2013年7月 6日 (土)
世界中で、ビール三昧
私の目標 何度か書いたかもしれませんが、私が外国語を話せるように(また読み書きできるように)なりたい理由のひとつが、「世界中でビールが飲めるようになりたい」ことです。 ビールくらい、英語で頼めばだいたいのところで出てくるんですが、せっかくだからその土地のビールを、その土地のお店で、その土地の言葉で頼んで飲みたいじゃないですか。 お酒は至るところにあり(もちろん、宗教上の理由で飲めない場所も多いですが)、その土地の文化や歴史が生きています。 ビールと書きましたが、これはもちろんワインでも、その他のお酒でもOK。旅先で地元のお酒と地元のお料理とをいただく幸せに勝るものが、そうそうありましょうか。 そんなわけで、私はまだチェコ語は全く勉強していませんが、「Pivo, Prosím!」だけは知ってます。ホントは今年はプラハでビール、のつもりだったんですが。 ビール注文フレーズ集アプリ 先日、便利なiPadアプリは何かないかなと探していると、まるで私のためにつくられたかのようなものに出会いました。 その名も、「Pivo」。チェコ語で「ビール」。 「Beer」でも「Bier」でもなく、チェコ語であるところに作者のビール愛が、感じられます(ビール党には解説不要でしょうが、いま世界中で愛されている、黄金色のピルスナーは、チェコが発祥)。 このアプリ、なんと59もの言葉でビール注文フレーズが調べられて、かなり多くの言葉ではそれぞれのネイティブスピーカーによるビデオが見られます。 発音の助けとして、英語話者に読みやすい発音ガイドが併記されているので、ビデオがなくてもなんとなく読むことができます。キリル文字でも問題なし。 また、最近日本に上陸して話題となったニュースサイト「Huffinton Post」の本家では、「How To Drink When You're Abroad」という記事が掲載されています。 19の国々でのビール注文フレーズ、乾杯の言葉と、飲酒の際の習慣や特長がまとめられていて、これまた便利。乾杯フレーズは、上記のアプリでもほしいところですよね。 ちなみに、日本では「手酌はダメ、隣の人に注いであげて、お返しに注いでくれるのを待ちましょう」だって。うーん、これはどうかなあ。 もし居酒屋のカウンターで突然隣に座った外国人観光客がビールをお酌してくれたら、きっとこの記事のせいです。 |
2013年7月10日 (水)
誰かが私を見つめてる!?
ストーカー? 本日のタイトルは、曲の名前です。それもかなり有名な、ジャズのスタンダードナンバーで、「ポーギーとベス」でもおなじみのガーシュイン兄弟によるもの。 でもこのタイトル、ちょっと怖くありませんか? だって、誰か知らない人があなたのことをじっと見つめてるんですよ、まるでストーカー。 この歌詞ストーカーじゃん、というと私が真っ先に思い出すのは、スティングによる「Every Breath You Take」です。 君の一挙手一投足を見つめているよと並べた上に、「Oh, can't you see / You belong to me」でっせ。たとえ相手がスティングでも、これは引くんじゃないかな。 あ、ストーカーの話じゃありませんでした。曲のタイトルの話。 この邦題、実はとんでもない誤訳としても有名です。 Toを忘れるな! この曲の原題は、「Someone to watch over me」といいます。 「誰かが私を見つめてる」、うん、正しいじゃん。と思ったあなた、英文法の「不定詞の形容詞的用法」の項目を読み直しましょう。 そう、「I want something to drink.」というときの「to drink」です。 ここから、目的語となっている「something to drink」を取り出しても、意味としては「何か飲み物」になりのであって、「何かが飲んでいる」には決してなりません。 なので、「Someone to watch over me」は「私を見守る誰か」になります。 歌詞を読むとわかるのですが、この歌の主人公である「私」は、人生の伴侶を求め、「その人(someone)」はいったいどこにいるの? と歌っているのです。 したがって、彼女を見つめている「誰か」は、まだ彼女自身には認識されていないのですよ。