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ilyaさんの おぼえた日記 - 2012年10月11日(木)

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おぼえた日記

2012年10月11日(木)のおぼえた日記

「知への意思 (M. Foucault)」 4. 性的欲望の装置 (7)

1: Enjeu 賭け金、渡辺訳では、目的。

Pourquoi ces recherches? Je me rends bien compte qu'une incertitude a traversè les esquisses tracées plus haut; elle risque fort de condamner les enquêtes plus détaillées que j'ai projetées. J'ai répété cent fois que l'histoire des derniers siècles dans les sociétés occidentales ne montrait guère le jeu d'un pouvoir essentiellement répressif. J'ai ordonné mon propos à la mise hors jeu de cette notion en feignant d'ignorer qu'une critique était menée par ailleurs et d'une façon sans doute bien plus radicale: une critique qui s'est effectuée au niveau de la théorie du désir. Que le sexe ne soit pas «réprimé», ce n'est pas en effet une assertion bien neuve. Il y a bon temps que des psychanalystes l'ont dit. Ils ont récusé la petite machinerie simple qu'on imagine volontiers lorsqu'on parle de rèpression; l'idée d'une énergie rebelle qu'il faudrait juguler leur a paru inadèquate pour déchiffrer la manière dont pouvoir et désir s'articulent; ils les supposent liès sur un mode plus complexe et plus originaire que ce jeu entre une énergie sauvage, naturelle et vivante, montant sans cesse d'en bas et un ordre d'en haut cherchant à lui faire obstacle; il n'y aurait pas à imaginer que le désir est réprimé, pour la bonne raison que c'est la loi qui est constitutive du désir et du manque qui l'instaure. Le rapport de pouvoir serait déjà là où est le désir: illusion donc, de le dénoncer dans une rèpression qui s'exercerait après coup; mais vanité aussi de partir à la quête d'un désir hors pouvoir.

この探求の目的は何なのか ? 私はある種の incertitude (不確定性、疑わしさ) が上述の粗描を貫いていることはよくわかっている。 その incertitude が、私が企てている (この複合過去、違和感あり) より詳細な enquêtes (調査、捜査、尋問) を condamner (有罪とする) ことは多分にありそうなことだ。 この数世紀の歴史を見るに西欧社会で、その本質の部分において抑圧的な権力の jeu (働き、作用、機能) は殆んど発見できないと、私は何度も繰り返してきた。 ある critique ― 欲望の理論の水準で遂行されてきた critique ―が他の人々によって、おそらくは遥かに radicale なやり方で展開されているのを知らないふりをすることで、私は私の propos (意図、主題、言葉) を、この抑圧という概念に la mise hors jeu (退場を命ずる) ように案配してきた。 性は « 抑圧されて » などいない、とは en effet (実際) とりたてて目新しい主張ではない。随分前から、いく人もの精神分析学者がそのことを主張してきた。 彼らは、抑圧について語られるさい、volontiers (好んで、ともすれば) 表象される単純で小さな機械仕掛けに忌避を申し立ててきた。 juguler (絞め殺す、阻止する) 必要がある rebelle (反逆的、手におえない) énergies という着想は、かれらには、権力と欲望が s'articulent (連結する) やり方を解読するには不適切に思われたのだ。 野蛮で、自然のままで、生命力にあふれ、間断なく下から立ち登ってくる énergie と、それを阻止しようとする上からの ordre (秩序) が演じる jeu (game) よりも、もっと複雑で、もっと根源的な様態で、権力と欲望は繋がっていると、彼らは想定している。 欲望が抑圧されていると表象するいわれはない。欲望と欲望を instaure (成立させる) 欠乏を構成するのは、まさに法なのだから。 欲望があるところ、そこには既に権力との関わりがあるだろう。 だから、事後に行使される抑圧の中で権力を告発するのは幻想だ。 権力の外で欲望の探索に赴くことも同じく vanité (徒ごと) だ。

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mkita さん
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GutenAbend,Herr ilya und Pivot!
2012年10月11日 21時41分
ilya さん
0人
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mkita さん、おはようございます。
うちの pivot さんも、食欲がもとにもどったようです。
寒くなると、鳥も皮下脂肪を蓄るんですかね。
2012年10月11日 6時25分
mkita さん
0人
役に立った

Guten Morgen,Herr Pivot!
家の息子たちは未だ静かですよ、
日が短くなり、睡眠時間も長くなったようです。
今二人とも頭の上に飛んできました。
2012年10月11日 5時33分
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