otama さんの日記: /mypage_169532/diary/2011-11/01.html で「白痴」からの引用を読んだ。
露語は全くわからないけれど、ちょっとした感動。遠い昔遥か彼方、高校の定期試験の最中に、「読んじゃだめだ、読んじゃだめだ、読んじゃだめだ」といいながら、全部読んで、酷い目にあったことを思いだしてしまった。
heroine のナスターシャ・フィリポヴナの運命に心を揺さぶられる、そんな多感な時期が私にもありました。
7 歳で孤兒となつた N. はトーツキに引き取られ養育される。
理想の女房を、と目論んだ Arnolphe とは違ひ、T. は成長した N. を 欲望を処理するための器として使用し、それ以上のことは求めない。
N. はムィシュキン公爵の救いの手を拒み、自殺同然の死を遂げる。
こんな場面
「私は汚されてしまつた。あなたにふさわしい女ではなくなつてしまつた。なぜあの時助けにきてはくれなかつた。」
«J'avais été outragée! Je ne suis plus jamais une femme digne de vous! Que faisiez-vous alors?»
を想像しながら、ドストエフスキーの蔵書中には「女房学校」があったに違いないとか考えている。
話を日本にもってくると、匂兵部卿にとってもまた、女とは単に des objets sexuels でしかない。浮舟は自殺未遂のあげく、出世間してしまう。
そのような男の性を冷酷にみすえる紫式部は、一条帝後宮において、さぞや可愛げのない女に見えたに違いない。
逆に精一杯突っ張ってはいても、根が単純で善良な清少納言は可愛い女だったようで、実際、中宮からは根限り可愛がられている。
日本の男の多くは匂兵部卿をうらやんでいると思う。
Au Japon pour Niô-hyôbu-kyô (heros de Genji-monogatari) toutes les jeunes femmes étaient seulement les objets sexuels. De désespoir d'amour Ukifune est devenue moine après avoir raté son suicide.
Murasaki-shikibu (l'auteur de ce célèbre roman) qui était toujours consciente de la nature de sexe de l'homme paraît peu complaisante dans le harem de l'empereur Ichijô.
Au contraire Sei-shônagon (l'auteur de Makura-no-sôshi et la rivale de Murasaki-shikibu), que l'on croyait et croit orgeuilleuse mais dont la nature était simple et bonne, était très aimable dans la société de la cour. Je pense que la grâce de chûgû (la reine) Teishi pour elle est le temoignage de sa bonté.
Plusieurs Japonais rêvent d'être Niô-hyôbu-kyô, je crois.
-- ilya さんはどっちですか。 -- 僕は「枕」も「源氏」もどちらも好きです。
11/03 追加。
«de la nature de sexe de l'homme» ではなく «de la nature de sexualité de l'homme» が適語か。
「白痴」を読んだとき、私もやはり「源氏」を思い浮かべました。(あるいは明治の日陰者として、鴎外の「雁」のお玉さんを。)そして、ドストエフスキーの描く女性の激しさと比べ、何と大人しいことかと思いました。
…ところで関係ありませんが、黒沢監督の「白痴」では原節子がナスターシャの役ですが、「那須妙子」でした。おかしくてひざから力が抜けました。