学習は声に出して読む訓練やディクテーションで手と耳と口を動かすのに使えばいいわけで。
 
朝夕の通勤のどちらかで、けっこう集中してラジオ講座なりリスニング教材を使って学習を続け、さらには平日30分、週末に2時間ずつの時間をかけられれば、3年で日常会話程度の外国語は身に付くかもしれません、ということです。
これをやってもダメな可能性はありますが、やらずに身につく可能性はもっと低いでしょう。語学学習においては、かけた時間はほとんど学習者を裏切りません。

でも、楽しくなければ
とはいっても、「最低1500時間!」なんて思い詰めるばかりでは、続けられるものも続きません。
なにか明確な目標があればそれに向かってがんばれるでしょうが、ちょっとやってみよう、くらいであれば学習プロセス自体を楽しめるのが一番です。膨大な教材やPaocastのなかから自分の関心にあったものがきっと見つかります、まずは自分にあった教材を探すことは長続きの第一歩なんじゃないかと思います。
もしくは、英会話教室や英会話カフェなど、「そこに行って話すのが楽しい」場を見つけることもきっと有効。

年に500時間というのは、実に6%近くもの時間にあたります。貴重な一年の18分の1もの時間を費やすのですから、楽しめなければやってられません。
新年を迎えて「今年はゴガクルぞ!」と決意したかたも多いと思いますが、成功の秘訣はやっぱり「楽しむこと」じゃないかと思います。たとえば、1月は自分が楽しめる教材や学習の場を探すことを目標にしては、いかがでしょうか。
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2010年1月 9日 (土)

テキストの例文に見るお国柄
イタリア語って...
昨年から妻が本格的に勉強を始めたのがイタリア語、私もおつきあいでNHK「テレビでイタリア語」をよく観ています。モニカさんが登場しない回は真面目に観ていないと、良く指摘されますが...
ちょうどいまやっている再放送の「文法戦隊イタレンジャー」や昨年上半期の「ヴォカボリ宮殿」など、ラテン系という言葉でくくってしまうだけでは足りません。なんかこう、根っこのところで明るくおおらか。でも、笑ってみているうちに名詞の変化などは自然と覚えちゃうので、きっと効果的なのでしょう、おバカっぽいけどバカにできません。

一方のドイツ語は、観光にせよ文化にせよ、どこかちょっときまじめな番組が多いように感じます。これって、言葉の特徴なのか、講師のかたがたの特徴なのかわかりませんが、おふざけとは無縁ですね。だからこそ、豚のマックスが貴重な存在なのですが。
語学講座の番組作りからの印象だけで(しかもこの一二年の番組だけで)お国柄を決めつけてしまうのはいけませんが、やはりイタリアとドイツについてのわりと一般的だろう印象、つまりかたや明るくてちょっといいかげん、一方は思慮深くてちょっと堅苦しい、というのが見事に強化されてしまいます。

テキスト例文でも
私がいまドイツ語の教室で使っているテキストは、「Schritte international」というもの。
ここで出てくる例文は、そう真面目で堅苦しい訳じゃないけれど、ごく日常的な仕事や学校、家庭生活の一場面が多いです。そのぶん、良くありがちなシチュエーションでもあって、実用度は高いのかな、という印象(私はまだドイツ語を教室の外で使ったことがないので、印象だけですが)。
ところで、このテキストにも「spazieren gehen」が頻繁に登場するので、ドイツ人ってよほど散歩が好きなんですな。これだけじゃなく、NHKのラジオ講座でもほぼ100%の確率で登場しますしね。

一方のイタリア語に出てくるのは、レストランや歌劇場などの場面が目立ちます。
さすがオペラの本場だけあって、「今日のソプラノはイマイチだったね」なんていうフレーズがあちこちに。たしかに、日本人でイタリア語を勉強する人に占めるオペラ愛好者の比率はかなり高そうですから、これも実用を考慮したものといえますか。
ほかにも「オペラのイタリア語」「バールのイタリア語」といったタイトルの本もあって、いってみれば人生を楽しむための言葉、という感じ。

