2009年6月アーカイブ

英語か日本語か?

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昨日、立命館アジア太平洋大学の訪問の話を書きました。

いつも思うのですが、英語を話す日本人と、日本語を話す外国人と

どちらが多いかといえば、英語を話す日本人の方が

圧倒的に多いでしょう。

英語は国際語だがら当たり前だと言われる方も多いと思いますが、

何か不公平な気もするのです。

自分が話す相手の内訳が、3人が日本人、2人が外国人で、

日本人の1人が他の外国人の手前、英語で質問してきた時に、

私はその質問に何語で答えれればよいのでしょうか?

このブログを読んでくださる多くの方は、すぐさま英語でお応えになる

のでしょう。私も多くの場合、そうするのですが、日本人には日本語で、

外国人には英語で応えてもよいような気もするのです。

やはり母語の方が、詳細なことにも触れやすく、相手によって使い分けた方が、

よいのではないでしょうか。コミュニケーションの質を確保する点からも。

APUのような国際的な大学や外資系の企業にお勤めの方々は、

どうされているのでしょうか?

Jブンガク担当のロバート・キャンベル先生を拝見していると、

自分の英語力が低いだけなのかもと反省することもあるのですが。

みなさんはどうお考えでしょうか?

立命館アジア太平洋大学

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週末に、用事で、大分の立命館アジア太平洋大学に行きました。

前から一度訪れてみたいと思っていたキャンパスでした。

開学から来年で10年になるキャンパスで、国際色が強く、

高校の進路指導の先生が生徒を送りたいキャンパスランキングで

上位に入っている、その位の知識しかないままキャンパスに足を踏み入れました。

大分空港から空港バスに、途中で路線バスに乗り換えてキャンパスへ向かいました。

キャンパスは山の頂上にありました。

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なんと広大なキャンパスなんだろうとびっくりしました。

週末ということもあり、広い敷地にそびえたつ建物だけが目立ちました。

どうもキャンパスツアーが行われているようで、少人数のグループを連れてキャンパスを

まわる学生ツアーガイドの姿があちこちで見受けられました。

日本の大学であっても、アメリカの大学のようでした。

キャンパスの広さ、インターナショナルスチューデントの多さ、国際基督教大学を髣髴と

させるキャンパスでした。

キャンパスを歩きながら、自分が初めてアメリカに渡ったときのことを思い出していました。

このキャンパスで学ぶ日本人の学生は、他のインターナショナルスチューデントに物怖じすること

なく初めから、インターナショナルの教授の授業に溶け込んでいけているのだろうかと。

アメリカでは日本以上に、大学のシラバスはちゃんと作られていて、その週のリーディング・

アサインメントや宿題が明記されていて、それらを済ませて授業に出るのは当然と

考えられています。日本では、取りあえず授業に出ておこうかと授業に出る学生も

多い気がしますが、アメリカでは、そうでもしたものなら、教授から"What do think about

Nye's perspective?"とか"What is your opinion on this subject?"と問われても、

答えることができず、大恥をかくだけになってしまいます。

今、日本の大学教育は、教員中心・内容重視(何を教えるか)から学生中心・ラーニング・

アウトカム重視(何ができるようになったか)への転換を迫られています。

APUのような国際色の強い大学で学ぶ日本人の学生諸君は、まさに日本で海外留学体験

をしているのでしょう。彼らには、どうしたらアメリカ的な教育制度でサバイバルできるのかを

ちゃんと教えてあげないといけないような気がします。

アメリカへ留学しても日本人とだけしか付き合わない人たちは、結局、伸びなかった。

郷に入れば郷に従えと言いますが、APUがあるのは日本、日本人の学生は、一歩大学から

出てしまえば、そこは日本、逃げ道はワイドオープンなのです。

そんな彼らに、「やればできる、こんなに伸びじゃないか」とAPUの教職員が背中を

押してあげられたら、来年10周年を迎えるAPUはさらに進化するのではと思いながら

キャンパスを後にしました。

「フランスにいるはずでは?」

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先週末、たまたま立ち寄ったデパートで、ラックにお中元の冊子が並んでいました。

普通なら素通りしてしまうのですが、ディスプレイの表紙が私に語りかけてきました。

「えっ、フランスにいるはず、フランスでなければ、アメリカに移られたはずでは?」

と思いながら、お中元の冊子を手に取り、表紙を食い入るように眺め、

表紙の画家を確認すると、やはりミヤケマイ氏でした。

昨年、このデパートの画廊4ヶ所で個展ツアーをされた縁なのでしょうか・

表紙の絵は、「将を射んと欲すれば牛を欲せよ」という題名でした。

七夕の季節を意識されて書かれたようで、短冊に福、良縁と文字が躍っています。

昨年から一年間、海外に滞在されていて個展などは帰国されてだから

ミヤケ氏の絵を見るのは年が明けてからとずっと思っていた私にはうれしい発見でした。

エスカレーターを上がると、上から掛け軸のように同じ絵が掛けられていて、

何か七夕の短冊のようでもあり、久しぶりにミヤケワールドに触れて素敵な気持ちになりました。

ミヤケ氏のホームページによると、今、まさにパリからニューヨークへの転居の最中らしいことが

わかりました。「将を射んと欲すれば牛を欲せよ」は、水団扇と手拭もあるようで今度デパートで

探してみようと思います。

 

 

 

