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私とアメリカの「昨日・今日・明日」
Ryo

英語とアメリカとのつきあいは、これからも続きますが、本当に思えば遠くに来たものです。私の体験を皆さんの明日に活かしてください。
 

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私とアメリカの「昨日・今日・明日」

2009年4月10日 (金)

ロサンゼルス:リトル東京の昨日・今日・明日 4

豊さんと話すようになったのは、しげさんと和さんが担当だったカウンターの端で、

豊さんが鮨を握っていて、私がしげさんと和さんと話している時に、たまたまいいネタを

2人の前のショーケースに探しに見えた時に、一言二言言葉を交わすようになったのが、

きっかけだった気がします。しげさんと和さんは、新進のよきライバルという感じがしました。

豊さんの前には、古くからの常連の人たちがいつも陣取っているようでした。

初めてお店に足を踏み入れてから20年が過ぎました。

その間に、しげさんはビバリーヒルズに店を持ち卒業しましたが、和さんはチーフとして

今でも豊さんのお店で頑張っています。最近は寿司シェフの人たちに新しい人が、行くたびに

加わっていて、全員の顔と名前は一致しませんが、豊さん、和さんほどつきあいは

長くないものの、まささん、のりさん、あきさんとも、もう10年くらいのつきあいになります。

このお店のすごさは、なんといっても豊さんの人柄と努力、そしてそれを支えるスタッフの絆と

結束力だといつも思います。

先週から始まった連続テレビ小説「つばさ」の中で、今日、甘玉堂の女将の千代役の

吉行和子さんが、店の建物を手放す覚悟をし、その理由をつばさ役の多部未華子さんに

説明する時に、「大切なのは老舗を守ることではなく、たった今、和菓子を買ってくれたお客さんが

そのお菓子を食べて喜んでくれる事なのだという事を、あなたに教えてもらいました。」と

語りかけていましたが、この台詞を聞きながら、豊さんは、この29年間、自分のお店に

来てくれた人がおいしかったと喜んでくれることを目指して努力して、一代でこのお店を

リトル東京では知る人ぞ知る店にしたんだなと考えていました。

今では、テレビJAPANのおかげで、ロサンゼルスでも「つばさ」も観ることができるので、

豊さんや和さんは「つばさ」を観て、どう思っているのだろうと、次回ロサンゼルスに行った時に

聞いてみようと思います。

アメリカに渡り、開店したお店が来年で30周年、このアメリカンドリームは、

豊さん本人の並々ならぬ努力の賜物です。その努力にシェフ、スタッフがついてきた。

そこに今の成功があります。

豊さんのお店は、昼は、月曜日から金曜日まで11時15分から、夜は、月曜日から金曜日は

17時半、土曜日は17時から営業しています。仕込みは朝の9、10時から始まり、お店は営業中は

大忙しで、昼と夜の間に若干の昼休みがありますが、お客さんが帰り、豊さんたちが賄いを食べて

お店を後にするのが、23時半過ぎ、そして、豊さんは翌朝4時には、昨日の晩注文した魚が、

仕入れ業者のファックスに見合った品質のものなのかをチェックするために魚市場にいます。

この努力あってのアメリカンドリームなのです。

シカゴにいた時に、日本を代表するジャズミュージシャンの穐吉敏子氏にお話をお伺いする機会が

ありました。アメリカをベースに活動され、世界中で演奏をされているご自身をどうご覧になって

いらっしゃるのかお尋ねすると、「私は、女性、日本人である前に、ジャズミュージシャンだと

思ってます。」とおっしゃいました。

豊さんは今の自分をどう表現されるのか、チャンスがあったら問いかけてみたいと思ってます。

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