これがドイツ語だと「ワーグナーのドイツ語」とか「ゲーテで読むドイツ語」とかになっちゃう? うーん、やっぱり重たいな。
きっとドイツにだってもっと違うタイプの文化があるでしょうにね。あ、「ビールを楽しむドイツ語」てのがありましたっけ。

「あんたっていつもドン・ジョヴァンニ」
ドイツとイタリアの接点といえば、我が家ではモーツァルトの歌劇。
モーツァルトはドイツじゃなくオーストリアの人だし、歌劇ではイタリア語とドイツ語が混じって出てくるわけじゃ、ないのですけどね。

ドイツ語による「後宮からの逃走」や「魔笛」も良いのですが、やはりイタリア語で書かれた「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」そして「ドン・ジョヴァンニ」はいつ、どんな演出で観てもそれぞれに楽しめるまさに傑作です。
我が家の2009年は、「コジ・ファン・トゥッテ」のブルーレイディスクで締めくくりました。それぞれの恋人を誘惑して試すなんて、いまの感覚だととんでもない男どもですが、そこは難し考えずに次々に繰り出される重唱の美しさに酔えます。

「ドン・ジョヴァンニ」は主役の出来不出来に左右されますが、さすがにそれなりの実力者が歌うことも多く、これもさまざまな解釈による演出が可能な傑作です。
主役のドン・ジョヴァンニ、従者レポレッロによる有名なカタログの歌によれば、なんと2000人以上の女性をたぶらかしたというのだから、怪物としかいいようがありません。その割には、この舞台の中では次々と失敗を繰り返しているようですが...

そうそう、ジョヴァンニといえば、ちょうど妻が年明けのイタリア語教室の予習をしていると、こんなフレーズが登場。

 Sei sempre il solito dongiovanni!

「相変わらず女たらしなんだから!」という訳文がついていますが、なんと「dongiovanni」が当たり前のように普通名詞として登場しています。さすがイタリア!
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2010年1月12日 (火)

「2010年」をなんと読む?
にせんじゅうねん
新年が明けてもう2週間、仕事や学校も始まって正月気分もすっかりなくなった頃と思います。
私は北国に生まれ育ったために、冬休みがちょっと長く、成人式の頃には学校が始まっていると聞いたときにはけっこう驚いたものでした。まあ、そのぶん夏休みは短くて、お盆明けには宿題を終えて8月のうちに2学期が始まっていたのですが...
 
さて、今年は西暦「2010年」です。
名作映画「2001年宇宙の旅」の続編として書かれた「2010年宇宙の旅(原題:2010: Odyssey Two)」の映画公開は1984年とのことですから、すでに四半世紀以上前。
あの映画を観に行った頃は、2010年なんて遠い未来の話でした。さらにいえば、子供のころには2010年にはエアカーを乗り回し、宇宙船で旅行に行けるんじゃないかと思ってました(昭和の子供たちは、たいがいそうだったんじゃないかな)。
 
いつもどおり話がそれてますが...「2010年」を日本語で読むと「にせんじゅうねん」です。
もちろん「にせんとおねん」とか「ふたまるじゅうねん」などと読めないことはありませんが、まあ、百人中95人は「にせんじゅうねん」でしょう。
 
「2010年」をどう読むか論争
「論争」というほどの問題ではないのでしょうが、このところ「2010年」の読み方が話題になっているようです。
あちこちで話題になっているのがこのサイト。
 
 
ようは、「Two thousand (and) ten」ではなく、「Twenty ten」と読みましょう、というわけです。
「1999年」や「1810年」を声に出して読んでみれば、正しい読み方は自明。「2000~2009年」があくまで例外的に「Two thousand nine」などと呼ばれただけで、今年からは「easier, faster, and shorter」な読み方に戻そう、という主旨ですね。
 
ためしに「"Twenty ten" "Two thousand ten"」でGoogle検索してみると、885,000件もの結果が表示されます。すべてがこの件についてのサイトではないでしょうが、けっこう話題になっている様子。
 
