◇英語で読む戦国武将列伝 ~武将のストーリーを読んで英語で語ろう
其の二十七 龍造寺 2023.8.27
Generations before his time, Takanobu's family took the family name Ryuzoji from the Ryuzoji Temple in Hizen province. Takanobu's family had long been subordinate to the Shoni family, but he defeated them in 1559. He then came in conflict with the powerful Otomo and Shimazu families.
隆信の一族は、彼より何代も前に、肥前国龍造寺という寺院の名を姓とするようになりました。龍造寺家は長い間、少弐家に臣従していましたが、隆信は1559年(永禄2年)に少弐家を攻め滅ぼします。その後、彼は大友家や島津家といった有力大名と覇を競うようになりまし た。
In 1570, leading an enormous army, Otomo Sorin plotted to take over Takanobu's territories. To counter this huge force, Ryuzoji's leading retainer Nabeshima Naoshige proposed a night raid on the Otomo army. However, Takanobu's other allies disagreed with the idea, fearing the large number of Otomo troops.
1570年 (元亀元年)、 大友宗麟は大軍を動員し、隆信の領地を奪おうと企てました。 この強大な敵軍を迎え撃つべく、龍造寺の 主要な家臣・鍋島直茂は大友軍への夜襲を 進言します。しかし、隆信方の他の武将たちは大友の大軍勢を恐れ、なかなか同意しませんでした。
Some say that Takanobu's mother shamed them into following Naoshige's advice, saying that real samurai should put their lives on the line and attack. Eventually a nighttime offense was launched. Naoshige's troops attacked the Otomo forces from one angle, Takanobu's troops attacked them from another. This night raid in the famous Battle of Imayama was so effective that Otomo Sorin withdrew his forces and left the Ryuzoji alone.
一説には、隆信の母が「まことの侍なら、命を懸けて攻めるものではないか」と彼らを 恥じ入らせ、 直茂の策に従わせたとも伝えられます。 そうして、夜襲が決行されまし た。直茂軍は一方から、隆信軍は他方から大友軍に襲いかかったのです。世に知られたこの「今山の戦い」での夜襲が奏功し大友宗麟は軍を退却させ、龍造寺家がその地の覇者となりました。
Although Takanobu expanded his domain, he was killed in battle with the Shimazu in 1584. His heir Masaie was unable to maintain control of the domain and it was taken over by the Nabeshima family, former vassals of the Ryuzoji family.
隆信は彼の領土を拡大し続けていました 1584年(天正12年)、 島津家との戦闘中に討ち取られました。跡を継いだ政家は父の領土を維持できず、龍造寺家の家臣であった鍋島家に取って代わられました。
◇旅するためのフランス語(19)dimanche 27 août
「時間もお金もかかりました」
◎今日のdialogue
Ça a pris cinquante ans. (それを作るのに)50年かかりました。
*avoir+pris:時間がかかった *prendreの過去分詞
Quoi!Si longtemps? え!そんなに長く?
◎Si+形容詞?:そんなに~ lourd/cher/tôt/grand/petit
①Ce stylo coûte deux cents euros. このペンは200ユーロです。
― Quoi!Si cher? え!そんなに高いの?
*coûter→faireを使うこともできる
Ce stylo fait deux cents euros.
②Monsieur Hibou pèse quatre vingts kilos. イブーの体重は80キロです。
― Quoi!Si lourd? え!そんなに重いの?
*peser→faireを使うこともできる
Monsieur Hibou fait quatre vingts kilos.
◎Point d’aujour’hui:驚きや疑いを含んだ表現
C’est pas possible!:ありえない!
N’importe quoi!:めちゃくちゃだ!
Non mais allô, quoi!:は?ありえない!
◎Objet du jour 本日の一品
☆ciseau pour tailleur de pierre 石工ののみ
Ça sert à quoi? 何に使うのでしょうか?
Ça sert à faire quoi? これは何をするのに使うのでしょうか?
Ça sert à faire des statues. これは彫刻を作るために使われます。
☆フランスをはじめヨーロッパの歴史的建造物は石でできているものが多く、かつて修道院として使われていたパリの工芸博物館もその1つです。ここでは技術の展示や人目を引く堂々たる逸品を保存していますが、いろいろな分野の職人が使った道具も同じように保存されています。
Un ciseau のみ(彫刻用の道具)
◎Atelier théâtre:誕生日のプレゼントを買う
Tu sais, bientôt, c’est l’anniversaire de Moutonstein.
