
2009年9月 5日 (土)
あの小説はドイツ語ではなんというのか?
「genug Zeit」で急に思い立った Hello! Wie geht es Ihnen?英語もドイツ語も壁に当たりまくりで途方に暮れているd-mateです。みなさん学習の進捗状況やいかに? ゴガクルブログセレクションの末席を汚す私は、もちろん他のブログの熱心なファンでもあります。 で、ドイツ語といえば、このところ週に3回のペースで更新が続く、maringeさんの「それでもつづけるドイツ語」。 いまのところ読んで理解するには辞書が手放せませんが、早く辞書なしで読みつつ「そうそう、そうだよねえ」などと楽しみたいモンです。 9月2日は「~するために」の例文、もちろん私がすぐに思いつくのも「um ~ zu ~」の構文です。 Ich wollte früh aufstehen, um genug Zeit für Besichtigungen zu haben. (行ったつもりで『ドイツひとり旅』18 より) そっかー、「Besichtigung」の場合も「haben」で良いのか~、などと低レベルのことに感心しつつ(笑)、気になったのが「genug Zeit」という表現。英語でいえば「enough time」ってことですね、「十分な時間」。 timeがenoughってことだと、もちろん思い出されるのがアメリカの作家ロバート・A・ハインラインの大作「愛に時間を」です。原題は「Time enough for love」。 ドイツ語では、どうなの? この作品、同じ作者の1958年の作品である「メトセラの子ら」で登場する、長寿命を持つ人類の一人、4,000歳を越えるラザルス・ロングの物語で、現在刊行されている文庫本は3巻からなる長大な作品です。私が図書館で借りて読んだ「早川海外SFノヴェルズ」の単行本は厚さが5センチくらいありました。邦訳版のタイトル「愛に時間を」は、ほぼ原題に即したものになっています。そこで急に気になったのが、ドイツ語ではなんというのだろうか、ということ。 「愛のために十分な時間を」という意味で考えると、「genug Zeit für Liebe」もしくは「Zeit genug für Liebe」あたりかな...と思って検索してみると、ありません。後者は曲のタイトルとして使われているようですが、ハインラインとは関係なさそう。 そこで今度は、Wikipediaのドイツ語版で「Robert A. Heinlein」の項目を見てみると、ありましたありました。 タイトルは「Die Leben des Lazarus Long」...なんですと? 「ラザルス・ロングの生涯」ってそれ、全然原題と違うじゃないですか。 ついでにフランス語とイタリア語も調べてみました。 フランス語「non traduit」、翻訳されていませんでした。 イタリア語「Lazarus Long l'immortale」、「不死のラザルス・ロング」。 うーん、イタリア語でもなんつうかドイツ語と同じように直裁的、おもしろみがないというか、このタイトルで書店に並んでいて売れるの? と心配になってしまいます。 ちなみに、「Time enough for love」をイタリア語に訳すと「tempo a sufficienza per amare」になるのだとか(Wikipediaイタリア語版の「Lazarus Long l'immortale」の項目による)。それで良いじゃないの、と思うのだけど、恋愛小説と紛らわしいのだろうか? たしかに、中学生の頃に図書館にリクエストして借りてきたこの本、持ち歩いていてタイトルがちょっと気恥ずかしかった記憶はあります。 愛に時間を、本に時間を(d-mate weblog) 新訳が話題のあの本は? 同じくハインラインの代表作で、ファンによるオールタイムベストSFにも選ばれることの多い名作といえば、「夏への扉」です。長い間、福島正実訳のハヤカワ文庫で親しまれてきましたが、今年の夏に小尾芙佐の新訳版が登場、さらに多くの読者を獲得することでしょう。 さて、この作品の原題は「The door into summer」、まさに「夏への扉」です。 さて、ドイツ語ではどうかというと、二種類あるようです。「Tür in die Zukunft」と「Die Tür in den Sommer」後者は新訳なのでしょうか、1993年に出版されているようですから、もしそうならドイツのほうがちょっと早かったことになります。 「Zukunft」は「未来」とか「行く末」ですから、前者は「未来への扉」となります。