ちょうど英会話教室があったので、二人の講師に「どっち?」と聞いてみたところ、見事に「Twenty-ten」派と「Two-thousand ten」派に別れました。
ただし、両名とも「どちらでもOKだと思うし、違和感もない」とのこと。つまり、どちらで読んだとしても、「それは間違い」というほどのものではないだろうというわけです。
ただ、テキストで「2030」が出てきたのですが、これはやっぱり「Twenty-thirty」と読みましたね。となると、「Twenty-ten」がより自然なのかな。
 
西暦やホテル部屋番号など、4桁程度の数字は場合、二桁ずつ区切って読みます。
「2567号室」ならば、「Twety-five sixty-seven」ですね。私は二回目くらいまでの旅行時には、これが良くわからずに「Two,Five,Six,Seven」と順に読んでました。まあ、これでも通じることは通じますけどね。
なので、「2010年」ならば「Twenty-ten」、「2056年」なら「Twenty-fiftysix」と読むのが、まあ自然。昨年までの「Two-thousand nine」がなかったら(たとえば「Tweny o nine」などと読むのが一般的だったら)、「Two-thousand ten」なんて思いもよらなかったでしょう。
 
ドイツ語でも
ではドイツ語ではどうでしょうか。
同じようにGoogleで「"Zweitausend zehn" "Zwanzig zehn"」を調べてみると、ぐっと少なく111件がヒットします。どうやらドイツ語圏ではそれほどの議論にはなっていないようです。
それでも、掲示板とおぼしきサイトでのやりとりなどを見てみると、「どっちでも良いけど、まあこっちかな」くらいの反応が多いように見受けられます。
 
ドイツ語の教室もあったのですが、すっかりとこの件を質問するのを忘れてしまいました。次回訊いてみようと思いますが、上記の英語のパターンやドイツ語の掲示板の様子から、「○○だとおもうけど、こっちでもOK」みたいな答えじゃないかと予想。
 
クラスメートに訊いてみたところ、「うーん、たぶん『Zwenzighunderd-zehn』ていう人が多いんじゃないかな」とのこと。
ちなみにホテルの部屋が「2567号室」だと「Zimmernummer Funfundzwanzighunderd-siebenundsechzig」といっていたそうです。うむむ、英語に比べると口を余計に動かさなきゃなりません。
 
日本だと数字の読み方についてはあまり個人ごとのブレがありません。
もちろん、「前年比105パーセントの成長で」というところで「ひゃくまるごぱーせんと」などといった特殊な読み方をする人も知っているのですが、たぶんそういっている本人も「正しくはひゃくご、ないしひゃくとんでご」だということは理解しています。
基本的には個々の数字を順に読むか(「2567号室」ならば「に、ご、ろく、なな」)、普通の数字として読むか(「にせんごひゃくろくじゅうななごうしつ」)しかないといって良いので、実にシンプルで合理的な気がします。
とはいえ、日本語を母語としない人たちにとっては、それなりに面倒なことがあるのでしょうけど。
 
旅行でもビジネスでも、数字を正しく伝え、ただしく聞き取るのはとても大事。
そのわりには、けっこう苦手は人も多いんじゃないでしょうか。ましてや、人によって読み方のクセが違うと、やっかいですね。
とりあえず英語とドイツ語しか調べてみていませんが、さて、西暦を採用している国々では、「2010年」をどう読んでるんでしょうね。
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2010年1月16日 (土)

Hangover
頭痛い...
昨日は職場のとある会議態の送別会兼新年会がありました。
一次会は居酒屋の飲み放題コース、それほどたくさんではなく、まあ、気分が良くなる程度でお開き。さて帰ろうかと歩いていると携帯に着信、なにかと思えば「二次会行きますよ」って、わざわざ呼んでくれなくても。

気の置けないメンバーだったので駅へ向かう途中から引き返して合流、こうした二次会は長くなるもので、4時間近くにも及んでけっこう飲み過ぎました。
予想通りにというべきか、起きるとずっしりと体も頭が重く、絵に描いたような二日酔いです。

