2009年6月 2日 (火)
アトムクリークにおいてジーガーはいない
時事ネタではないのですが 時事ネタを書くつもりはないのですが、核実験のニュースが連日報道されていますね。このようなニュースに触れるたびに、思い出すドイツ語のフレーズがあります。たしか大学1年のドイツ語の試験に出ていた、ドイツ語単文和訳の問題のひとつです。 Es gibt kein Sieger in einem Atomkrieg. 別段難しい文章ではありませんから、たぶん1年生の前期テストの問題だったのではないかと思います。 大学の試験の問題なんてほとんど忘れているのに、これだけを覚えているのにはワケがあります。 Es gibt~は、There is~ おそらくは各種のドイツ語の講座でも、かなり最初の頃に登場して習う表現だと思います。gibtはgebenの三人称単数の形、英語でいうとgiveにあたりますから、そのままとらえると「It gives~」になってしまって、ちょっとわかりにくいですが、これはもう「There is~」の意味だと納得して覚えちゃうしかないですね。 手許の辞書には、こんな例文が出ています。 Gibt es noch andere Fragen?(ほかにまだ質問がありますか?) Im Bahnhof gibt es einen Friseur.(駅の構内に理髪店がある) 一度覚えてしまえば、別に複雑な構文でもありませんし、まごつくことはないでしょう。 もちろん、会話のときにさっと出てくるかというと、今の私はとてもそんな状態ではなく、あくまでこの表現を見かけても首をかしげることはない、という程度ですけど。 アトムクリークでは~ さて、冒頭の問題文に戻りましょう。もう一度書きます。Es gibt kein Sieger in einem Atomkrieg. もうおわかりですね。 「der Sieger」は「勝者、覇者」という名詞、「der Atomkrieg」は「核戦争」という名詞です。 すなわち、「核戦争には勝者はいない」というのがこの文の意味です。核戦争は人類全体を破滅に追いやるものなので、そこには勝者など存在しない、ということでしょう。「限定核戦争」なんていう概念もありますが、大まかな感覚としては賛同されるかたも多いんじゃないかと。 で、当時大学生だった私は大きな問題にぶつかりました。 そう、英語でもドイツ語でも語彙力が極端に弱かった私には、「Sieger」も「Atomkrieg」もなんだかわかりません。そりゃ、冷静に考えれば「Atom」と「Krieg」にわけてみて...という筋道はあります。「核戦争」さえ出てくれば、文脈から「勝者」は容易に推測できるでしょう。 けれど、このテストでは、決して熱心な学習者ではなかった私には時間の余裕がありませんでした。すぐに次の問題に取りかからなくては、とても時間内に終わらないのです。 そこで苦し紛れに回答用紙に書き込んだ答えが、タイトルのとおりです。 アトムクリークにおいてジーガーはいない 永年テストにおいて最小限の努力で得点を重ねることを得意としてきた私には、これでも中間点が獲得できる目算がありました。 この問題においては、「Es gibt~」の意味が理解できているか、「kein + 名詞」が否定であることがわかるか、そして文全体の意味が取れるか、というのが問われています。私の珍妙な訳文では、前の2つがカバーされていますから、5点の配点中2ないし3点が獲得できるであろうと算段したのです。 返ってきたテスト結果をみると、期待通り、2点の中間点が与えられていました。 もう少し長い文章なら...(言い訳) さて、この問題は単文の和訳でしたから、この前後の文は提示されていません。仮に、これが長文読解の問題であったとしたら、前後の文脈から「Atomkrieg」や「Sieger」の意味を推測することはより容易であったことでしょう(もっとも、さらに多くの未知単語が出てきて、さらに混迷を深める結果になったかもしれませんが)。 中学高校での英語も含めて、単語をひたすら暗記するのが苦痛でたまらなかった私は、その代わりに知っている単語同士を組み合わせて全体の意味を推測し、わからない単語の意味を仮に置きながら進むという「読み方」を習得しました。 この読み方には大きなメリットがあって、個々の単語の意味がわからなくても、とりあえず保留しておいてどんどん前に進めば「そのうちにわかるかもしれない」という心持ちでいられることです。 