
2010年2月 6日 (土)
プロシアはロシア?
外国語の勘違いシリーズ ドイツ騎士団が現在のポーランド北部のバルト海沿岸を征服し、後にビルマルクで有名なドイツ帝国による統一国家樹立の中心となった国、最近では「プロイセン」と呼ばれます。 けれど、私が中学高校の頃は「プロシア」と呼ぶことが多かったように思います。 早とちりのけがある私は、この「プロシア」という字面を「プ+ロシア」だと解釈して、きっとロシアの一部なんだけど、なにかの意味のある「プ」をつけているのだろう、と思っていました。実際にすぐとなりだし。 当時の世界地図にはもちろん、「ソヴィエト社会主義人民共和国連邦」がでかでかと存在していたわけですが、その中に「白ロシア」というのもありました。現在の「ベラルーシ」ですね。「白+ロシア」があるのだから、「プ+ロシア」もあるんだろう、という解釈です。「プ」ってなんだか全然わかりませんけど。 「白ロシア」といえば、ナイル川の上流には「青ナイル」と「白ナイル」がありますね。 それと同じで、「青ロシア」とか「赤ロシア」はないのだろうかと(いや、たしかに当時ロシアは「赤かった」ですけどね(笑))地図帳をかなりの時間睨んでいた記憶があります。 ちょっと気の毒なプロイセン そのプロイセン、神聖ローマ帝国解散後の19世紀にはハプスブルク帝国と並んで、ドイツ語圏の二大強国のひとつとなり、最終的には普墺戦争・普仏戦争を経てドイツ帝国としてのドイツ国民国家の樹立に成功します。 でもそのわりには、現在のドイツの地図を見ても「プロイセン州」なんてのはありません。バイエルンやハノーファー、ザクセンなんかは残っているのに。 上にも書きましたし、歴史地図帳なんかを見るとわかるとおり、プロイセンのもともとの土地であるドイツ騎士団の征服地って、いまはドイツではないのですよね。どんどんと領土を拡大して帝国樹立の頃にはほぼドイツの北半分を抑えていました。 けれど、現在のドイツの中にはそもそもの「プロイセン」はないわけです。いってみれば、多角化経営と買収で巨大企業に成長したけれど、創業当時の事業ははやばやと他社に売却してしまっていた、という感じ。 なので、19世紀の半ばにはやたらに存在感のある「プロイセン」って、第一次大戦の終結とともに突然消えてしまう印象を受けます。いまではプロイセンなんて国自体がありませんから、まさに煙のように消えてしまった感じです。 カタカナは便利だけど プロシアを原語でしか認識できなければ、「プ+ロシア」だなんていう解釈はしようもなかったのでしょうが、なまじカタカナという便利なものがあるために、おかしな勘違いの余地がうまれてしまったともいえます。 最初から「プロイセン」にするか、あるいはせめて「プロシャ」だったら明らかに「ロシア」とは違うものだと理解できていたでしょうに(え、今度は「ペルシャ」と混同したかも? たしかに)。 カタカナで外国語を写し取って、そのまま日本語に組み入れてしまうのはとても便利で優れたしくみだと思います。わざわざ翻訳して別の言葉を作らなくても簡単に外来語を取り入れられます(それだけに、外来語を見事に漢字に移し替えた福沢諭吉はすごいのですけど)。 同時に、英語でもフランス語でもなんでも、とりあえず発音のしやすい方法で取り入れてしまったがゆえに、いざ外国語で話すとするとわかっているようで通じない、ということもあります。良いような悪いような。 まあ、「プロシア」をロシアの一部だと思い込むのなんて、カタカナがあるかどうか以前に、私がおっちょこちょいなんですけどね。 |
カタカナ読み仮名の弊害はd-mateの指摘のとおりですね。一方、フランスの国名の由来はフランク王国にあることは後になるまで気がつきませんでした。ドイツ語ではFrankreich 直訳するとフランク帝国ではありませんか。
なお、プロイセン王国の由来はブランデンブルク選定侯がハプスブルクの神聖ローマ・ドイツ帝国の支配から脱却するためにプロイセンで国王となったというもの。ザクセン選定侯もポーランド国王になっていますから、豊臣家に対抗して奥州で征夷大将軍になるというような形のものではないでしょうか。プロイセンはなくなったといっても、ワイマール時代はドイツ国土の3分の2はプロイセン邦でしたから、今のドイツ人にもプロイセンの意識は残っています。
ソ連と言えば、プロイセンに対する積年の恨みからベルリンでプロイセンの跡形もなくなるよう指示したといわれ、東ベルリンには当時の王宮は全く残っていません。(ドイツ政府は、現在、王宮の建物復活を考えているようです。)
投稿者: シュタイントギル | 2010年2月 7日 19:46
日時: 2010年2月 7日 19:46
あ、「フランス=Frankreich=フランク帝国」は、私もドイツ語の勉強を始めてから最初の驚きでした。
そして、ドイツ人の間には、プロイセンの意識は残っているのですね。このあたりの意識とか、そもそもドイツ人にとっての「ドイツ」とはなにか、といったことには非常に興味があります。
いま読んでいるのは吉田寛著「ヴァーグナーの『ドイツ』」という本ですが、ドイツ国家というものがないだけに、そこに自らの理念の中にしか存在し得ない「ドイツ」を純化させつつ、同時に自己の芸術を世に認めさせるため現実とすりあわせながら時に揺れ動くヴァーグナーの心の揺れがおもしろいですね。
投稿者: d-mate
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2010年2月 7日 21:26
日時: 2010年2月 7日 21:26
Wikipediaによりますと、プロシアの語源の一説として次のようにあります。【「ポーランドから見てルーシ(Rus)の地域(すなわちロシア)へ向かっていく地方」という意味のスラヴ語「ポ・ルス(po rus)」が語源であるという説も上記の説と同様に有力であり、この解釈も定着している。ポーランド語の po は方向を示す前置詞で、英語の for に相当】
つまり、プ+ロシア説は存在します。
投稿者: カモネ | 2010年8月15日 10:49
日時: 2010年8月15日 10:49
さっそくWikipediaの項目を読んでみました。なるほど「プ+ロシア」という説もあるんですね。
いまでいうエストニアのあたりまで進出していたのだから、ドイツ騎士団のパワー、恐るべし、です。
投稿者: d-mate
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2010年8月16日 22:45
日時: 2010年8月16日 22:45