二日酔いで語学レッスン
かれこれ8年目に突入した英会話教室、最近は火曜日が定例なので、二日酔いで教室に向かうことは少なくなりました(月曜から大宴会、ということはあまりないので)。
木曜日や金曜日がレギュラーだった頃には、強烈な二日酔いでレッスンを迎えることも多くありました。さすがに夜には症状も治まってはいるものの、もちろん何の準備もできません。当日では振替(受講日の変更)ができないこともあって、前日に替えておくべきだったと何度か後悔しました。

準備ができていないので、とくに始めた頃にはほとんど教室での会話について行けませんし、普段にまして言葉が出てきません。なので、行っても意味がないのですが、とりあえず座っているだけ(それでも、職業能力開発の給付金対象コースではあまり休めないので、行くだけ行きましたね)。
もしかすると酒臭いかもしれないので、レッスンの最初に「すみません、本日二日酔いでして...(I'm sorry, I have a hangover today.)」などと言い訳がましく。「だったらくるなよ」と思われたでしょうね。

まあ、周囲には迷惑だったでしょうが、二日酔いだからと欠席してしまうと、「今日は気分が乗らない」「ちょっと頭が痛い」「準備してこなかったし」など、些細な理由でサボってしまう癖がつくんじゃないかと恐れてました。
始めて間もない頃は、ほとんどしゃべれず、聞き取れない自分いやになることが多かったので、とにかく欠席せずに教室に向かうよう、自分を鼓舞していたのでした。なので、二日酔いくらいで休んでしまうわけにはいかなかったのです。
ある程度意志力や継続力に自信のあるかたには「んなあほな」と思われるかもしれませんが、意志の弱い私は「とにかく些細な理由でやめてしまわないこと」に心を砕いてましたね。なんとか聞き取れる範囲が広がり、表現できる内容が増え始めたのは2年くらいしてからでしたが、それまではとにかく続けるのが大変でした。

ドイツ語では「雄猫」もしくは「猫の悲鳴」?
さて、英会話ではしばしば使ったことのある「I have a hangover.」ですが、ドイツ語の教室では幸いにして使ったことがありません。
これは私が大人になって深酒などしなくなったからではなく(現に本日二日酔いですから)、ちょうど前の日が英会話教室なので、宴会開けにドイツ語、というシチュエーションになりにくい、というだけの話。

そのうちに使うこともあるかと思い、辞書で調べてみると、ドイツ語ではこういいます。

 Ich habe einen Kater.

ふーん、「Kater」っていうのか。ちなみに「Katzenjammer」ともいうようです。
で、この「Kater」の本来の意味は「雄猫」、「Katzenjammer」は「猫の悲鳴」というわけです。
手元の辞書には残念ながら「なぜドイツ人は二日酔いのことを『猫の悲鳴』と呼ぶのか?」がわかりません。うーん、ここはやはりDudenの独独辞書くらいは手元に置いておくべきでしょうか。私が買ったときには、電子辞書の独独はオプションだったのです。

若い頃とは違って、単語を観てその場で暗記するというのはなかなか大変です。
何度か使ってみるとか、あるいは忘れてはまた調べて思い出し、という繰り返しでしか覚えることができません。語源を調べた利用例をいろいろと探してみるといった、印象に残すための工夫も欠かせません。
まあ、とにかく今日はダメそう、さっさとご飯を食べてお風呂に入って、寝ることにします。

 Ich will mit einem Katzenjammer liegen.
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2010年1月19日 (火)

目標の立てかた
目標設定にも性格が出る
語学学習やいろいろな勉強にとどまらず、仕事も含めれば、私たちは年から年中「目標」を立てているような気がします。とくに多くの職場では、目標管理が業績評価に直結していたりして、目標の立てかた一つで収入や処遇に大きく影響が出ることも。
 
目標を立てる時、その人の性格や仕事のやりかたが非常にわかりやすく現れます。
確実に実現可能な低い目標に抑えて実績を大きく見せようとする人がいるかと思えば、相当な努力と運を持ってしても実現が不可能と思える目標を設定してしまう人もいます。
目標の難易度というのは上司にはある程度わかるものなので、低い目標を120%で達成したからといって確実に評価されるとは限りませんが、やはり「目標達成」というのは気分が良いですからね。

