神の輝き。 - Paulo Coelho文献から -
2011년6월3일[금요일]
"사랑한다는 것은"
영적인 삶은 사랑이다.
사람들은 타인을 보호하거나 도와주거나
선행을 베풀기 위해 사랑하는게 아니다.
우리가 누군가를 그렇게 대한다면 그런 그를
단순한 대상으로만 여기고 자기 자신을 대단히
현명하고 관대한 사람이라고 착각하는 것이다.
사랑과는 전혀 무관하다. 사랑한다는 것은
타인과 일치하는 것이고, 상대방 속에서
신의 불꽃을 발견하는 일이다.
- 파울로 코엘료의<피에트라 강가에서 나는 울었네>중에서 -
「愛するということは」
精神的な人生は愛である。
人々は、他人を保護したり助けたり
善行を施すために、愛するのではない。
私たちが誰かをそのように対すれば、そんな彼を
単純な対象としてのみ考慮し、自分自身を甚だしく
賢明かつ寛大な人だと勘違いすることだ。
愛とは全く無関係だ。 愛するということは
他人と一致するものであり、相手の中で
神の輝きを発見することだ。
パウロ・コエーリョの<ピエトラ川で私は泣いた>より
※ 불꽃(炎、火花、スパーク)を輝きと訳しました。
상대방 속에서 신의 불꽃...
어쩌면 훌륭한 표현일까.
확실히 그 때 나는
그 불꽃에 반한 것일지도 모른다.
相手の中の神の輝き…。
なんて素晴らしい表現だろうか。
確かにその時私は、
その輝きに魅せられたのかも知れない。
☆파울로 코엘료(Paulo Coelho)
1947.8.24일 브라질의 리오데자네이로에서 태어난다.
파울로 코엘료(Paulo Coelho)는작사가이며 서정시인이며
소설가로 1970년 로스쿨을 그만두고 남 아메리카, 북 아메리카, 멕시코,
유럽등으로 여행을 다녀온 2년 후 작사가로서 성공적인
경력을 쌓기 시작하였으나1974년 브라질에 군사 독재정권이
들어서면서 짧은 시간을 교도소에서 보내며 38세에 이르러 최초의
작품을 발표한 것으로 알려져 있습니다.
1986년에 그의 일생에 영원히 기억에 남을 경험을 한 해로 고대 전
유럽의 순례자들이 스페인의 산티아고 데 콤포스텔라
대성당을 방문하기 위해 걷던 약 500마일 이상의 순례자의 길을
도보로 여행한 후 당시 영적인 깨달음을 묘사한 순례자
(영:The Pilgrimage/포:O Diário de um Mago)라는 작품을 발표하였으며
이후 신비함과 영적으로 관계가 있는 이야기를 주로 쓰고 있음을
그 자신이 스스로 밝히고 있다.
코엘료의 웹 사이트에서 그의 최초의 작품은 1982년임을 밝히고
있음에도 불구하고 그의 공식 펜 클럽 웹사이트에서는 1974년 발표된
두 개의 작품인The Manifest of Krig-há과 Theater For Education을
코엘료 최초의 작품으로 소개하고 있기도 합니다.
흐르는 강물처럼(Like the flowing river)은 코엘료가 2006년에 발표한
작품으로 그의 작품으로 한국어로 번역되어 소개된 9개의 작품중에
하나 입니다.