そういえばもうすぐムートンシュタインの誕生日よね。
Je sais, j’ai acheté des cadeaux pour Moutonstein.
知ってるよ。ムートンシュタインにプレゼントを買ったよ。
C’est quoi? 何?
C’est du cidre. シードルでしょ。
Non, c’est special. いやこれは特別なんだ。
Ça a pris trente ans pour faire ça. C’est cher.
作るのに30年かかったんだよ。高いんだ。
C‘est cinq cents euros. 500ユーロ
N’importe quoi, c’est pas possible! C’est si cher!
めちゃくちゃね、ありえないわ!そんなに高いだなんて!
C’est une machine à remonter le temps.
これはタイムマシーンだよ。
C’est pas possible! Atttends, attends, moi・・・
そんなのありえないわ。待って、私も
J’ai ça aussi. これもあるの。
C’est intéressant, mais c’est quoi ça?
おもしろいけど、それ何?
Je ne sais pas, mais je pense que Moutonstein aime ça.
知らないわ、でもムートンスタイン博士は好きだと思うわ。
On va lui montre ça?
見せに行こうか?
◎今回はオートリーブ村にあるちょっと変わった宮殿が紹介されました。シュヴァルの理想宮Palais ideal du facteur Chevalです。ねじれた造形にエキゾチックな像、ピカソやダリが絶賛したともいわれています。フェルディナン・シュヴァルという人が建設した、世界でも類を見ない特別な場所です。シュヴァルは寡黙で控えめな郵便配達人でした。当時の郵便配達は徒歩だったため、1日に歩いた距離は40キロ、歩いた総距離は地球7周分に相当します。途方もない距離を歩きながら、日々理想宮のイメージを膨らませていき、そのうちに彼はおとぎ話のような宮殿を夢見るようになり絵を描きはじめます。ある日彼は奇妙な形の石につまずき、理想宮のために使おうと決めました。彼はこれを「つまづきの石」と呼びました。1879年春43歳だったシュヴァルは、郵便配達中に石につまずき、地面を掘ったところ、時間と水によって彫刻されたその石が姿を現したのです。彼は「自然が彫刻を作れるのなら、私は石工と建築をしよう」と宮殿の建設に着手したのです。大部分が石で作られていますが、彼が郵便配達をしながら見つけたものです。夜中に一輪車を押しながら探して拾ってきたそうです。シュヴァルはたったひとりで33年間この理想宮を作り続けました。完成したのは1912年(76歳の時)でした。宮殿は世界中のアーティストに語りかけ、また世界全体に語りかけます。様々な文化や宗教が表現され、エジプトの神殿まで組み込まれています。ゴルゴタの丘の横に処女マリアの洞窟、仏教寺院、アフリカの家など、彼が表現しているのは世界の美術館なのです。宮殿の大きなメッセージのひとつは共生で、シュヴァルは柱のひとつに「善き人にとって人はみな兄弟である、私たちのモットーは皆を愛すること」と書き残しています。これは100年以上も前に郵便配達人から世界中に送られた素晴らしいメッセージです。
À cœur vaillant, rien d’impossible. 勇敢な心にとって不可能なことはない
まさにそのとおりですね!
☆写真は昨日に引き続きパリ・マドレーヌ寺院の内部、上部にパイプオルガンが見えます。寺院には偉大なオルガン製作者であるカヴァイエ・コルのオルガンが2台収められています。ひとつは1843年に置かれた祭壇の後ろの小さなオルガン。そしてもうひとつが建物上部のキャビネットに収められた大オルガンです。1849年に教会に設置された当時は4段の鍵盤に音色や音程を選ぶストップは48個という非常に大きなものだったそうです。この寺院ではショパンの葬儀も行われています。モーツァルトのレクイエムをはじめ、ショパンの前奏曲や葬送行進曲が演奏されました。
ここの事は初めて知りました。
美しいクーポラに続く回廊の天井近くにパイプオルガンが見えます。きっと美しい音色が堂内に響き渡ることと思います。
日本で暮らしているとパイプオルガンは音楽ホールにあるものに感じていましたが、西洋音楽は修道院や教会で発展したことを思い出しました。
荘厳な雰囲気の寺院ですね。
ウイーンの郊外のモーツアルトが晩年過ごした地とモーツアルトが初めて演奏したというオルガンが残っている教会で彼が最後に書いたというミサ曲を演奏していました。
私たちもその歌の1部をウイーンで歌いました。
やはり、モーツアルトの歌は思い出がいっぱいで好きです。