2월14일(월요일)오늘은 눈이 많이 와 있어요.그래서,이 시(詩)를 한국어에 번역해 보고 싶어요.
눈
타로(太郎)를 잠 재우게,타로의 지붕에 눈이 오고 쌓이다.
지로(次郎)를 잠 재우게,지로의 지붕에 눈이 오고 쌓이다.
미요시 타쓰지(三好達治)
잠(을) 우다:寝かす,眠らせる
지붕:屋根
쌓이다:積もる
雪
太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ
三好達治の大変有名な二行詩ですが、その意味を読解するのは難しく、専門家の間でもさまざまな解釈がありますね。眠らせているのは誰なのか?雪なのか母なのか?その謎こそが魅力ともいえそうです。
ハングルは日本語同様主語がなくても文章が書けるので、ほぼ直訳したつもりです。ただ「眠らせ」という部分をどうするか迷いました。
すると結局、太郎や次郎を眠らせているのは母なのか雪なのかという解釈の問題に戻ってしまうわけですけれど、今回の私の解釈では「雪が太郎や次郎を眠らせるように」と考え「게」を使ってみました。
この美しい詩の私のイメージは、太郎・次郎で終わらず、三郎・四郎・五郎と次々と子ども達の住む家々に降り積んでいくとともに夜が更けてゆくという感じです。
それはあたかも「羊が一匹、羊が二匹」と眠りに誘うあのおまじないのように、窓の外に静かに降る雪を太郎も次郎も眺めているうちに眠りに落ちていくかのようです。
そして子ども達が眠ったら視点が変わり、今度は空からの視点で家々に降りつもる雪の風景が広がって行きます。とても映像的な美しい詩だと思います。
そして音楽的な感覚、ミニマルミュージックやアンビエントのような静寂感もありますね。繰り返しの手法が非常によく効いていると思います。
これを太郎だけの1行詩で終わらせていたら、太郎が固有名詞のようにも感じられますが、続けて次郎も登場し、次郎以外の表現が全部繰り返しになっている。
この繰り返しによって太郎も次郎も匿名性を帯びてくるとともに、静かに静かに動きのない雪の夜の静寂感が印象深く表現されているように思えるのです。
柄にもなく日本ブンガクを語ってしまいたくなる雪の夜でした。
정말 학교로 배웠네요.
선생님하고 학생들이 여러가지 이야기를 하고,읽는 것이 좋은 시이네요.
ごーや さん>
フランス語だと、雪は降る、あなたは来ない...
という歌もありましたねぇ。アダモでしたか。
明日の朝は厳しそうです。詩人でいられないかも!