「誰かが私を見つめてる」は、まったく意味を取り違えた誤訳ということになります。そもそも、「Someone」が主語であるなら、toなしで「Someone watches over me」になるはず。 さすがに誤訳をいつまでも使い続けるわけにはいかないのでしょう。「優しき伴侶を」などのちゃんとした邦題も、使われているようです。 帰ってくれればうれしいわ? もうひとつ、ジャズのスタンダードナンバーで不思議な邦題に「You'd be so nice to come home to」があります。 ヘレン・メリルがクリフォード・ブラウンの素晴らしいトランペットをバックに歌ったアルバム(ジャケットは、まるでマイクに激突したかのよう)でとても有名。 この邦題とされているのが、大橋巨泉氏によるものらしい「帰ってくれればうれしいわ」 つまり、女性が夫(ないしはパートナー)の帰宅を待っている歌であるということになりますが、これまたまったく逆。 タイトルをよく見ましょう。最後に「to」がくっついています。「You」は「come home to」する対象として「nice」なんですね。したがって、「家に帰る」のは「You」ではなく、「Youと呼びかけている私」です。 こうなるとこのタイトの意味は「It would be nice to come home to you.」ということになりますね。「君/あなたが待っている家に帰るのがうれしい」のです。 なお、さすが巨泉氏、のちに「あれは誤訳だった」とみとめておられたとか。ただ、本来の意味でこなれた邦題は未だになく、結局は「ユード・ビー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」と長ったらしい曲名になっちゃってるのは残念。せっかくなら誤訳を吹き飛ばす名訳をお願いしたかった。 |
2013年7月15日 (月)
ただいまミュンヘンにて
ビールの都 金曜日から、ちょっと早めのサマーバケーションにて、ドイツのミュンヘンにいます。 日本を金曜の昼に出て現地には金曜の夕方に到着、土曜日曜と過ごしてただいま日曜の夜、21時を回ったところで、外は徐々に暗くなってきました。 この時期、日没は毎日21時過ぎ日の出は5時半ころで、16時間近くも明るく、しかも気温が少々高くても湿度が低くて実に快適です。公園の中にあるビアガーデンで飲んでいると、なんだか時間を忘れそうです。 ただいまホテルの部屋にいて、テレビでは女子サッカーのEURO中継中。ドイツ対アイスランドで、判官びいきで後者を応援するも、あっさりと23分でドイツが先制してしまいました。 到着以来、昼食と夕食では欠かさずにビールがお供です。 オクトーバーフェストが東京をはじめ日本中で開催されるようになって、ミュンヘンの主要なブランドはすでに日本でもおなじみですが、なんといっても500mlで3ユーロ前後というお値段には感動しますね。 円安になってきたとはいえ、居酒屋の生中とたいして変わらない値段で個性的なビールが何種類も楽しめるのです。さすがはビールの都です。 基本は英語 海外からの観光客が多い街ならではでしょうか、ほとんどのお店ではいきなり英語で話しかけられます。メニューも、あれば英語メニューを渡されることが多いですね。 こちらががんばってドイツ語で注文しているのに、相手から帰ってくるのは基本的には英語です。もしかしたら、少々喋れるとしても、ナチュラルなスピードでドイツ語を返すと聞き取れないことが多い、というのがわかっているのかも。 これは博物館とかお店でも一緒で、一見して外国人とわかれば英語で話しかけるようです。 外国語と思って聞くからでしょうか、ドイツ語で話しかけるよりも英語でのほうが、相手にもわかってもらえやすいようです。 滞在三日目にして、早くもくじけてお店では英語を使い始めている自分が情けない... アメリカ、中国、日本の順 ミュンヘンの中心地、マリエン広場をうろうろしていると、観光客の団体によく出くわします。 よく見る順番に、まずアメリカ人、これは英語を喋りまくって騒がしく、しかも体系がご立派な人が多いのでかなり目立ちます。 続いて中国、台湾か大陸かは私にはわかりませんが、団体客は大陸からのかたがたが多いのでしょうかね。やはり団体でぞろぞろと歩いていることが多いです。巻き込まれるとやり過ごすのが大変。 日本人の団体にも何度か遭遇しました。