☆코엘료의 작품중에 한국어로 번역된 작품들
1987년 O Diário de um Mago 순례자
1988년 O Alquimista 연금술사
1994년 Na margem do rio Piedra eu sentei e chorei
피에트라 강가에서 나는 울었네
1998년 Veronika decide morrer 베로니카, 죽기로 결심하다
2000년 O Demônio e a srta Prym 악마와 미스 프랭
2003년 Onze Minutos 11분
2005년 O Zahir 오 자히르
2006년 Ser como um rio que flui 흐르는 강물처럼
2006년 A bruxa de Portobello 포르토벨로의 마녀
パウロ コエーリョ(Paulo Coelho)
1947.8.24 日、ブラジルのリオデジャネイロで生まれる。
パウロコエーリョ(Paulo Coelho)は、作詞家であり、抒情詩人であり、
小説家として1970年にロースクールをやめて南アメリカ、北アメリカ、メキ
シコ、ヨーロッパなどに旅行に行って来た2年後、作詞家としての成功的な
キャリアをスタートしたが、1974年のブラジルの軍事独裁政権が入り、
短い時間を刑務所で過ごし、38歳に達して最初の作品を発表したことで
知られている。
1986年 に彼の一生の間に永遠に記憶に残る経験を一年で、古代の前の
ヨーロッパの巡礼者たち、スペインのサンティアゴデコンポステーラの
大聖堂を訪問するために歩いていた約500マイル以上の巡礼者の道を
徒歩で旅した後、当時の精神的な悟りを描いた巡礼者
(英:The Pilgrimage/フォー:O Diário de um Mago)と呼ばれる作品を
発表し、以降の神秘さと精神的に関係のある話を主に書いていることを
彼自身が自ら明らかにしている。
コエーリョのWebサイトで、彼の最初の作品は、1982年愛しの君を世に
示したにもかかわらず、彼の公式のファンクラブのウェブサイトでは、1974年
に発表された二つの作品The Manifest of Krig - háとTheater For Education
をコエーリョの最初の作品として紹介しているという。
川の流れのように(Like the flowing river)はコエーリョが2006年に発表
した作品として、韓国語に翻訳され紹介された9つの作品中の一つである。
☆コエーリョの作品の中で韓国語に翻訳された作品
1987年O Diário de um Magoの巡礼者
1988年のO Alquimista鋼の錬金術師
1994年のNa margem do rio Piedra eu sentei e chorei
ピエトラ川で私は泣いた
1998年Veronika decide morrerベロニカは、死ぬことを決意する
2000年のO Demônio ea srta Prym悪魔とミスプレン
2003年Onze Minutos 11分
2005年のO Zahirオージャヒル
2006年Ser como um rio que flui流れる川の水のように
2006年のA bruxa de Portobelloポートベロとしての魔女
☆阿龍さんへ (訂正入れました6/4)
パウロコエーリョ氏は現在63歳になられる?ご健在のようで本当に嬉しい
ことですね。それからごめんなさい。「アルケミスト」韓国語翻訳版は、
当然のようにありましたね。調べながらも実は全然理解してないところが
私なのです(><) 気付かせて下さって阿龍さんありがとう^^
そしてね?やっぱり私は日本語版がほしいです。(笑)
★☆★
昨日の日記でお願いした「お薦めの一冊」にコメントを下さいました皆様。
大変ありがとうございました。(*´∀`*)
皆様のご推薦を参考に、週末は書店巡りをしたいと思っています。
私の人生を変えるかも知れない一冊に、出会えることを祈って。.:*:・゜★゜
「失敗をやりこなす勇気」パウロ・コエーリョのブリーダより
☆yukarin☆さん | 2011年5月2日のおぼえた日記
/mypage_214153/diary/2011-05/02.html
このように暖かいお気持ちでコメントを頂いたことに先ず、
心からのお礼を申し上げます。本当に嬉しいです。
私はまだまだハングルだけで精一杯ですが、今フランス語に
少し興味が湧いているところです。発音がハングルと似ている。
魅惑の言語の世界は広がる一方です。
わぁ~ 書籍のご紹介もありがとうございます。
「質量のないエネルギーと質量のある物質…」既にココからわからない私ですけど大丈夫でしょうか。(焦)(笑)
本当にいろんな分野まで阿龍さん、よくご存知なんですね。すごいな~!