「in+4格」で運動の方向を示しますね...てのは基礎中の基礎ですが。 さて、フランスでもさすがにこの名作は訳されているようで、タイトルは「Une porte sur l'été」全然意味がわからないのですが、翻訳サービスによるとどうやら原題のほぼ直訳のようです。 ではイタリア語ではどうなるかというと、「La porta sull'estate」。さすがにフランス語とそっくりですね。同じくほぼ直訳のようです。 ドイツ語訳では具体的なタイトルが好まれる? こうなると、なぜドイツ語版では最初に「Sommer」ではなく「Zukunft」という表現に変えたのか、興味がわきます。ハインラインの他の作品を見ると、「人形つかい(The Puppet Masters)」が「宇宙ナメクジ、地球を侵略(Weltraum-Mollusken erobern die Erde)」、「月は無慈悲な夜の女王(The Moon Is a Harsh Mistress)」が「月での反乱(Revolte auf Luna)」、「悪徳なんかこわくない(I Will Fear No Evil)」が「贈られた人生(Das geschenkte Leben)」と、抽象的なタイトルを内容を表すものに付け替えることが多かったようです(いずれもドイツ語版Wikipediaの記述から)。 1970年の「現代」で友人の裏切りに遭い、絶望的な状況で30年後の未来に送り込まれた主人公が、過去へ戻って新たな未来を準備し、ふたたび未来へと進んでいくストーリー(この程度ならば、未読のかたにも迷惑とはならないでしょうかね)とは、「未来への扉」というドイツ語訳タイトルはきれいに整合します。 一方で、愛猫ピートが「夏への扉」の存在を信じる冒頭のエピソードと、印象的なラストの一文から生まれる非常に爽やかでポジティブなメッセージが、薄れてしまうのではないかと心配にもなります。どちらが良いというわけではないのかもしれませんが、私は「夏への扉」のほうが好きだな。 「Die Leben des Lazarus Long」も、そのパターンといえそう。 たしかに「愛に時間を」ではどんな話かわからないし、ジャンルを勘違いされそうです(まあ、この作品はSFというより妄想小説だから、これでいいんだ、という意見もあるかもしれませんけど)。けれど、単に「ラザルス・ロングの生涯」といわれるのよりも、作品の世界に入り込みやすいように思います。 サンプルが少ない上に偏っているので、これが一般的傾向とはできません。単に翻訳者の趣味の問題かもしれませんし。 けれど、少なくともこれらの事例は、日本での翻訳との違いが明確に現れていて、面白いなあと感じました。 |
作品のタイトル、確かに言語によって差がありますね。単語の持つ意味の広がりだけでなく、その語感にも原因があるのではないかと思っています。『星の王子さま』は、フランス語原文や英語、ドイツ語では、『小さな王子』です。プチやクライネのプラスイメージと“小さい”の持つマイナスイメージの差でしょうか。フランス文学作品でエマニュエル・ボーヴの『あるかなしかの町』という作品があります。これの原題は『ベーコン・レ・ブリュイエール』、ドイツ語でも同じです。これは、パリ郊外の町の名前ですが、日本語の題は、文章中の“Bécon-les-Bruyères existe à peine.
(ベコン・レ・ブリュイエールはあるかなしかの町である。)”からとったもの。日本人にとっては、この方がわかりやすいですね。そのほか、『赤毛のアン』も日本独特の表題ですね。
投稿者: シュタイントギル | 2009年9月 6日 22:11
日時: 2009年9月 6日 22:11
映画にしても小説にしても、かつては外国語をそのまま使っても通じにくいし、内容に即した邦題を考えることが不可欠だったのでしょうね。
「緑の切妻屋根のアン」といわれてもピンときませんが、そこで単に「アンの物語」などとせずに「赤毛のアン」とした翻訳者の感覚には頭が下がります。他にも「奇巌城」なんて、もう他のタイトルは考えられないものになっています。
翻訳者や出版社が、そのときに想定した読者にもっともうまく内容が伝わり、読まれやすいと判断した結果が、こうした翻訳タイトルたちなのでしょう。ドイツは日本と並ぶ翻訳大国だときいたことがありますが、タイトルの訳し方の傾向などを比較しても、おもしろいかもしれません。
投稿者: d-mate
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2009年9月 6日 23:11
日時: 2009年9月 6日 23:11