企業の夏休みにはまだ早いからでしょうか、比較的ご年配のかたがたのツアーが多いように感じられます。 本日日曜日は、飲食店を除けばほとんどのお店が休みです。 実は、今日はミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートに行ってきたのですが、オンラインで予約しておいたチケットを受け取れるチケットビューローはすべて日曜休みで、チケット受け取りが不可能じゃないかと焦りました(結局は、コンサートホールの窓口でちゃんと受け取れたのですが)。 お店が休んでいるおかげか、昨日の土曜日には歩くのも大変なほど込み合っていた場所ががらんとしていて、建物の写真を撮るのもゆっくりとできました。 こうしてドイツで旅行を楽しむために、週一回のドイツ語教室に通っているわけですが、結局は上述のように英語さえ使えれば何とでもなってしまうのが実際です。 こうなると、英語以外の言葉を学ぶのって、自己満足にしか過ぎないようにも感じられてきます。実用上は英語だけで困らないのですから(もっとも、こうした大都会でなければ様子は違うかも)。 それでも、英語メニューのないところでも書いてある内容はわかるし、ちょっとした街中の案内看板も読めるのは、多少便利ではあります。無意味でもないのだとは、思います。 明後日の朝にはここを立ち、次は南仏のエクスアンプロヴァンスへ向かう予定。 さすがに有名リゾート地とはいえ、プロヴァンスの中都市では英語は通じないかもしれません。結局フランス語は、ラジオの「まいにちフランス語」を1か月半分くらい聞いただけ。すなわち挨拶くらいしかできません。はなはだ不安ではありますが、ま、何とかなるでしょう。 むしろ、フランス語に取り組む気持ちが高まって、良いかもしれません。 |
2013年7月24日 (水)
フランスと英語
英語は別に世界語じゃない 前回ミュンヘンから更新しましたが、その後、南フランスの街エクスアンプロヴァンスに移動して数日を過ごしました。 目的は毎年ここで行われるエクスアンプロヴァンス音楽祭。リヒャルト・シュトラウスの歌劇「エレクトラ」と、二つのオーケストラ演奏会を聴き、日中はツアーに入ってプロヴァンスの美しい風景を楽しめました。残念ながら休暇には終わりがあるもので、すでに帰国しています。 私がフランスにきたのは15年ぶり。前回は1998年、そう、日本が初めて出場したサッカーのワールドカップ以来です。 あの時はパリを拠点としてリヨンとトゥールーズに日帰りで移動し観戦、試合の間の期間にはパリ近郊のディズニーランド・パリで過ごしましたが、英語がある程度通じたのはディズニーの施設内くらいで、パリでさえレストランに英語メニューがあればいいほう、といった具合でした。 当時の私は英語さえまともには使えなかったので、どう行動していたのかよく覚えていませんが、とにかく「フランスでは英語が通じない」というよりも、「英語は別に世界語じゃ、ないんだ」というのが実感でした。 15年後のフランス 前回の訪問から実に15年、久しぶりのフランスでしたが、私は今回は以下の三つの理由から英語の通じる度合いは相当高いだろうと考えていました。 ひとつには、この15年での経済のグローバル化によって、ビジネス場面ではおそらく英語によるコミュニケーションが日常化しているだろうということ。ふたつめに、最近訪れたヨーロッパの国であるフィンランドとドイツでは、ほとんどの場面で英語のみを話して不自由のない状態であったこと。そしてみっつめに、訪問先であるエクスアンプロヴァンスは海外からの観光客も多い古くからのリゾート地であること。 実際はどうだったでしょうか。 英語でなんとかなる範囲は、たとえば前回のリヨンやトゥールーズとは段違いに多かったと感じました。しかし、「英語さえ話せれば不自由はない」というには程遠い、というのが実感です。 なるほど目抜き通りであるミラボー通りに面したカフェやビストロには英語メニューがあり、英語での注文受け答えの可能なお店も少なくありません。しかし、観光客の多い店であっても、英語がまったく通じないところが多く、買い物程度だから何とかなっている、という状態。 驚いたのは、エクスアンプロヴァンス音楽祭の会場のひとつである劇場内スタッフが、ほぼ英語を解さなかったこと。 