あれから20年

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先週末は久しぶりに京都で会議があり出かけました。

新型インフルエンザで修学旅行のキャンセルが相次ぎ、ホテルはさぞかし大変か

と思っていましたが、いつも利用するホテルは満室でした。

梅雨入りして天気が心配でしたが、雨は降らず助かりました。

6月は、June Brideの季節で、結婚式をされる方、結婚式においでになる方も

多いと思います。土曜日の夕方は地下鉄にも引き出物の袋を提げた人の姿が

目立ちました。

私の世界一の親友であるアレックスがリサと結婚式を挙げたのが

1989年6月10日(土)でした。

ユダヤ教のしきたりに則った結婚式は、ボストン郊外のスキー場のハウスを

貸しきって行われました。当時、私はロサンゼルスに住んでいました。

前日の夜には、ベストマン(新郎サイド)とメイド・オブ・オーナー(新婦サイド)

を含め、両家の家族が集まって食事をしました。

私にとっては、初めてのタキシード、初めての英語での結婚式でのスピーチなど

初めてづくしの経験でした。一番の経験は、やはりベストマンでした。

日本と違って、手作りの結婚式の中で、新郎が親友から選ぶベストマンが

進行を司るとは、「ベストマンになってくれない?」とアレックスから電話が

かかってきた時は、想像だにしていませんでした。

式に出て周りの人たちとアレックスとリサを祝福していればいいんだろう

くらいしか考えていなかったのです。

ベストマンの仕事について聞かされたのは、式のために6月8日夕方に

ボストンに着いてからでした。スピーチを考え、リングをアレックスに渡すタイミング

の確認など大変で、前日の関係者の夕食も式当日も、とにかく無事にベストマン

の仕事をこなさなければということで食事もろくに喉を通りませんでした。

あれから先週の水曜日で20年が経ちました。

本当にTime flies!です。

アレックスとリサの長男のテイラーは16才に、長女のレベッカは15才になりました。

結婚10周年記念として、アレックスとリサを日本に招待しました。

テイラーとレベッカはリサの実家でお留守番でした。

日本では、アレックスのおばあさんが教鞭を取っていた長崎の活水女子短期大学に

足を運び、おばさんの足跡をたどったりしました。

あれから10年が経ち、彼らの結婚も10日で20周年を迎えました。

ベストマンとして彼らの結婚記念日にはボストンロブスターを贈ってきました。

家族が増えていく分、ロブスターの数も増えました。

今年は週末の12日に贈りました。

20周年のお祝いに、来月21日から10日間、アレックス、リサ、

テイラー、レベッカの家族全員を日本に招待しました。

成田到着後、広島、京都、東京をめぐり、原爆ドーム、平和祈念資料館、京都御所、

皇居、日本銀行、築地場外市場などを見学することになっています。

彼らの結婚30周年には、テイラーとレベッカはそれぞれの人生を

歩みだしていることでしょう。

30周年は、アレックスとリサの2人で、また訪日してもらおうと思っています。

お久しぶりです!

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ゴカクルのリニューアルのため5月18日から月末でブログの更新ができませんでした。

それを見込んでゴールデンウィークの翌週に、集中的にロサンゼルスのダウンタウン

の再開発について、ブログを書きますと予告させていただきながら、

私事に翻弄されてできませんでした。

申し訳ありませんでした。(. .)

ゴカクルのリニューアルに合わせてこれからは心機一転頑張りますので、

よろしくお願いいたします!

今週後半は、遅ればせながらゴールデンウィークにロサンゼルスタイムズが

フ―ドセクションで特集したロサンゼルスダウンタウンのダイニング再生

について書いてみたいと思います。

その前に、4月に私の愛用しているアメリカの航空会社の機内で上映されていた映画

についてご紹介してみたいと思います。

その映画とは「Marley & Me」です。日本では3月27日から公開された映画で

邦題は「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」です。

アメリカのシットコム(Situation Comedy)の中で記録的なヒットを記録した

「フレンズ」のレイチェル役で大ブレイクしたジェニファー・アニストンが

出演している映画です。

この映画を見ながら、アメリカの一般的な家族の姿が大変よく出ているなと感心しました。

私の世界一の大親友のアレックスが、リサと結婚してから、

一男一女の子供に恵まれ今に至る姿を彷彿とさせてくれました。

大親友のアレックスがリサと結婚したのが1989年6月10日、

その時、私はアレックスのベストマンを務めました。

あれから今月で早や20年になります。

アレックスとリサの新居には、まずスパジーというリサの猫がやってきて、その後、

マキとアサヒという二匹の犬がやってきました。

アレックスがまだ子供の頃、アレックスの家には柴犬がいたそうです。

アレックスのお父さんのエドは、アメリカの国務省の仕事でタイやベトナムの経済発展

の調査を行う経済学者でした。

アジアを拠点に調査するうちに、日本のミキモトの真珠の美しさに魅せられ、

犬をミキモトと名づけました。

アレックスは、自分の家庭にも犬が欲しいと2匹の犬を飼いました。

その二匹の犬は、マキとアサヒと名付けられました。

名前の由来は、アレックスの日本好きを表していました。

マキは鉄火巻のマキ、アサヒはアレックスがボストンの地ビール以上に、

愛してやまないスーパードライから来ています。

アレックスとリサの間には、その後、テイラーが生まれ、レベッカが生まれ

家族が増えていきました。スパジー、アサヒ、マキは、テイラーとレベッカ

のよい遊び相手になりました。

今は、スパジーもアサヒもマキも天国に行ってしまいましたが、アレックスの家には、

彼らは、今でも、アレックスの家で、彼の家族の成長の一コマを表す

さまざまな写真の中で生きています。

アメリカの中流家庭を描いた映画「アメリカンビューティ」が世に出てから

今年で10年になります。「アメリカンビューティ」はアメリカの社会の

一見平凡に見える家族が抱える闇を描いた映画としてアカデミー賞作品賞

を受賞しましたが、映画を観た後いたたまれなくなった記憶があります。

「アメリカンビューティ」とは異なり、「マーリー 世界一おバカな犬」は

本当に心温まる映画です。

一度お時間があればご覧ください! 

 

 

 

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