いつの時代のことかわからないほど大昔のことなのだが、ラヂオドイツ語講座で
― この mir の役割は何ですか。
― ethischer Dativ です。
― むつかしい言葉がでてきました。ethischer Dativ とは何でしょう。
みたいなやり取りがあった。
ethischer Dativ: 倫理的与格(3 格) (仏語では間接目的語の格が Dativ)。与格を要求しない動詞の構文で与格が現れたとき、ethischer Dativ であることが多い。
http://www.gfds.de/sprachberatung/fragen-und-antworten/uebersichtsseite/ethischer-dativ/ の説明に従えば、この宙に浮いた Dativ は、とりわけ、警告: »Fall mir nicht hin. 気をつけて、倒れるよ« とか、反語的表現: »Du bist mir der Rechte. 全く、うってつけの奴だよ、お前は« (この両訳、自信なし) で使用され、eine emotionale Verstärkung der Aussage (陳述を感情面から補強) する役割があるとのこと。
というようなことを思い出したのは、«L'avare» 5 幕 2 場で、似たような用法をみつけたから。
MAITRE JACQUES au bout du théâtre, en se retournant du côté dont il sort..- Je m’en vais revenir. Qu’on me l’égorge tout à l’heure ; qu’on me lui fasse griller les pieds ; qu’on me le mette dans l’eau bouillante, et qu’on me le pende au plancher.
HARPAGON.- Qui ? celui qui m’a dérobé ?
MAITRE JACQUES.- Je parle d’un cochon de lait que votre intendant me vient d’envoyer, et je veux vous l’accommoder à ma fantaisie.
J. 親方: すぐに戻ってくるからな。喉をかき切って、脚は焙っておくんだ。それから、煮え湯にぶち込んで、天井からつるしておけ。
H.: 誰のことだ、わしの金を盗んだ泥棒のことか。
J. 親方: さっき執事さんが寄越した仔豚のことですよ。...
独語を学んで、英語の読解の力も表現の幅も拡がったような気がしている。名詞が単独で用いられていれば、Akkusativ (対格、仏語では直接目的語が対応) で副詞の機能を担っているな、とすんなり推測できるとか。 (単なる錯覚で、誤読と破格の作文の源泉になっていなければいいけどね。)
希臘語を知っているひとは、印欧語の読み書きに更に豊かな源泉を有しているのだろうな、と考えると羨ましい限りだが (M. Heidegger によれば、独語と希臘語以外の言語で 哲学 する (philosophiren) ことは不可能だそうですから)、でも、«it's too late baby, now it's too late. Though we really did try to make it. Something inside has died and I can't hide. And I just can't fake it. (copyright: Carole King)» なのです。
Theodor Fontane (でもだれでもいいけど) のかくかく箇所にしかじかの文章がある、それがわかっていて、私の独文を添削してるんですか、あなたは? みたいな反論ができればいいんでしょうけれど。
comment ありがとうございました。