おぼえた日記

2013年6月26日(水)

以下は、「独逸の大学の自己主張」: M. ハイデガーのフライブルク大学総長就任演説の一部。
深刻で荘重な語りくちだが、中身は空っぽ。20 世紀のみならず、タレースから数えて、西欧 2500 年の哲学の歴史の中でも最高の哲学者の一人と目される男でも、権力者に尻尾を振るときには、かくも無様な文章を綴ることになるという見本。
ただし、戦後になってこれを出版禁止にするという輪をかけて無様な真似はしていない。


  Die Uebernahme des Rektorats ist die Verpflichtung zur geistigen Führung dieser hohen Schule. Die Gefolgschaft der Lehrer und Schüler erwacht und erstarkt allein aus der wahrhaften und gemeinsamen Verwürzelung im Wesen der deutschen Universität. Dieses Wesen aber kommt ernst zu Klarheit, Rang und Macht, wenn zuvörderst und jederzeit die Führer selbst Geführte sind. geführt von der Unerbittlichkeit jenes geistigen Auftrags, der das Schicksal des deutschen Volkes in das Gepräge seiner Geschichte zwingt.
  Rektorat (学長) の職務を引き受けるということは、この大学を精神的に Führung (指導する) 義務を自らに課すということだ。 Lehrer und Schüler (教授と学生) の Gefolgschaft (指導者への従属・信従) は、 独逸の大学の本質に、真に、gemeinsam (民族として) 根ざすことによってのみ、目覚め、強化される。 この本質はしかし、まず初めに、そして常に、指導者自身が、 あの精神的委託の仮借なさによって指導されてある (ナチ党に入党し、その精神を我がものとする von ilya) 場合にのみ、ernst (真の意味における) 明晰さ、品位、力に到達する。 独逸民族の運命をその歴史の刻印へと (引き受けるように) 強いているあの精神的委託と同じ委託によって。
  ...
  Die Selbstbehauptung der deutschen Universität ist der ursprungliche, gemeinsame Wille zu ihrem Wesen. Die deutsche Universität gilt uns als die hohe Schule, die aus Wissenschaft und durch Wissenschaft die Führer und Huter des Schicksals des deutschen Volkes in die Erziehung und Zucht nimmt. Der Wille zum Wesen der deutschen Universität ist der Wille zur Wissenschaft als Wille zum geschichtlichen geistigen Auftrag des deutschen Volkes als eines in seinem Staat sich selbst wissenden Volkes. Wissenschaft und deutsches Schicksal mussen zumal im Wesenswillen zur Macht kommen. Und sie werden es dann und nur dann, wenn wir, Lehrerschaft und Schülerschaft, einmal die Wissenschaft ihrer innersten Notwendigkeit aussetzen und wenn wir zum anderen dem deutschen Schicksal in seiner außersten Not standhalten.―
  独逸の大学の自己主張は、(しかしながら) 根源的な gemeinsame (民族共同体としての) 意思以外のものではない。我々にとっての独逸の Universität (大学) とは、独逸民族の運命の指導者と護持者を、学問からして学問を通じて、教育し、Zucht (しつける、育種する) ことを委託された die hohe Schule (大学、ここでは高等教育機関) である。独逸の大学がもつ本質への意思とは、学問への意思、歴史的に課せられた独逸民族の精神的課題への意思である。この民族は自身の国家 (要するに第三帝国 von ilya) において sich selbst wissenden (自己認識している) eines (一体となった) 民族である。学問と独逸の運命はとりわけ本質意思において Macht (権力) へ kommen (到達し) なければならない。それが成功するのは、我々、教授と学生である我々が、一方では、学問を innersten (その最も固有の) Notwendigkeit (必然性) に aussetzen (曝し)、他方では、独逸の運命を、その äußersten (極限の) Not (危急) において standhalten (持ちこたえる) とき、ただそのときだけである。―


私はハイデガーは木偶だ、偶像は破壊すべきだと言いたいわけではない。
ハイデガーという巨人の本当の凄みを分かるためには、例えば「存在と時間」の中にもこういう虚仮脅しの部分はあるはずで、そういう部分に目を晦まされていてはダメだとは思う。

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