おぼえた日記

2012年3月26日(月)

「絶対の探求 (H. de Balzac)」の冒頭部分。といっても、Flandre という風土と、そこから切り離しては考えられない Claës 屋敷の描写に続く、Balthazar Claës と Mme C. (Joséphine) とのやり取りが始まるところから。
日本語練習帳のつもりで訳をつけてみます。
あらためて和訳ってむつかしいものだと感じます。毎回自前の訳をつけている方々の苦労がしのばれます。

En 1812, vers les derniers jours du mois d’août, un dimanche, après vêpres, une femme était assise dans sa bergère devant une des fenêtres du jardin.
Les rayons du soleil tombaient alors obliquement sur la maison, la prenaient en écharpe, traversaient le parloir, expiraient en reflets bizarres sur les boiseries qui tapissaient les murs du côté de la cour, et enveloppaient cette femme dans la zone pourpre projetée par le rideau de damas drapé le long de la fenêtre. Un peintre médiocre qui dans ce moment aurait copié cette femme, eût certes produit une oeuvre saillante avec une tête si pleine de douleur et de mélancolie.
La pose du corps et celle des pieds jetés en avant accusaient l’abattement d’une personne qui perd la conscience de son être physique dans la concentration de ses forces absorbées par une pensée fixe ; elle en suivait les rayonnements dans l’avenir, comme souvent, au bord de la mer, on regarde un rayon de soleil qui perce les nuées et trace à l’horizon quelque bande lumineuse.

1812 年、8 月も終わろうというある日曜日、晩祷も終わった夕暮れどき、一人の女が庭園に向かった窓のまえの安楽椅子にこしかけていた。
斜めに落ちて横合いから屋敷に差し込んだ陽の光は、parloir (談話室 ?) を横切り、中庭側の壁一面を覆う羽目板 (Van Huysium の手になる浮き彫りが施されていると少し前に説明あり) の上に奇妙な影を産んでいた。女は窓に沿って掛けられた Damascus 織りの垂れ幕が投げかける紫のかげに包まれていた。この瞬間における女を写生したならば、たとえ凡庸な画家であっても必ずや傑出した作品をものすることになったであろう。女の表情はそんなにも苦痛と憂愁に満ちていた。
上体の姿勢と、前に投げ出した脚の様子が一つの想念に囚えられてしまって、自分の身体のことを閑却してしまった人間の打ちひしがれた状態を示していた。彼女は未来の光景を追っていたのだ、ひとが海辺で雲を貫いた光が水平線のかなたで織り成す眩い帯に眼をやるように。

☆yukarin☆ さん

おはようございますilyaさん

訳...とても美しくて素敵です。
すいません。このようなことしか言えなくて。

2012年3月26日 8時18分
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