本当にありがとうございました(*´∀`*)
『6つの生活習慣でガン・難病を治す』
著者:西原 克也
はじめにの中から、抜粋。
体が生まれ変わる6つの生活習慣
1.鼻呼吸
2.冷たいものを飲まない、食べない
3.両側噛み
4.骨休め(上向きで寝る)
5.軽い体操をする
6.太陽光を浴びる
ロベルトマイヤーが19世紀に発見した宇宙の構成則の「エネルギー保存の法則」。
質量のないエネルギーと質量のある物質が等価であるということは、
生命体にとっては両者がともに遺伝子の引き金を引くということです。
そしてこの五〇年間の医学の中にエネルギーで病気が起こるという考えは抜けていたのです。
冷たいもの中毒、骨休め不足、悪い電磁波などが直接的間接的に
ミトコンドリアにとっての大障害が有害・無害のバイ菌とウイルスの細胞内感染症です。
これが口呼吸、冷中毒、骨休め不足、不潔な。子宮と膣によって発症します。
~中略~自分のからだの細胞内のミトコンドリアをもっと大切にしてください。
ミトコンドリアを生き生きさせれば、自然に元気が出てきます。
コメントありがとうございました。
その後、肘の具合はいかがでしょうか。
お痛みが軽減していきますよう。ご無理なさいませんように。
また、思わずうなずいてしまう名言、素敵な文章を教えて下さり、
ありがとうございました。日記の「阿龍さんへ」の部分を訂正させて
頂きました。私らしいですけど本当に恥ずかしい~。失礼しました。
大変に感動しました。
このような素晴らしい作品を手がけられている大作家が今もご健在でおられるのは
大変に幸せなことだと思います。パウロ・コレーリョ氏と対話ができるように
ポルトガル語もスペイン語も学びたいと思いました。
でもパウロ・コレーリョ氏はきっと、こう仰られるでしょう。
『お互いの言葉がわからなくても、対話ができるたった一つの言葉がある。
その言葉は、愛するという体験の共有という振舞いの中で伝えあうことができる。
それさえあれば、外国語が話せなくても、心は一つになることができる。』
yukarinさん、わざわざ調べてくれて、本当にありがとう!!
今日もなるほど・・・と考えさせられました。
こんばんは☆ シリーズ第2号は韓国を取り上げたんですね?
ありがとうございます(@^^@)
私も以前そのようなお話を聞いたことがあります。
日本語の成り立ちと由来について。言語の元を追求して行くのも
面白いかも知れないですね?でも私には当分そこまで広げる余裕が…(笑)
藤原さん、でもまたいろいろ教えて下さいますか?^^
本当にコメントを頂けることに感謝です。未知な世界ですか?
実は私自身が一番、未知な世界で「そうなの?そうだったの?」と
キョロキョロしている状態なんです^^;
しかも「愛」本来の有り様の方に、まっしぐらに走っちゃう今日の日記って(笑)
皆さんと観点が違いすぎる…。こんなんですいませんm(__)m
いやいや。全然「いいなぁw」じゃないしっ!やっていけないからっ(笑)
それよりあんずちゃん、昨日の私のコメどうよ~?(爆)
「代官グループ」と「小作人グループ」面白いですね。
人にはタイプがありますしね?そうですか。ご苦労されてるんですね。
結局、助けてあげたいとか守ってあげたいとかの気持ちも、ともすると
そうしてあげたいと思う人を「単純な対象としてのみ考慮し」と言う
ところが問題提起かも?と読み取りました。「おごり」じゃないかと。
でも、うしどしくんさんは絶対そうじゃないと私が保証します!(*´∀`*)
もし「代官グループ」の方だったら、こうしてコメントにはお見えにならない
はずですから。ありがとうございました。
ありがとうございます(^▽^)
これからも、どんどん刺激しちゃうから~(笑)
リンクが貼れるようになって、便利になりましたね^^
何だかとっても深い言葉で。
自分なりの消化が、なかなか難しいです。
yukarinさんの日記は、普段難しい文章とは縁のない私に、
刺激をくださるようです。