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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2013年5月25日 (土)

I Think the...
More on grammar

ウェールズに住む、5つの言語(英語、中国語、フランス語、ウェールズ語)を使える上に、さらに6つ(ドイツ語、日本語、スペイン語、スコットランド・ゲール語、マン島語、エスペラント)で基礎的な会話が可能(!)という、Ager氏のブログからの紹介です。
5月18日に投稿された「More on grammar」というタイトルの文章、短めですし、特に結論が書いてあるわけではないのですが、重要な問いかけ。

The importance of grammar in language learning is often played down in language courses and by people who blog about language learning. (Omniglot blog)

はい、日本人も最近大好きですよね。「文法偏重の教育では、英語が使えるようにはならない!」とか。
これに対して、Ager氏はこう言います。

I think that grammar, i.e. how a language works, and grammatical terminology (if you don't already know it), can be short cuts to achieving competence in a language. (Omniglot blog)

したがって、問題は文法知識の習得の要否ではなく、どうやって習得するかである、と。
私が賛成するまでもなく、上述のように11の言語を使い、さらにこれらに倍する言語の習得を目指しているという著者の言葉だけに、説得力があります。文法は不要なのではなく、その学習方法が問われるべき。
良くある日本の学校教育への批判も、「もっと効率よく文法や読解を習得させる方法を工夫してこなかったのはなぜか?」ということなら、私も同意できます。

I think the...

先月読んだ本、「英語学習論 -スピーキングと総合力-」の中に、私にとってはちょっと驚きのエピソードがありました。
アメリカで移民への英語教育を行う際に、会話のみで英語を話すようになった人々が「I think the...」という言い回しを使うのだそうです。

評判が悪いとはいえ、一定の文法教育を受けた日本人ならば、耳からそう聞こえたとしても「ああ、これは"I think that"と言っているのだな」とすぐに理解できるでしょう。
しかし、接続詞としてのthatの存在を知らないままに、耳から英語を覚えた人々にとっては、それは「I think the」としか認識できず、そのまま知識が固定化されていくわけです。

句動詞テスト
5月の連休中に、英語の動画レッスンを公開しているサイトを見かけて、「GET」を用いた句動詞の用法テストをやってみました。
私はこの手の句動詞が実は大の苦手。一見簡単そうな単語が連なっているだけなのに、意味まで簡単にたどり着けないことも多く、結局は単語の暗記と同じ程度の努力をしないと身につかないのですね。
とはいえ、ある程度の長さのある文中で出くわすぶんには、文脈から意味が取れるケースが多いのですけど、たまにかなりひねったものもあるので油断できません。

そんなわけで、「きっと半分くらいしかできないだろうな」と思ってやってみた10問のテスト、結果的にはほとんど迷わずに全問正解できました。
自慢しているわけではなくて、おそらくかなりの日本人が、全問正解可能だと思います。だって、4択の選択肢の中には「I getted」とか、「we be getting」のように、「それはないだろ」というのがたくさん並んでいるんですから。

ここからわかることは2つあります。
ひとつは、役立たないとかムダだとか言われている、日本の学校での文法や読解の授業からの知識は、それなりに英語習得の基礎知識として身についているものだ、ということ。
そしてもうひとつは、英語を第二言語として学ぶ人々の多くが、「I getted」「We be getting」といったレベルの問題で間違う程度のレベルであること。

基礎があってこそ

日本人が英語を話せない理由は、すごく簡単なことだと私は思ってます。
ひとつは、「話すための訓練をしていないこと」であり、もうひとつは「話す必要があまりないこと」ではないでしょうか。
前者については、コミュニケーションを重視する、という学校教育カリキュラムの変更によってある程度解決が可能です。しかし、後者は個人差が大きいし、意図的に増やすのには限度があります(授業を英語でやる、なんてのはひとつの手でしょうが、いかにも本末転倒)。

しかし、基礎体力もないのにいきなり試合に臨んでも良い結果は出ないし、チームの足をひっぱるだけ。
基礎を固めることを怠って、「コミュニケーションだ、会話だ」と実技に偏重しては、きっと日本人にも「I think the...」と平然と話し始める、自称「グローバル人材」を量産するだけかもしれません。

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