一般的には、「全員が背伸びをするとなんとか到達できる目標」が良い頃合いなんていいます。高すぎる目標は「どうせできっこない」というあきらめにつながるし、低すぎてもやはりやる気は出ません。
 
ゴガクにも目標
さて、1月も半ばを過ぎてしまいましたが、ゴガクルブログを読んでいるかたがたの多くが、「今年のゴガク目標」をもっているのではないかと思います。
少し前の話題ですが、こんなのがありました。
 
 
「今年身につけたい"○○力"は?」というアンケートに対して、「語学力」は男性で一位、女性で二位、総合でもトップと、相変わらずの語学熱がうかがえます。
 
さて、仕事で考えると、「今年は価格交渉力を身につけます」とか「今年は事業の収益力を向上させます」といった漠然としたものでは、目標がないのと同じですね。普通はもっと具体化して、そのために何をすべきかが明確になるものを目標にします。
ゴガクでも「今年は英語をものにするぞ!」というのは気構えであって目標ではありません。気構えだけでもとりあえず行動できるかたはそれで良いとして、そこから先で「さて一体どうしよう?」と立ち止まってしまう傾向があるのなら、具体的な目標と行動プランを立てるのも、悪くないかもしれません。
 
どんな目標を?
ゴガクは仕事ではないので(仕事で必要だ、という場合もあるでしょうが)、必ずしも成果目標が必要なわけではありません。まあ、TOEICスコア○○○、といったものがわかりやすければそれで良いですが、プロセスそのものを目標にしちゃっても、問題ないでしょう。
たとえば、「NHK○○講座を、半年間欠かさずに聴く」でも良いんじゃないでしょうか。

私もなにか目標を立てようかな、と思っているのですが、たとえば「レストランで注文できるだけでなく、食事やお酒の感想が伝えられるドイツ語」とか「ホテルの部屋が気に入らなければ電話でフロントに理由を伝え、部屋を替えてもらえる位の英語」といったイメージを、目標に置き換えるのが難儀です。
当面はレッスンの予習と宿題をきちんとやること、NHKラジオの「まいにちドイツ語」を欠かさず聞くこと、の二つは確実にやろうと思っているのですが...
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2010年1月23日 (土)

中途半端にわかると気持ち悪い...かも
語学教材としてのドキュメンタリー番組
わが家では地上波の番組視聴時間は、朝のNHK「おはよう日本」と各語学講座を除くと極めて限られていて、ほとんどがケーブルの各局かBSで占められています。
ケーブルテレビでは「ディスカバリーチャンネル」、「アニマルプラネット」と「ナショナルジオグラフィックチャンネル」が3強で、ここに「クラシカ・ジャパン」と「スーパードラマTV」、そしてNHKのBSHiを加えると、テレビ視聴時間の90%を超えるでしょう。
 
とくに「ディスカバリー〜」以下のドキュメンタリー番組では、原語+日本語字幕という構成が圧倒的に多く、しかも番組の性格上、きちんとしたナレーションが入っていることが多いので英語の聴き取り訓練にもピッタリです。
「Discovery English」なんていう学習教材としての使い方が提案されていますね。ま、「アンソニー世界を喰らう」のような、「ピー」音ばかりの番組もありますが...
 
リーディングの訓練として本や雑誌を読むときにも、自分の関心の高い分野のものを選ぶと良いように、テレビ番組でのリスニングについても、同じことがいえると思います。
どんなに良い教材であっても、関心がなければ長続きしません。たとえば上記の「Discovery English」の場合、毎月5番組が対象となっていますから、どれかひとつくらいは興味を惹かれるものが見つかるのではないでしょうか。
 
英語ならなんとか
さすがに8年間それなりにやってきたこともあって、英語の番組ならば「内容がある程度追いかけられる」程度には聞き取れるようになりました。時々、「オレもがんばったよなあ」なんて感慨に浸ったり...
他のことに気をと取られているときに、ふとフレーズ単位で英語が耳に入ってきて理解できたりするとやはりうれしいですね。ダメなときはてんでダメですが。
 
