リービ英雄さんの『我的中国』を読み始めた。もう半分くらい読んでる。『我的日本語』は随筆的日本語だったが、『我的中国』は紀行文的私小説のようだ。
「われてきちゅうごく」と日本語読みする。小説のなかでは歌の一節としてリフレインされる中国語の「我的中国」が出てくる。
ボクの中国!ボクの中国!と子どもの声でコーラスされるいかにも大人が作ったような愛国の歌。
そこには数百円の賃金で十数時間土木工事に従事する人民や、洞窟に住む人民の間を速度を上げて走り去る高速道路の車に乗った「日本常住的、美国人」の主人公がいる。
彼はときに日本語で物思いにふけり、ときに意味不明の大陸の言語のなかに北京語の響きを耳にし、ときに棒読みの英語のアナウンスを聞く。
それらは何も意図されることなく、無意識に出てくる自分自身の言語を出てきてから意識する主人公がいる。その意味するところもあいまいなまま、ただ大陸のなかの路地を歩く。
背景には大陸のこの地が辿ってきた歴史がある。革命ではなく建国だと、古い言葉でしゃべる外国人に怪訝な顔をする人民がいる。
虚構と非虚構との境界線もあいまいなままに、ただただ米国籍の小説家が描く中国の路地裏の描写が日本語の私小説として存在している。
そこはかとなく惹かれるこの外国人による日本語の私小説に、私は外国人の見た外国的中国を日本人の目で、日本語で、読む。淡々としかし飽くことなく。