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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2012年3月 7日 (水)

Götterdämmerung
5時間28分
映画館でオペラの舞台を上映する、「METライブビューイング(MET LIVE IN HD)」はもうすっかり日本でも定着し、少なくとも土日には劇場がほぼ満席となることが珍しくありません。
今年も予定されていた11作のうち8作目と、終盤に入ってきました。春になるとオペラハウスの2011/12シーズンもいよいよ大詰めです。

第8作目は、昨シーズンから2作ずつが上映されてきた、リヒャルト・ヴァーグナーの大作「ニーベルングの指環」のラストを飾る第3夜「神々の黄昏」でした。
上演時間が、休み時間を含めて5時間28分。今時これだけの長時間を映画館で座って過ごすことはそうそうありませんね。
とはいえ、かつて指揮者のジェームズ・レヴァインがバイロイト音楽祭で同作を振った時には休憩を除いて5時間以上かかったことがありますし、今回の映画館上映も当初は6時間以上との情報だったので、これでもだいぶ短くなったということでしょう。

神々の黄昏
表題は、ヴァーグナーによるこの作品のタイトルですが、日本語では「神々の黄昏」と訳されます(「たそがれ」とひらがなになることも多い)。
この日本語に対応する言葉としては、ドイツ語の「Götterdämmerung」以上に「Ragnarøk(ラグナロク)」がゲーム等で有名ではないでしょうか。これはスカンジナビア半島やアイスランドで使われていた古ノルド語の言葉だそうです。

ドイツ語のほうに戻ると、「Götter」は「Got」の複数形ですから「神々」で、「Dämmerung」は「夕暮れ」を表します。したがって、「神々の黄昏」はまさに直訳でもあり、同時にタイトルとしても非常に憶えやすく良い訳ともいえますね。
これが英語になると「The twilight of Gods」となり、日本人の私からは今ひとつ緊張感がないというか、壮大な物語の終幕にふさわしい響きが感じられません。英語を母語とする人には、どう感じられるのでしょうか。

もっとも、ドイツ語をカタカナで表記してしまうと「ゲッターデンメルンク」となり、なんだか巨大ロボットアニメみたいになっちゃいます。
ひょっとして、あのエネルギー源である宇宙線「ゲッター線」って、「神々の宇宙線」だったんでしょうかね。

上演は大成功
さて、肝心の楽劇「神々の黄昏」ですが、まずは大成功といえるのではないかと思います。
主役の二人(ブリュンヒルデとジークフリート)は友にこの役を初めて歌ったということですが、ソプラノのデボラ・ヴォイトはかなり体を絞りつつトレーニングを重ねたことが伺われ、最後まで力強さが失われない見事なブリュンヒルデでした。
一方、前作の「ジークフリート」で、本来の歌手の降板によって急遽大役が回ってきたジェイ・ハンター・モリスも、今回は準備ができたというだけあって、序盤の不安定さはあったものの、非常に生き生きとした「ジークフリートらしいジークフリート」だったと思います。

この作品、とくに第3幕は1時間半近くの長さをまったく感じさせない緊張感の連続で、音楽も大変すばらしいものです。
土曜日に映画館を出た直後から、何度も何度も音楽が頭の中で回ってしまい、いったい何度ジークフリートの葬式をやったかわからないほど。

北欧神話のラグナロクでは、オオカミや大蛇が神々と壮絶な戦いを繰り広げたのちに世界の終演が訪れます。
一方、ヴァーグナーによる「神々の黄昏」では、ブリュンヒルデが呪いの指環をラインに返し、自らはジークフリートの亡骸とともに炎で焼かれることにより、その自己犠牲の炎が神々の住むヴァルハラ城を含む世界を焼き尽くし、呪いから解き放たれ浄化された世界を取り戻す力となります。
最後には愛が勝利するわけで、なんだか力業でごまかされたようにも感じられるのですが、音楽の持つ迫力に押されて細かいことはどうでも良くなりますね。

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