おまけ日記
「日本語で一番大事なもの (大野晋, 丸谷才一)」から :
丸谷: ところで堀辰雄に『風立ちぬ』という小説があって、その巻頭にヴァレリーの "Le vent se lève, il faut tenter de vivre." という句が引いてあります。それが開巻しばらくしたところで、語り手がその文句をつぶやく。そこが「風立ちぬ、いざ生きめやも」となっている。「生きめやも」というのは、生きようか、いや、断じて生きない、死のうということになるわけですね。ところがヴァレリーの詩だと、生きようと努めなければならないというわけですね。つまりこれは結果的に誤訳なんです。「やも」の用法を堀辰雄は知らなかったんでしょう。
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丸谷: 『拾遺集』の人麻呂の歌、
長月の有明の月のありつつも君しきまさばわれ恋ひめやも
こういうふうに使うのが正しいわけですね。
大野: そうですよ。このままずっとあなたがかよって来てくださるなら、私はこんな恋しい心で苦しむことはないと。
丸谷: 堀辰雄が、人麻呂に比べれば古代日本語の文法にくわしくなかったのはやむを得ないことですけどね (笑)。
大野: 作家の古典語理解のことで思い出しましたけど、森鴎外の『即興詩人』は読むに耐えないですね。僕は何回か通読しようと努めたけど、いつも途中でいやになりました。原作より訳文が立派だとかいうけれど、あんな下手な擬古文ありゃしないですもの。それに比べて、樋口一葉の文章は上手ですね。本居宣長の擬古文は間違いがなくてスラスラ読めるというだけで、巧みではないけど、樋口一葉はうまいですね、つやもあるし、間違っていないんです。
丸谷: 僕は宣長の文体はどうも感心しないんですが、一葉は本当にいいですね。何しろあの人はもともと和歌のお師匠さんになって身を立てようとした人ですから、古文がしっかり身についているんでしょう。
大野: 一葉という人は言語のセンスのいい人ですね。どのくらい古典を読んだのか知らないけれども、文章としてちゃんとリズムがとれているにもかかわらず、古文の文法からまずはずれていないですね。
丸谷: 僕は昔から『即興詩人』というのはなんだか気にいらない小説でした。困っていたんですが、これで援軍を得たような気がします (笑)。