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人生まだ半分、37才からの外国語
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人生まだ半分、37才からの外国語

2013年3月16日 (土)

「1世」と「ドイツ語」
白と黒の煙
ローマ教皇を選出する「コンクラーヴェ」が終わり、新教皇フランチェスコ1世が誕生しました。
初の南米出身者ということもあるのか、教皇としての名前も一新して「1世」がついていますね。でもこういうのって、「2世」が登場してはじめて「1世」になるのでは、ないのですな。だれも名前を嗣がずに2世が続かなかったらどうなっちゃうんだろうか。
英国の「欠地王」ジョンは、2世が続かなかったために単に「ジョン王」であって「ジョン1世」ではないですよね。評判の悪いジョン王を引き合いに出しては、新教皇に失礼かもしれませんが。

さて、ローマ教皇における最近の「1世」ってだれだろうか、と調べてみると、意外なことにかなり近い時代のことで、1978年に位に就いた「ヨハネ・パウロ1世」がいます。彼のあとの「ヨハネ・パウロ2世」がかなり長く在位たので、私がローマ教皇としてまず思い出すのは、この名前です。
ヨハネ・パウロ1世はなんと33日間という短い在位にとどまった人で、ネット上の記事などを読んでみると、暗殺疑惑などといういささか物騒な話も出てきます。このあたりを追いかけた書籍もあるようなので、今度読んでみようかと思いますが。

その前の「1世」は
さて、ヨハネ・パウロ1世の前の「1世」を調べてみると(Wikipediaの「ローマ教皇の一覧」という記事を参照しました)、なんと9世末の「マリヌス1世」まで1100年近くさかのぼってしまいます(「2世」が登場しなかった人はこの間にもいるようですが)。
9世紀にはあと二人、「ニコラウス1世」と「パスカリス1世」、8世紀には「ハドリアヌス1世」と「パウルス1世」と二人だけ。どうも、ローマ教皇の名前については、かなり以前から新たな「名跡」はつくられなくなってきているのですね。

この「1世」たちについてのWikipediaの記載は、おそらくは史料も多くはないのでしょう。非常にあっさりとしたものが多いようです(面倒なので日本語の記述しかみていませんが)。
その中で、オヤッと目についたのが、772年から795年の間在位していた、ハドリアヌス1世に関する記事です。ちょうど、フランク王国が現在のフランス・イタリア・ドイツにまたがる巨大な帝国となり、カール大帝(シャルルマーニュ)の治世にあたります。なお、カールにローマ皇帝の戴冠を行ったのは、ハドリアヌス1世の次の教皇であるレオ3世。

カールとの関わりについての記載のあとに、"theodiscus"なる項目が立てられ、786年にハドリアヌス1世にあてられた書簡についての記述が続いています。
これによると、この書簡に"theudiscus"という言葉が登場し、これが「ドイツ語」を表す最初の例であるのだとか。
英語版Wikipediaの"theodiscus"の項には、次のようなに記述されています。

The use of theodisce/deutsch was first attested [2][3] in 786 in a report to Pope Hadrian I. Texts from a synod held in Corbridge, England were read tam latine quam theodisce "both in Latin and in the vernacular".

ドイツってどいつ?
「ゲルマン民族の大移動」という言葉は、世界史が嫌いだったり苦手だったりしても記憶にあるでしょう。西ローマ衰退の直接原因などといわれます。
「ゲルマン」は「German」ですから、英語でドイツを意味する「German」と同じで、「ああ、ゲルマン民族の国だからGermanyなんだな」と、スッキリと理解できた気になります。でも、「ドイツ」ってのは一体どこから来たんだい? という疑問が出てきませんか?

私もただの素人なので、ちゃんとした論文にあたって調べているわけではなく、素人向けの本などでの解説によると、「民衆」や「民族」を意味するゲルマンの言葉から「ドイツ」という語が生まれて使われるようになったのだ、という理解をしていました。
どうやら、その最初の一歩がこの書簡に登場する"theodiscus"である、ということなのでしょう。ラテン語に対して「民衆の言葉」として表現されたこの言葉、当時はアングロ・サクソン系の王国が支配していたブリテンで使われていたゲルマン人の言葉を示していると考えられているようです。

この言葉がどんなふうに使われるようになり、最終的には「ドイツ人」「ドイツ」といった大きな概念に育っていったのか、実に興味深いところです。
かたや、ドイツ語は英語では「German」だし、フランス語だと「Allemand」です。後者はまあ、ライン地方のアラマンニ族からきているのでしょうが、近隣からも「ドイツ」とは読んでもらっていないのですね(逆に、ドイツ語でフランスは「Frankreich」すなわち「フランク帝国」というのも印象的ですぐにおぼえられます)。

特定の国や地域が、どんな経緯でいま使われている名前になってきたのか、それぞれに興味深い物語があります。
その中でも、「ドイツ」の成り立ちは、国民国家というよりも「汎ヨーロッパ/汎世界の帝国」という概念の残り火のような「神聖ローマ帝国」などという、今日のわれわれから見るといささかいびつな「国家」と、乱立する領邦との関わりの中から生まれてきたものだけに、なかなか「理解した気になる」のも困難です。

ドイツ人の意識の中で、この「ドイツ」という語は一体どんなふうに理解され、落ち着いているのか、もう少しちゃんとドイツ語が話せるようになったら、一度じっくりと聞いてみたいものです。

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