2013年4月29日 (月)
「シューカツ」がなければ英語は不要? ~ 黒田龍之助氏講演を聞いて(2)
検定試験大好き 4月に聴講した、黒田龍之助氏の講演で私が感じたことのまとめ、第二弾です。 黒田氏が話したことの記録ではなくて、講演で出た話やエピソードから、私が感じたことを書いているので、くれぐれも誤解のなきよう、お願いします。 さて、今の大学生にとって大きな問題は就職活動。シューカツですね(それにしても何だってこんな略しかたするンだろ?)。 日本経済がこの20年間ほぼ成長できていないのに、大学卒業者は10万人以上も増えているのですから、普通に考えて就職難になるのは当たり前です。そこで、企業が求める英語力を身につけたと示せるように、TOEICやらTOEFLといった試験がもてはやされます。 私もそうでしたが、学生というのは「楽な道」を示されたらそっちに引き寄せられがちなもの。 英語を使えるようになることではなく、「TOEICでそこそこのスコアを出すこと」が就職に有利だとなれば、試験対策に精を出すのは仕方のないところ。 学生を「大切なお客さま」と思っている大学も、もちろんこれを否定するはずもなく、結果としてTOEICスコアが単位として認められたり、大学での講義が試験対策に近づいたりといったことが起きる。これもまた、情けないほど自然な流れといえるでしょう。 かくして、大学で、大学生がTOEIC対策に励むという、不思議な光景が展開されます。 そもそも、「就職課」的なサポートさえ存在しなかった大学にいたせいで、直接の指導教官だけでなく、大学が卒業者の進路をあれこれと組織的にケアをしなければならないこと自体、私には不思議な光景なのです。 ここは大学でしょ? でも、大学で外国語を学ぶ、ということがそれで良いのか? と黒田氏は問います。 街中のカルチャーセンターで求められることと、大学で求められることは、違っていて当然。大学での学びは、もっと知的な興奮や面白さを追求するものでありたい、という主張には、私も大賛成。 昨今の就職状況をみれば、大学に行っても就職に有利になどならないのは明らか。それでも大学に行こうと思うなら、少なくとも自分が関心を持つ領域では知的な活動を楽しんでほしいと思います。 まあ、4年間プラスアルファを、遊んで暮らすために大学に進学する、というのも否定はしませんが...少なくとも、いかなる学問分野にも関心はないし、本や論文を読んだり、考えをまとめたりすること自体に価値を見いだせない、という人は、大学になど行かないほうが良いんじゃないかとは思います。 このあたりは、大学や大学生をどういう存在と認識するのか、というベースが違えば、全く違う結論になるのは当然です。 より良い就職のために大学がある、と思っているかたがいても、単に年間親元を離れて遊べれば良いんだよ、という大学生がいても、それは否定しません。でも、「大学はすべからくそうあるべし」と主張されたり、実際にそうなってしまうようなら、「ちょっと待ってよ」とは言いたいですね。 で、TOEICやTOEFLで一定のスコアを取得したら単位を認める、以後の授業には出なくてよろしい、なんていうのは、私の考える大学像の否定であることはたしかです。 企業がTOEICを求めるのか? まず大前提として、TOEICのスコアは英語によるコミュニケーション能力の指標としては、決してアテになるものではない、と私は認識しています。たしかに相関はあるかもしれないが、実際のコミュニケーション能力とは無関係に高スコアを取る方法がありすぎる。 それは、自分のスコアと実際の英語運用力の差からも毎度実感できますし、私とは逆にスコアがそれほど伸びないにもかかわらず、はるかに英語の運用スキルには優れている人を何人も知っています。 最近、「TOEICの高スコアと実際の英語力にはギャップがあり、人事担当が首をひねっている」などという記事が新聞に載ったのを読みましたが、そんな人事担当者がいるのならすぐに配置換えすべきですね。 おそらく、採用を一定期間やっていれば、TOEICのスコアが指標として信用するには問題の多いものだということくらいは、十分わかっているはずです。 新聞社は、せめて記者にTOEICを受けさせてから、こういう取材をさせないとね。こんな外した記事書いてちゃ、失笑を買うだけです。 スコアではなく意思と基礎能力 企業がほしいのは、「TOEICやTOEFLで高スコアを出した人」ではなく、「仕事で英語を(中国語を)使える能力か、その素養がある人」のはずです。 能力については話させてみればすぐにわかるでしょうが、素養ややる気については客観的に評価するのが難しいために、試験のスコアで代替しているに過ぎません。 この程度の動機ですから、TOEICスコアなど採用にあたっては「初期で篩にかけるために」使っている程度と認識すべきでしょう。 企業が新卒者に求める英語力が、入社初日から通訳として帯同できるレベルであるはずがありません(もしかしたらそんな会社もあるかもしれませんけど)。 基礎的な能力(挨拶ができるとか、基本となる単語は覚えているとか、いわば高校までの話)さえあれば、あとは必要な技能を習得していく意思と能力があるかどうか、大事なことはこれだけです。 このあたりは私の好みや個人の経験が色濃く反映されてしまうので、必ずしも正解ではないでしょうが、単に情報をたくさん持ってその場の対応がうまい人よりも、知恵や教養のレベルにまで視野や知識を深められた人のほうが、職場でも活躍でき、評価される傾向があります。 そんなわけで、次回はこの「情報、知識、教養」の話に続きます(あくまで予定)。 |