受付で窓口預けのチケットの受け取り場所を尋ねた時も、若い男性は「Where can I pick up my tickets?」なる質問にはぽかんとしていて(もしかして「Could you tell me〜」と始めなかったので気分を害した?)、私が差し出したフランス語での予約受付票をじっと読んでから、もちろんフランス語で人が並んでいる列の一方を指し示しました。 休憩時間にの売店でも、「Apple juice, please」は何度繰り返しても通じません。見兼ねた隣の男性客が「Jus de pomme!」と言ってようやく理解。私の発音が悪かったんでしょうけど、「Apple」程度の基礎的な英語がわからないというのは考えにくいので、「ここでは相手は必ずフランス語を話している」という硬い信念なり思い込みの故でしょう。まあ、Jus de pommeくらいの言葉は覚えてから行きましょう、ということでもあります。 英語化の良し悪しはあるものの 滞在最後の二日間、近隣の街を巡るツアーを手配したのですが、日本人パートナーと暮らし、外苑前でレストランを営んでいたこともあるというフランス人男性がガイドをしてくださいました。 彼に「15年前とくらべても、英語を話す人が増えた印象はありませんね」と尋ねると、やはりこれだけ多くの観光客を迎えるのに、フランス語しか話そうとしない人が多いことには疑問を感じるとのこと。 もちろん、マルセイユの空港でのカウンターやカフェ、売店などの、さらに外国人とのコミュニケーションが日常的な場所では、ドイツやフィンランドと同様に英語だけで十分な会話が可能です(不十分なのはこちらの英語のほう...)。 なので、英語を話せる人の絶対数が少なく、さらにその少数は英語が必要な職場にいるために、普段の観光で出会う人たちは英語の通じにくい人が多くなってしまう、ということなのでしょう。 ミラボー通りのカフェにしても、そこで働く人たちの英語は、日本人の中で英語が苦手ではない、という人たちと同レベルです。日本人のカタカナ英語が通じない、とよく言われますが、フランス人のフランス風英語だって相当リスニング困難です。 フランスは、アカデミー・フランセーズ(l'Académie française)の存在に象徴されるように、母語を非常に大切にする国としても知られています。 たとえば2003年に、電子メールについては「E-mail」ではなく「courriel」がオフィシャルな単語になっています。でもこれ、多分そう多くは使われていません。何かこう、戦争中に外来語を排除して「ストライク、ボール」を「ヨシ、ダメ」に言い換えました的な無理やり感が漂います。 フランス語はかつてヨーロッパの国際語でもあり、今でもその地位を部分的にせよ守れていることから、余計に英語の特権的な地位を認め、受け入れる気にはなれないのかもしれません。でも、その姿勢が個々人の英語に対する姿勢にまで影響していないとは、いえないのでしょうか。 外来語を無頓着に受け入れ続けると、母語の統一性や伝統、あるいは美しさなどが損なわれかねないことは、私たち日本人はよく知っています。同時に、外来語に開放的であることの利益も、私たちは日々実感してます(もっとも、「リスク」などという外来語をNHKが使うのは許せん、と裁判に訴える御仁もいるようですが)。 母語を大切にすることと、外国語を排除することは同じではありません。日本語を正しく使えるようになりつつ、英語や他の外国語を習得することは不可能ではありません。そしてその方法も、若年教育だけではないはず。 冷静になればわかるはずなのですが、いま現在、英語を比較的上手に使える人たちの圧倒多数は、大人になってから英語を身につけたのです。したがって、英語を使える日本人を育てるために、無理やり小学生をインターナショナルスクールに送り込んだり、他の教科の時間を減らしてまで英語の若年教育を行ったりする必要はありません。それらは取り得る選択肢の一つにすぎない。 日本を訪れた外国人が、食事や買い物の際に日本語の理解を強いられることは、少なくとも私の価値観では「おもてなし」とは思えません。フランス語でまくしたてられ、聞き取れた単語と文脈からなんとか理解はしても、相手への感謝や尊敬の念は生まれません。 さて、私たちは国際語としての英語にどう向き合い、どう付き合って行くのでしょうか? フランスは、少なくとも良いお手本とは、言い難いように感じられます。 |