ところが、ようやく基礎的な文法を「知識として」おぼえた程度のドイツ語の場合は、まだまだ聴いてわかるところには至っていません。
ときおり、知っている単語やフレーズにぶつかるだけです。「Es gibt~」とか「sondern~」とか「niemand~」とか、とぎれとぎれに頭に入ってくる、という状態。
なんかこう、「あ、知ってる単語、でも何いってるのかわからない」という感じで、誠に気持ちが悪いです。中途半端って良くないですね、全くの暗号の状態のほうが心地良いくらい。
 
こればかりは、「使える語彙」が増えて、リスニングとスピーキングの反復訓練をする中で増えていくものでしょうから、ある程度の時間が必要です。
毎日数時間を費やせれば短期的に習得も可能かもしれませんが、週に10時間程度の学習ではなかなか難しいですね。努力したつもりになっているわりには成果が出ないので、途中で投げ出したくなります。
 
田舎ラジオドイツ語講座?
そうそう、聴き取りといえば、私の恥ずかしいお話をひとつ。
ラジオドイツ語講座を録音して聴き始めた頃、毎日不思議に思っていることがありました。それは、講師の男性が毎回「田舎ラジオ」と日本語でいうのですね。
 
うーん、きっと日本では田舎暮らしが気に入っていて、「今日の講座も、快適な我が田舎町からお送りしますよ」とでもいっているのかと...
きっと賢明なみなさんにはもうおわかりでしょう、これって単に「NHK(エヌ・ハー・カー)ラジオ」といってただけなのですね。「ああ、あの『田舎ラジオ』は『NHKラジオ』のことだったんだ」と得心がいったのは、わりと最近のことです。あー、恥ずかしい。
まあ、「Hallo, lieber Zuhörerin und Zuhörer」くらいのフレーズにしても、なるほど、と思ったのは最近のことです。去年の今頃にはまるで耳に入ってませんでした。
 
なんで聴き取れるようになったかというと、これはもう「耳が慣れてきた」としかいいようがありません。もちろん、多少は語彙も増えてきたということでしょう。牛歩の歩みではありますが、少なくとも1年前と比べると、だいぶマシにはなってきているということは確実です。
少なくとも前には進んでいる、という実感は、大切です。年々前進の度合いが、小さくなっているような気もするのですが、きっと気のせいでしょう。
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2010年1月26日 (火)

skim throughそしてüberfliegen
Ach! ich muss eine Hausaufgabe machen.
年をとると月日の流れるのが早いとはいいますが、毎週週末になると、正確には日曜の午後になると決まって思い出すのが「ドイツ語の宿題」です。
私は小中学校の成績が悪いほうではなかったのですが、なにせ宿題をたびたび忘れていましたので教師の受けはあまり良くありませんでした。「わかっていてやらない」のではなく、本当に宿題の存在を忘れていることが多かったのですが、教師にしてみれば同じことですよね。
そもそも自宅で勉強するという習慣が、当時の私にはありませんでした。
 
大人になって、英会話教室に行き始めてからは、せめて予習はしないと授業について行けないことがわかり、すっかりと態度を改め真面目な生徒と化しています。
最近ではテキストのディスカッション用題材を軽く流し読んでおけば教室で困ることも少ないのですが(そもそもディスカッションが横道にずれることも多いので、準備はあまり役立たない)、それでもそれなりの準備はしています。われながら変わったモンだと感心すると同時に、この熱心さを子供のころに持っていればいまごろどんな人生だったろうかと思うことも。
 
そんなわけで、毎週のドイツ語の宿題も一応ちゃんとやっています。
とはいえ、冒頭に書いたとおり、水曜日にレッスンが終わると木曜金曜はすっかりと忘れ去り、日曜日の午後になってようやく手をつけるのですから、決して根っから真面目になったわけではないようです。
宿題をやるだけでなく、本来なら次のレッスンに備えてテキストを2ページほど読んでおく準備も必要なのですが、実際にはなかなかできないことも。日曜日の午後って短いように感じるのは私だけでしょうか?
 
