2013年5月18日 (土)
"SUOMEA SUOMEKSI"
"SUOMEA SUOMEKSI" 何のオマジナイですか? と質問されそうですが、これは私の妻が使っていた、フィンランド語の教科書の名前です。日本語では「フィンランド語を、フィンランド語で」。 フィンランド語には前置詞がほとんどない代わりに、日本語の格助詞と似たように名詞の語尾を変化させて文中の役割を明確にします。なので、フィンランド語を意味する「Suomi」にいろいろとくっつくわけですな。 おっと、フィンランド語が今回のテーマじゃありませんでした。 ようはこの教科書、フィンランド語だけを使って外国人がフィンランド語を学べるようにつくられた教科書です。パラパラと見せてもらった限りでは、初学者でも何とか進んでいけるように、うまくつくられていると感じました。 2年前でしたっけ、NHKテレビ講座の「EURO24」が始まったとき、萬田久子さんによるイタリア語講座では、番組の前半は萬田さんとレギュラーのイタリア人(ルカとレオでしたっけ?)がイタリア語のみで会話をつなぎましたね。 外国語を学ぶ際に、母語を媒介とせずにその言語を通じて学習を進めるダイレクトメソッドには、さまざまなメリットがあるそうですが、イタリア語の経験もなさそうだし、コツコツと学習する気もなさそうな(笑)、萬田さんがそれなりに理解できていたのは印象的でした。 英語の授業は英語で さて、ちょっと前に「高校の英語の授業は原則英語で」といった報道があったと思ったら、もう実際に始まっていたんですね。今朝、NHK「おはようニッポン」で授業風景が紹介されていました。 二人の教師が登場し、一人は生徒同志のコミュニケーションを取らせながらうまく授業を進めていたのに対して、経験の浅いもう一人は途中から一方的に話す時間が長くなってしまい(15分くらい話しっぱなし、と指摘されてました)、せいとの集中力を維持させられずに反省してました。いや、高校の先生も大変です。 そもそも高校の英語授業では、せいとを「英語が話せるようにする」ことは求められていなかったのに、急に「コミュニケーションだ」といった具合に仕事の条件が変わっちゃったので、新たな技術やスキルが求められているわけです。 まあ、普通に会社勤めをしていれば、急に経験のない仕事を任されて必死でやりかたを勉強するのは当たり前のことなんですが、教育分野にそのままあてはめるわけにはいきませんしね。 いずれにせよ、「英語で英語の授業」が始まったからといって、いきなり効果が上がるなんていう期待は、持たないほうが良いでしょう。こういうのは時間がかかるもの。 まずは「中学高校6年間も」をやめよう 新しい教育要領に対応しなければならない教師のみなさんには、ひとまずがんばってくださいというしかない(たとえその方針に反対でも、目の前には生徒がいるんだから仕事はちゃんとやろうね)のですが、一方で、高校の授業を英語にしたくらいで、わが子が英語を話せるようになる、と期待する親がいるなら、やめたほうがいいでしょうね。 「中学高校と6年間も英語を勉強したのにちっとも話せない」というのは、英語が苦手な人の多くに共通する主張です。「だから日本の英語教育は間違っているのだ」と。 でも、誰一人「6年間英語を勉強し続けた」わけじゃないよね。 週に英語が6時間あるとして(中学だと4時間?まあ単純化のため一緒にしときましょう)、6年間×40週×6時間で1440時間、自主学習がなければたったこれだけです。昔は週あたり3~4時間だったと記憶してますから、いまの大人は1000時間内外だったでしょう。 たったこれだけ、しかも一年あたりでは200時間程度にしかならない学習量では、外国語を話せるようになると期待するほうがおかしいでしょう。 高校卒業までに「英語を話せるように」なりたいのならば、学校の授業だけでは不足で学校外での学習が必須であることがわかります。子供を黙って高校に放り込んでおくだけで、我が子が「グローバル人材(笑)」なるものになってくることなんてありません。 親も子供も、自分が英語をできない理由を手っ取り早く学校に押しつけるのはやめにして、学校をリソースのひとつとして活用するように切り替えられれば、教師の苦労もむくわれるのではないかと思うのですけどね。 |