3월16일(수요일) 마음은 아무도 안 보이지만,배려는 누구라도 보인대요.진짜?
心は誰にも見えないけど心遣いは誰にも見えるって公共広告機構のCMが大嫌いだ。
この詩は埼玉県の詩人宮澤章二さんの詩で、そっとしておいてくれれば良かったのだが、広告媒体に乗ってここまでリピートされると気分が悪くなる。
一見きれいな言葉がマスに向かって流通するとロクなことはない。言葉の持つキャパを超えているような気がする。
広告媒体に乗ることによって「じゃあ誰かに見せるための心遣いか?」とも思う。評価を得ようとするその心根に共感できない。そこに広告と詩との絶望的な断絶がある。
広告なら広告らしくもっと頭を使って広告の言葉を紡げばいいのだ。借り物のきれいごとほど趣味の悪い行為はない。「行為の意味」がわかってない。
いや、わかっていて使っている確信犯なのだろう。それが広告の怖さでもある。言葉遊びは遊びだから面白い。偽善の臭いが似合わない。
地層にやつは記憶に残ってないなぁ。リピート数が違うのかな?