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人生まだ半分、37才からの外国語
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英会話教室や雑誌、ネットなど、ごく普通の環境だけで始められ、続けられる外国語学習の記録と秘訣を伝えていこうと思っています。
 

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人生まだ半分、37才からの外国語

2013年9月28日 (土)

その日本語は、「ササらない」
「ヤバい」人とは話さない
私の知人の一人に「物事を肯定的に表現する際に『ヤバい』を使う人とは話しません」というかたがいらっしゃいます。
私もこの点に関しては完全に同意していて、「美味い」「素晴らしい」「巧みだ」「面白い」など、何かを褒めるとき「ヤバい」済ませようとする言語感覚の持ち主とは、話していて愉快になることが非常に少ないと実感することが、普段から良くあります。

これは話し言葉だけではなくて、SNSなどでの発言やコメント、メールの文章などでも同じです。
むしろ、書き言葉で「ヤバい」を使って良いと思っているのは、話し言葉だけで用いる人たちよりもさらに始末が悪いとさえ言えるでしょう。
そもそも「ヤバい」状態というのは、悪事が露見して追い詰められた悪党や、状況が極めて不利であることを自覚した人物が発する言葉。たかがアイスを味見しただけでヤバいと感じる感受性の強さには感心しますが、受を外して言語への感性という点では、全く感心しませんし、関心もありません。

自分の心の動きや、見聞きした物事などをさまざまに表現するのが言葉であって、その対象や様態にもっとも適した表現を探す感覚が、言葉を使う上ではとても重要です。
極論ですが、肯定はすべて「ヤバい」、否定はすべて「ムカつく」で済ませてしまって何も感じない人は、外国語を学ぶ上で重要な要素を欠いてしまっていると、私には思えます。

出版社の仕業?
話は変わりますが、書籍のタイトルや宣伝文句というのは、多くの場合出版社が決めてしまうものなのだそうです。著者の意見も参考にはされるのでしょうけど。
有名なところでは、「世界の中心で、愛をさけぶ」というベストセラー小説のタイトルは担当編集者がつけたもので、作者が考えていたのは「恋するソクラテス」というものだったとか。まあ、どうせなら店頭で目を引くタイトルのほうが、商売上は得策なのでしょう(この「世界の中心で~」というタイトルについては、言いたいことは他にもありますが)。

上述のように、「ヤバい」の使われかたに違和感を持つのはおそらく少数派で、しかも周囲の人々が使ったときに異議を唱えるのはさらに少数なのでしょう。
なので、「世間一般に受けそうなもの」が私には極めて不快、というケースは結構あります。最近の代表例が、関谷英理子さんの新著の、このタイトル。


これはもう、関谷さんのツイッターでタイトルが予告された時から「うわっ、気持ち悪い」としか思えず、最近作でもある「同時通訳者の頭の中」をかなり楽しんで読んだにもかかわらず、『どんなことがあっても手にしない本』リストの上位にシッカリと書き留めました。

何ですかいったい「ササる」という品性のかけらもない表現は。
これは対話の相手の心に響く、自分の表現したい内容が的確に届く、ということなのでしょう。パッと見てわかりやすい、強い言葉での表現が難しかったのでしょうけれど(たしかに『その英語、こう言いかえれば届くのに!』では弱い)、「ササる」なんて言葉を堂々と使う時点で、英語以前に日本語の感覚が受け入れ不可能です。私にとってはね。

ターゲットは誰?
この「ササる」、じつはオジサン世代(ざっくりと40~60代)のサラリーマンには、好んで使うかたがたがそこそこ多い表現です。本人は「刺さる」とでも言ってるのかもしれませんけど。
意味合いとしては、広告宣伝ならターゲットとする顧客のニーズによく適合していて注意を惹く、といった使われかたをします。上記の本のタイトルとも合致していますね。
いつごろ誰が使い始めたのかはわかりませんが、こういう表現を多用する人に限って「どうすればササるのか」についてはノーアイディアで「もっとササる文句を」と駄々をこねるだけなのです。複数の実例を知っていますが、例外なくそうだったので、あながち私の周囲にロクなオジサンがいなかった、というだけではないでしょう。なんというか、必要もない符帳を使って悦に入るのは、年を重ねるほどにみっともないものです。
付記しておけば、20代、30代でこの表現を使う人物には、お目にかかったことがありません。

私の認識では、このように「ササる」は、中高年のサラリーマンに共有されているらしい、ボキャブラリーのひとつです。
出版社が意図的にこの語を選んだのなら(関谷さんの発案だったら、かなりガッカリですが...)、選んだ出版社員がオジサンばかりだったか、もしくは、この本を売りたいターゲットがオフィスで「ササる、ササる」を乱発しているオジサンたちである、ということでありましょう。

冒頭で書いた「ヤバい」の用法と同様に、「ササる」などと平気で口にする人の言語への感性など、知れたものです。そんな人たちに向けてつけてしまったこのタイトル、本は売れるかもしれないけれど、その内容は「ササらない」んじゃないかな。
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