今週の宿題は
さて、いま使っているドイツ語のテキストは「Schritte International 5」というものです。サブタイトルには「Deutsch als Fremdsprache」とあり、外国人がドイツ語を学ぶためにドイツでつくられたもの。Amazonでも売ってます。
この本、前半分がテキスト(Kursbuch)で、後半がワークブック(Arbeitbuch)になっていて、だいたいの場合、宿題はその日に終えた部分に対応するワークブックの問題が1ページ分ほどです。まあ、自宅でちゃんと机に向かえば1時間くらいかな。
 
今週の宿題も同様に1ページ分の問題でしたが、ちょっと条件がつけられました。
内容は、4つの短文(4~5行くらい)を読んで、対応する写真を選び、あわせて内容に即した文章を選ぶというものです。条件とは、「この4つの文章(あわせて20行くらい)を、15分以内に読んで意味を取るように」というもの。
たしかに、問題文には「überfliegen」とあります。
 
überfliegen
「über」で「fliegen」なので、もとの意味はなにかの上を飛んで通り過ぎる感じですね。手許の辞書にはこんな用例があります。
 
 den Ozean überfliegen 大洋の上を飛び越す
 
転じて、文章などにざっと目を通すこと、さっと読むことの意味に。英語でいうと「skim through」ですね。
 
 die zeitung überfliegen 新聞にざっと目を通す
 
そもそも「überfliegen」すべきなので、20行に15分というのは条件としてはかなりやさしい、といえます。これが日本語なら1分とかからないでしょうし、いまの私規準で英語でも3分いらないでしょう。
まあがんばってみよう、ということで月曜の夜に辞書を開かずに読み進めました。意味がわからなくてもとりあえず進みます。とりあえず、詳細は別として「何について書いているか」「それはポジティブな話かどうか」くらいがわかれば良しとします。
 
これでなんとか10分弱で「überfliegen」はできました。
たった20行の文中に10個以上の未知の単語と、同じくらいの「見たことがあるけど意味なんだったっけ?」の単語があって、逐語訳的には理解できていません。
ただ、写真とマッチングして、文章にあった短文を選ぶことは、ナントカできたと思います。答えが合っている保証は、ないのですが。なんというか、やればできるじゃないか、という感じではあります。
 
速読のために
英会話教室の準備のために、今朝通勤電車で読んだ雑誌の記事はおおむね1400語の文章でした。これだと10分以内には読めなければいけない勘定ですが、実際にかかったのは細切れに6分+14分で合計20分でした。なんと70語/分という超スローペース。
言い訳をすると、途中で電車の乗り換えがあって集中できなかったし、教室に向けて内容のサマリーをつくらねばならないので多少じっくりと意味を取りながら読んだのはたしか。でもまあ、遅いですね。こんな場合でも100語/分以上はキープしたいな、というのが当面の目標。
 
早く読むためには、いろんなテクニックがあるようですが、おそらく共通しているのは「辞書を引かない」こと。いちいち辞書を取りだしていては(たとえ電子ブックリーダーですぐに呼び出せたとしても)、スピードは落ちる一方です。
そのため、一行ごとに未知の単語が出てくるような文章ではなく、全体の9割以上は既知の単語で構成されているタイプの文章を選ぶことが重要と思います。
 
私の場合、本というよりは英会話教室のテキストで速読の練習をしました。
意図したというよりは、一時期レッスンの準備に2時間以上が必要な状態が続き、その中で1ページほどの文章を「いちいち辞書を引かずに」「せいぜい数分程度で」読み切らなければ間に合わなかったのですね。半年くらい経ってみたら読むスピードがかなり上がっていたという、何とも結果オーライ状態です。前にも書きましたね。
 
 
個別のテクニックとしては、私の場合にはペーパーバックを読みながら、おおむね一ページ読み終えるごとに時刻をメモしていました。自分の読み進んでいるペースを確認しながら読むことで、知らず知らずのうちに「もっと早く」という気になります。
ちょうど、家計簿やお小遣い帳をつけると節約できるようになるのと、同じでしょうか。
 
