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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2010年4月10日 (土)

"Ich bin ein Berliner."と"Civis Romanus sum."
ドイツ語うるわし
ラジオドイツ語講座、毎週金曜日は「ドイツ語うるわし」の再放送です。
昨年はこの講座をそれほど熱心に聴かなかったので、今年は楽しんでいこうと思ってます。ストリーミングもあるので時間をずらしても大丈夫だし(朝の忙しい、ゆとりのない時間帯に聴いても、ねえ)。

第一回は(もうラジオ放送は二回目が終わってますが...)、John F. Kennedyの西ベルリンでの演説から、「Ich bin ein Berliner.」でした。
せっかくなので、この部分だけでなく全体を見てみましょう。この演説の全文はさまざまな場所で読むことができます。ここではBBCとWikisourceのリンクをあげておきます。

 Ich bin ein Berliner(Wikisource)

読んでみると、ケネディは2回、冒頭部分(ラジオ講座で紹介された部分)と最後に、この「Ich bin ein Berliner.」といっています。自由世界の人々が西ベルリン市民と連帯して闘うという強いメッセージを、この短いフレーズに込めているわけですね。
全文を読んでも、非常にシンプルなメッセージを繰り返し、表現を重ねながら印象づけていく、聴衆に訴えかける力のある演説であったことがわかります。
もちろん、動画も見られます。私が見つけたのは下記のサイトですが、おそらくほかにもあるかと思われます。

 "Ich bin ein Berliner" Speech (June 26, 1963)(Miller Center of Public Affairs)


「Lass' sie nach Berlin kommen.」
この演説には、もう一箇所ドイツ語が出てきます。
はじめの「Ich bin ein Berliner.」の次のパラグラフで、東側の体制に親近感をおぼえたり、擁護する人もいるだろうことを指摘しながら、「彼らをここに連れてこい(Let them come to Berlin.)」という言葉を重ねます。個別に論破するのではなく、ここベルリンで起こっていることを見れば、何が正しいのかは一目瞭然である、といいながら聴衆の心をつかんでいくのですね。
言葉の調子も、「くだらんこと抜かしてる奴らは連れてきやがれ!」というべらんめえ調に聞こえないこともありません。スピーチ台をどんどんと叩きながら話してますし。

そして、このフレーズを最後に繰り返す際、「Lass' sie nach Berlin kommen.」とドイツ語を使います(この「Lass'」はWikisourceでは「Lasst」となっています)。
ベルリンで家族や友人と引き離され、壁に囲まれて生きている人々を前に、「ここにくればわかる」というシンプルなメッセージを重ね、最後に再度ドイツ語で語りかける。その場にいたほとんどの人が熱狂したことでしょう。
オバマ大統領の演説が英語教材として人気のようですが、音声や動画が残っている演説の名手ということでは、ケネディがやはり大先輩といえそうです(仮に映像が残っていたなら、カエサルやユヌティニアヌス皇妃テオドラの言葉、聴いてみたいです。ま、ラテン語では聞いてもわかりませんが)。

「Civis Romanus sum.」
「ドイツ語うるわし」でも紹介されていたとおり、はじめの「Ich bin ein Berliner.」と対比される形で、2000年前にもっとも誇らしく人々が語った言葉として示されるのが、「Civis Romanus sum.」、すなわち「私はローマ市民である」です。
とくに紀元1世紀から2世紀、1800~1900年前の時代にローマ市民であるということは、世界の中心であり盟主であることをほぼ同意だったことでしょう。もちろん同じ時代に東アジアには漢王朝があったわけですので、唯一のスーパーパワーではなかったにせよ、ローマ市民とは巨大なローマ帝国の、建前上は主権者だったのですから。

私はラテン語はまったくわかりませんが(ラテン語についての本は2冊ほど、読んだのですが)、この短いフレーズならばなんとかなります。
「Civis Romanus」は「Roman Citizen」の意味ですね。そして「sum」は「~である」を意味する「be動詞」とううか「sein動詞」の一人称単数の形です。ラテン語は人称や格に応じた変化が厳密に行われることもあって、主語を省き語順を入れ替えることが容易です。この場合も、一人称の主語「ego」が省略されています。
ちなみにさすがにケネディ、「Civis」をちゃんと「キヴィス」じゃなく「キウィス」って読んでます。「Veni vidi vici.(来た、見た、勝った)」も「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」ですよねやっぱり。マーラーの交響曲第8番の冒頭の歌が、「ヴェーニー」と始まると、けっこうがっかりします。

さて、ヨーロッパの言葉、とくにフランス語・イタリア語・スペイン語などのロマンス諸語はラテン語を共通の源流としていますから、お互いによく似ています。イタリアとスペインとなら、ゆっくりと話せばお互いに自国語を話していてもなんとか意味が通じるのだと、聞いたこともあります(真偽のほどは定かじゃありませんが)。
国際語といえる英語も含めて、ヨーロッパでは2,3カ国語を話せるのはすでに当然のこと、なんていう話も。もともと言語として似通っているうえに、地続きで経済圏としても統合されているので、日本人がヨーロッパの言語をおぼえようとするのとは、難易度も必要度もまったく違うのでしょう。ちょっとうらやましい境遇でもあります。

一度英会話教室で「好きな言葉を母国語として生まれ変われるなら、何が良い?」と聞かれたので、元気よく「ラテン語」と答えたことがあります。
まあ、さすがにラテン語そのものはバチカンの中くらいでしか使い道がなさそうですが、あの厳格な文法規則を身につけられたら、ドイツ語の格変化くらいは軽いんじゃないか、と思えるのですが、そうでもないかな。
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