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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2011年7月26日 (火)

会話は何語でしようか
バルセローナにて
もう20年ほども前になりますが、当時の上司から借りて読んだ本がきっかけで堀田善衛氏の本を何冊か続けて読んだ時期がありました。
その上司、部下に本を貸してくれるのはよいとして、感想文を求めるという変な癖があったらしいのですが、私はそういった課題を課されることもなく、ただ借りて読むだけですんだのは幸いでした。

読んだとはいっても、氏の代表作である「ゴヤ」や「ミシェル城館の人」などは未読のまま、むしろ、スペインでの生活を題材とした半ばエッセイ、半ば小説といった体の作品ばかりを選んで読んでいました。
そのうちに、題材としてたびたび登場するスペイン内戦に関心が移り、幾多のノンフィクション作品や「カタロニア賛歌」などに進むうちに、私的な堀田善衛ブームはわりと短期間で終わってしまいました。

今朝、通勤電車で読む本を探していて本棚で手招きしていたのが、当時読んだ「バルセローナにて」という連絡短編集です。
久しぶりに開きましたが、いきなり引き込まれて往復で再読完了。

「会話は何語ですることにしようか」
この本には3つの作品が収録されていますが、最初の「アドリン村にて」の冒頭近くで登場するニコラス氏の言葉がこれです。
続けてなんと、ニコラス氏は「スペイン語、ポルトガル語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ハンガリー語、ギリシャ語、ロシア語、アラビア語でもいいよ。どれがよいか。自分はどれでもよいが、日本語だけは残念ながら出来ない。」とのたまうのですね。

あげられているだけでも10カ国語です。
ヨーロッパの言語は相互に似たものがあるとはいっても、ロマンス語、ゲルマン語、スラブ語ではかなりの違いがありますし、これらの言葉を習得し、使い分けるのは至難の業でしょう。少なくとも私自身はこれまでにこんな人にはお目にかかったことがありません。
これだけの言葉を、この男性は「みな必要に応じてのことで、覚えようとして勉強したことは一度もなかった。必要がそうさせただけなのだ。」といいます。

生きていくために10カ国語以上の習得が「必要」であることが幸せなのかどうかは、私にはわかりません。というか、幸せかどうかは個人の感じ方次第でしょう。
けれど、日本で日本人として生きていると、こうした感覚はなかなか実感として理解しにくいものです。

「あとは英語だよ」
こちらの言葉は、15年ほど前に、会社の仕事にまったく関心が持てずに転職を考えていた時期に、お世話になった転職コンサルタントのかたからいわれたものです。
それまでの経歴と経験、自分なりの強みをまとめた職務経歴書を手渡した数日後に、自分にできることをきっちりと客観的にまとめられている、という評価をいただいたあとで、「あと一つ足りないとすれば、英語だよ」といわれたのでした。近い将来、必ず英語が必要になるから、と。

私が実際に英語の勉強を始めたのは、それからさらに6年後のことです。
始めたきっかけはここにも書きましたが、別段英語がどうしても「必要」になったわけでもなく、実にくだらないことです。
けれど、実際には上記のコンサルタントからの言葉が、私の中でくすぶっていたのでしょう。今すぐ必要ではないかもしれないけれど、人材コンサルタントの目から客観的に見て、私にもっとも足りないものが英語でした。それは自分でも十分理解できていたけれど、面倒だしおっくうだし、なによりもいまさら初級からなにかを始めたくない、という気持ちから始められずにいたものでもありました。

実際のところ、未だに英語は私にとって仕事上は「必要」ではないままです。
その意味でコンサルタント氏の「予言」は的中しなかったわけですが、結果としては長いこと持ち続けた「英語ができない」というわだかまりが解消できたのですから、大いに感謝しています。
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