いかにも効果のありそうなテクニック本を買ってきても、書いてあるのは当たり前のことだったり、あるいはとても実践できない事柄だったり。
結局のところ、自分にあったやり方を見つけるまでの試行錯誤の期間が、長いんですよね。でも、迷ってたどり着いた勉強法は、やっぱり効果的。急がば回れ、とはよくいったものです。
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2010年1月30日 (土)

ちょっとドイツ語でグリム童話
四半世紀ぶりに
昨年から本格的にドイツ語の勉強を始めたわけですが、実は大学での第二外国語の選択はドイツ語で、一応教養課程で1年半、勉強をしています。
とはいえ、最初の半年は基礎文法、そして1年間は短編小説や一枚物の評論文なんかを順番に和訳するくらい。クラスには40人以上いましたから、和訳の順番が回ってくるのは2週間おきでしたので、なにかが身についたということもありません。
そんなプリント教材の中に、リム兄弟による「Aschenputtel」がありました。

ドイツ語に全く興味がないと、「Aschenputtelって、いったい何?」と思うかもしれません。日本語では「灰かぶり」、意地の悪い継母とその二人の娘に毎日こき使われ、寝床は台所の竈のそばなので灰にまみれている美しい娘の話。そう、「シンデレラ」の原型の一つですね。
子供の頃に読んでいた子供向けの世界文学全集には、グリム童話とペロー童話の両方が収録されていて、「なんで似たような話が別々に入っているんだ?」と不思議に思っていました。当時はお話というものは、必ず誰か特定の作者による創作物だと思っていたのですね。

少し前に、自宅のMacに「Stanza」という電子ブックリーダーのソフトをインストールして、ネットからさまざまな文章をダウンロードして読んでいます。
著作権の切れた古典などはあちこちのサイトで無料のテキストが公開されていますし、また、URLを指定して開くこともできますから、文書主体のサイトであれば文字サイズを変更して快適に読むこともできます。
今日は思い立って、グリムの「Aschenputtel」を読んでみました。実に前回読んでから四半世紀以上です。ま、ストーリーは忘れませんけど。

単語がわからなくてもだいじょうぶ
さて、読み始めると予想通りに1行ごとに未知の単語が出てきます。
ただ、この話は日本語で何度か読んでいますし、童話だけあってあまり複雑な構文が登場しませんから、何となくこんな意味だろう、と推測しながら読み進めることができます。念のため辞書を引きながら読み進めましたが、辞書なしでもなんとかなるくらい。
これがあまりよく知らない話だと、こうはいかないでしょうけど。

主人公の灰かぶりが父に土産として頼むもの、継母が舞踏会に連れて行く条件として出した難題、そして二人の姉が小さな靴に足を押し込むためにしたことなど、グリム童話には私たちがよく知っている「シンデレラ」(まあ、一番なじみがあるのはディズニーの映画でしょうか。ペロー童話のほうが、比較的近いです)とはかなり違っています。
そういえば、何年か前に童話といいながらけっこう残酷な描写の多いグリム童話を紹介する本が、ベストセラーになったこともありましたね。類似本もたくさん出ていました。
一度でも読んだことがあれば、こうした印象深い要素は覚えているもので、ドイツ語で読んだときにも「あ、これはあのシーンだな」と思い出せますので、すべての単語が既知である必要はありません。

おおむね30分ほどで読み終わりましたが、読み方としては精読と流し読みの中間くらい。
これをもう少し繰り返していけば、語彙を徐々に増やしつつ読むスピードと精度を高められるでしょう。
とはいえ、「Aschenputtel」並に内容を理解しているドイツ語のお話など、そうそうはないのですけどね。ま、グリム童話はほかにもたくさんあります。ひとつひとつの話は短いので、苦痛になる前になんとか読み終わるのが良いですね。

そうそう、今回読んだのはこちらにおかれていたものですが、どういうわけか最後のパラグラフが削られていました。うーん、残酷だから教育的配慮をしたのでしょうか?
Wikisourceのほうには、ちゃんとしたのが載っているようですし(しかも改訂毎の各バージョンがそろってますね)、どうせ読むのなら、カットされていないもののほうが良いでしょう。わりと初心者でも読めるドイツ語教材として、おすすめです。何たってタダだし。
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