長文を読むときに、いちいち辞書で単語を調べていてはなかなか読み進むことができませんし、細部にこだわるあまりに全体の意味合いを見失うことさえあります。 文学作品を味読するならばともかく、雑誌や新聞の記事、WEBサイトやパンフレットなんかをざっと読むのならば、精読よりも主題を適確につかむことが重視されます。 語彙の圧倒的な不足という弱点をカバーするための、苦し紛れの読み方が、けっこう役に立つとわかったのは、英文の雑誌などを読み始めてすぐの頃でした。 だから単語の暗記なんかしなくて良いよ、とは思いません。やっぱり語彙は豊富であったほうがなんかと便利だしラクだと思います。けれど、それ以上に、とにかく読んで全体から大意を推測したり、重要なポイントでは肯定か否定かの取り違えをしないようにすることって、大事でしょうね。 なので、私はある程度の基礎語彙力が付いたら(たぶん、2000語とか3000語とかじゃないかと思うのですが)、あとは単語を暗記するよりも日本語で良いから文章をたくさん読んで、基礎的な読解力を高めるほうが、外国語学習でも役に立つんじゃないかと思います。 まあ、それでも「der Atomkrieg」くらいは、現代人として知っておくべきでしょうけどね(笑) |
単語学習より読むこと、というd-mateさんの意見に賛成です。2000語とか3000語で十分とはいえないと思いますが、単語も生きた用例の中で覚えておかないと意味がありません。私も英語では高校受験・大学受験のために単語帳をつくったことはありましたが、それ以外の言語では単語帳はつくったことがありません。ともかく聞き、読み、そして確認のために意味を調べ、後は忘れても、重要な言葉であれば何回も出てくるので自然に覚えるはずだということにしています。
ただ、日本語でも英語でも様々な話題に関心を持ち、そのような文献を読むことが大事なことではないかと思います。日本語でも関心のないことが話題となってはなんのことかわかりません。かつてのマーシャ・クラカワさんの英会話講座がそのようなことを意識して構成されていましたね。今の実践ビジネス英語でも共通の話題が数年おきに繰り返されていますが、そのような事情を意識していると思います。
投稿者: シュタイントギル | 2009年6月 7日 22:03
日時: 2009年6月 7日 22:03
シュタイントギルさん、毎度どうも。
「単語も生きた用例の中で覚えておかないと意味が」ない、全く同感です。
たしかに、中学高校で丸暗記した単語力がベースになることは事実なのですが、それでずっと続けるのは無理があります。文章や会話の流れの中で覚えた単語は、記憶に定着しやすいように思いますし。
さまざまなタイプの文章に触れることで、語彙の幅が拡がるのも間違いないですね。年を取ると、だんだん自分の世界を一定の範囲に絞り込んでしまいがちなので、ときおり意図的に広げなくては、と思ってます。
投稿者: d-mate | 2009年6月 7日 22:24
日時: 2009年6月 7日 22:24
6月1日のまいにちドイツ語のポイントが、まさにnichtとkeinでした。「知ってるよ~」と思いながら聴いてました。
Es gibt kein Sieger in einem Atomkrieg.
良い問題文ですね。einemは単数形不定冠詞でしょうか?
(人類が滅亡するから)「核戦争は1回しか起こらない」「名前を付ける者もいない」と言っていると考えていいのでしょうか?
投稿者: 西仏(独)(英) | 2009年6月14日 23:44
日時: 2009年6月14日 23:44
nichtとkein、知ってるんですけど、やっぱりたまに間違って「Ich habe jetzt ein Fahrrad nicht.」とか、言っちゃいます。このあたりはある程度は反復訓練して考えずに出てくるようにするしかありませんね。
うーん、「einem」は考えてみるとちょっと不自然な気もしますね。
まだ核戦争は起こっていないし、いままさに目の前に迫っているわけでもないので、定冠詞にはならないでしょうが、こういう場合だと一般名詞ということで冠詞なしでも良さそうな気もします。
「Es gibt kein Sieger in Atomkrieg.」のほうがよさげ…?
投稿者: d-mate | 2009年6月14日 23:59
日時: 2009年6月14日 23:59